人工知能の第一人者J・マッカーシー氏に聞く--AI研究、半世紀の歴史を振り返る

文:Jonathan Skillings(CNET News.com) 翻訳校正:尾本香里(編集部)2006年07月13日 08時00分
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 1956年、コンピュータ科学者のグループがダートマス大学に集まり、当時としては新しいトピックについて議論をかわした。そのトピックとは「人工知能」である。

 ニューハンプシャー州ハノーバーで開催されたこのカンファレンスは、コンピュータで人間の認知能力をシミュレートする方法に関する、その後の議論の出発点となった。カンファレンスでは、「コンピュータは言語を使用できるか」「コンピュータは学習できるか」「創造的な思索と非創造的だが有効な思索を分ける要因はランダムさ(偶発性)なのか」といったさまざまな議論が行われた。

 議論は、学習能力をはじめとする人間の知能が、原則として、コンピュータのプログラムでシミュレートできるくらい詳細に記述することができるというの大前提のもとで行われた。

 出席者には、当時ハーバード大学に籍を置いていたMarvin Minsky氏、ベル研究所のClaude Shannon氏、IBMのNathaniel Rochester氏、ダートマス大学のJohn McCarthy氏などの有名な学者が名を連ねていた。

 この研究分野は「人工知能」と呼ばれているが、この名前は、実はMcCarthy氏がこのカンファレンスの直前に考え出したものだ。今月、ダートマス大学で開催された50回目の同カンファレンスで、現在スタンフォード大学名誉教授のMcCarthy氏に、初期のAI、50年間の研究成果、今後の課題について聞いた。

--「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉は、1956年のカンファレンスの直前に、あなたが考え出したものとされていますね。この言葉は既存のアイデアに名前を付けただけだったのですか。それとも、当時、構想中の何か新しいアイデアがあったのですか。

 ロックフェラー財団からカンファレンスを開くための研究資金を得るために提案書を書く必要があったのですが、そのときに思いついたのが人工知能という呼び名だったのです。実をいうと、こういう名前にしたのは、資金提供者ではなくカンファレンスの参加者のことを考えていたからなのですが。Claude Shannonと私で『オートマトン研究(原題:Automata Studies)』という本を書いたのですが、カンファレンスに提出された論文の中で人工知能をテーマにしているものが少ないと感じたので、何のカンファレンスなのか明確に打ち出すためにインパクトのある名前を考えてみようと思ったのです。

--これまでを振り返ってみて、人工知能という名前は正しい選択だったと思いますか。分かりやすい自明の名前だと思いますが、この分野の研究を表現するもっとうまい言葉はあると思いますか。

 「計算知能(Computational Intelligence)」という名前に変更したがっている人もいますね。しかし、1955年当時に、この名前を使うことはできなかっただろうと思います。というのは、コンピュータがAIを実現する主な道具になるという考え方は、当時はまだ、ごく一部でしか受け入れられていませんでしたから。ですから、計算知能という呼び名を受け入れる人も少数派だったでしょうね。

--当時、あなたは提案書の中で、コンピュータを使用して脳の高度な機能をシミュレートするというアイデアに関して、「大きな障害となっているのは、マシンの能力不足ではなく、人間の側がマシンの能力をフルに活かすプログラムを書けないことだ」と書いておられますね。これは、ハードウェアは揃っていたが、プログラミングのスキルがなかったとということですか。

 スキルという問題ではなく、ハードウェアを活かすための基本的なアイデアがなかったということです。その点は今でも変わっていません。そのことは、コンピュータにチェスと囲碁を同じくらい学習をさせると、チェスはかなり巧くなるけれど、囲碁は全然巧くならないという事実によく現れています。囲碁では、局面、陣地を考慮しなければなりませんし、何より、囲碁の"手"を識別する必要があります。こうしたことは、コンピュータ上でどのように表現すればよいのか未だに分かっていないのです。

--1956年のカンファレンスの参加者たちは、あなたも含めてだと思いますが、コンピュータに何ができるかという点に関して楽観的だったようですね。つまり、1970年くらいまでには、チェスをするとか、クラシック音楽を作曲するとか、人の話を理解するとか、そうしたことくらいはコンピュータにもできるようになるだろうと思っていた。あれから50年経って、どのくらい進歩したのでしょうか。50年前の予想はあまりに楽観的過ぎたのでしょうか。

 私の場合はそう、楽観的過ぎました。しかし、当時、かなり悲観的な考えの人たちもいたと記憶しています。

--悲観すべき理由が何かがあったのですか。

 要するに、こういうことです。人間は自分の認識している障害しか考慮できない。昔より今のほうが認識している障害は多い。だから今のほうが悲観的な人が多くなってきたのでしょう。

--この50年間に学んだことで、人工知能の研究に役立った重大なことをいくつか挙げるとすると何ですか。

 そうですね。1つは、(人工知能を実現するには)コンピュータに「非単調推論」を実行させる必要があるということを認識したことでしょうか。

--その「非単調推論」について詳しく説明していただけませんか。

 いいですよ。例えば、あるステートメントPがあり、これが複数のステートメントの集合Aから推論可能であるとします。また、別のステートメントの集合Bがあり、BにはAに含まれるすべてのステートメントが含まれているとします。通常の論理的な推論では、ステートメントPはBからも推論可能です。なぜなら、同じ証明が成り立つからです。ところが、人間はそうならないような推論をするのです。たとえば、私が、「ああ、11時には家にいるけれど、君の電話には出られないよ」と言ったとします。最初の「11時には家にいる」という部分から、あなたは「家にいるなら電話に出ることができるはずだ」と結論づけるでしょう。しかし、その後の文を付け加えると、そういう結論を引き出すことができなくなる。つまり、「非単調推論」というのは、ある結論を引き出したとき、それが正しい結論に思えても、何か別の事実が追加されたために、その正しさが保証されなくなる、そういう推論を指します。非単調推論が定式化され始めたのは1980年か、もう少し前くらいからですが、今では非常に大きな研究分野になっています。

--この50年間の研究で達成した最も大きな成果は何だと思われますか。当初の目標の何割くらいが達成されましたか。

 われわれはまだ、人間と同レベルの知能を実現していません。でも、自動車を128マイル運転できるまでになったことは大変な進歩だと思います(編集者注:2005年秋のDARPA Grand Challenge で優勝したスタンフォード大学のロボットカー"Stanley"は、モハーベ砂漠で131.6マイルの自動走行に成功した)。

--次に目指す大きな目標は何ですか。

 コンテクストを考慮した常識と推論の定式化をさらに進歩させていきたいですね。これは私が長年に渡って取り組んできたテーマであり、私以外にも取り組んでいる人が何人かいます。この研究はDARPAも支援しているのですが、アイデアが不足していて人間の知能に到達するレベルには至っていません。

--AIの目標はマシンに人間の知能を持たせて人間に近づけることではなく、人間の知能に相当するものをマシンで実現することだと理解していますが、正しいでしょうか。つまり、人間を再発明することが目標ではなく、人間に似た考えをするけれど人間の思考に勝る何かを創ることを目指していると。

 そうです。それが私の考え方です。もちろん、人間の知能をシミュレートすることに興味を持っている人もいます。この考え方はいろいろな面で最善とは言えないのですが、Allen NewellやHerbert Simonなどが、そのような考え方をしていましたね。

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