Wikipediaでは、仮に編集内容が間違っていても、誰かがそれを修正するまでは放置されたままになってしまう。つまり、Wikipediaの項目には最終版という概念が存在しない。それらはむしろ「生きている文章」という表現がふさわしく、常に変更される可能性がある。では、Wikipediaの投稿内容は常に誤っているのか。決してそんなことはない。しかし、利用者はこの点に気を付ける必要がある。
Wales自身も混乱を招いている可能性がある。同氏はWikipediaから「オープンソース」という言葉を外そうと試みるなかで、同プロジェクトにはボランティアのグループ以外にも、オープンソースソフトウェアの各開発プロジェクトと共通するいくつかの特徴があることをすぐに口にする。その特徴とは、内容の複製や変更、配布ができる点だ。また、ユーザーがWikipediaから得た情報を元に自由に派生物をつくれる点も、多くのオープンソース・ソフトウェアプロジェクトと共通する点である。
「われわれのプロジェクトは、一般に使われている意味で『オープンソース』という言葉に確かにあてはまると言えるだろう。しかし私はそうは呼ばない。むしろ、われわれはフリーカルチャー・ムーブメントの一部であると私ならそういうだろう」と言うWalesは、このムーブメントのなかに「Creative Commons」も含まれると指摘する。Creative Commonsは、著作権で保護された素材の幅広い非商用利用を可能にするライセンスの枠組みをつくり出した非営利団体だ。
しかし、それでも説明責任欠如の問題がなくなるわけではない。そして、この点がソフトウェアに関して起きていることとの大きな違いとなっている。オープンソースのソフトウェア開発コミュニティでは、全般にWikipediaを支持する姿勢が見られるものの、Walesのプロジェクトにオープンソースという言葉を適用することには、あまり乗り気ではない。
「ソフトウェアの場合、ある変更を加えるかどうかを判断するための客観的な物差しがいくつか存在しているという長所がある」とApache Software ProjectをたちあげたBrian Behlendorfは言う。「それは美しいかどうかといった問題ではない。『この変更でバグが修正できるのか』あるいは『この変更でパフォーマンスが上がるのか』といった具体的な物差しがあるということだ」(Behlendorf)
オープンソース関連のほかの専門家も、Wikipediaにはコントロールのための核が存在しない点を挙げながら、そのことが同プロジェクトとソフトウェア開発との違いになっているという点に同意している。
「オープンソースのソフトウェア開発では、それを引っ張る人物や組織が存在し、製品に関する責任はこうした人物や組織が負うことが多い」と、エンタープライズ分野でのLinux普及を促進するOpen Source Development Labの主任アナリストDave Rosenbergはいう。「たとえば、あるパッチが書かれたとして、それがLinuxに採用されるにはLinus(Torvalds)の承認がいる。また、Apacheでも同じ仕組みが採られている」(Rosenberg)
Walesもこの違いを認めている。
「ソフトウェア開発では、コードの成熟度があるレベルに達すると、それが安定したブランチ(枝)になる。そして、われわれの場合はまだそこまでは達していない」(Wales)
それでも、Asayは匿名性がWikipediaに内在する弱点であると考えている。
「オープンソースでは匿名でのコード提供などあり得ない。コードを提供するには身元がはっきりしている必要がある。Wikipediaでも身元がはっきりした者だけが参加できるようにするべきだ」(Asay)
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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