Apple Computerの初代Macintosh開発メンバーの1人で、グラフィックソフトウェアのMacPaintやオーサリングツールのHyperCardなどの開発者として知られるビル・アトキンソン氏が来日し、5月12日に都内で講演を行った。
アトキンソン氏はApple Computerを退社したあとGeneralMagic社を創業したが、現在は写真家として活動している。今回の来日は同氏の初の写真集「WITHIN THE STONE」の完成を記念して行われたものだ。講演のタイトルは「私の人生とMacintosh」。なかでも初代Macのユーザーインターフェース誕生の様子に多くの時間が割かれた。
2時間にわたって熱弁をふるったビル・アトキンソン氏 |
アトキンソン氏はまず、Macが登場する前のコンピュータがどのようなものであったかを紹介した。コマンド入力による操作が一般的で、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)はなく、マウスやウィンドウもなかった。
これに対し、初代MacはマウスやGUIを備え、MacPaintやMacWriteといったソフトウェアを同梱していた。「Macは革命的だった。人々が初めて真にほれ込むことのできたコンピュータだといえるだろう」(同氏)。 初代Macに搭載されたソフトウェアのうち、約60%はアトキンソン氏の手によるものという。
では、そのMacのインターフェースはどのようにして生まれたのか。アトキンソン氏によると、その原型はMacの1年前に生まれたPC「Lisa」にあるという。Lisaは誰でもすぐ使うことができ、しかも使って楽しいと思えることを目指して開発が行われたPCだ。価格が約1万ドルと高価だったことから商業的には成功しなかったが、すでにGUIを備えるなど画期的な試みがなされていた。
開発チームは、試行錯誤を繰り返しながらこのインターフェースを完成させていった。コンピュータを使ったことのない人に使ってもらい、感じたり考えたりしたことを小声でしゃべってもらって、つまずく点を見つけていったという。「これは使い物になるソフトを作るうえで必要だ。コンピュータを全く知らない人がどんなことを考えるかは想像がつかないからだ」(アトキンソン氏)。例えば「Do It(実行)」という表示を多くの人が「Dolt(DOLT)」と読んでしまい、意味が分からず操作が止まってしまうことがあったという。
アトキンソン氏は自宅で多くの開発作業を行っていたといい、その成果を社内の人と共有するために開発画面を写真に撮っていた。会場では当時の写真が数多く紹介され、インターフェースが進化していく様子も紹介された。
例えばディスプレイは、当初黒の背景に白で文字が表示されていた。しかしアトキンソン氏は、グラフィックスを扱うのであれば、印刷と同じように白地に黒で画面が表示される必要があると訴えたという。白部分が多くなれば画面の焼き付きやちらつきを抑える必要があるためコストが高くなる。社内ではこの点に関して大きな議論が巻き起こったが、アトキンソン氏は「グラフィックスをやるならこれしかない」といって実現させたという。
ほかにも、初代Macに同梱されたMacPaintには、Macのインターフェースに慣れてもらう狙いがあったという開発者ならではのエピソードも紹介された。ツールパレットを使って遊んでもらうことを意図していたという。「MacPaintによって、PCを使って楽しいと思ったのは初めてだという声を多く聞いた」とアトキンソン氏は振り返った。
最後にアトキンソン氏は、初代Macと現在のMacを比較した。初代Macは8MHzの32ビットプロセッサ「Motolora 8000」を搭載し、処理速度は0.5MIPS。128KバイトのRAMと400Kバイトのフロッピーディスクを備えていた。これに比べ、例えばPowerMac G5は2GHzの64ビットプロセッサ「IBM Power PC 900」を2つ搭載し、処理速度はそれぞれ5000MIPS。8GバイトのRAMと500GバイトのHDDを備える。「感覚的に言って価格は3倍程度だが、現在のMacは6万4000倍のRAMと350倍のディスク容量、2万倍のプロセッサスピードを備えている」(同氏)
「20年間で正直よくここまで来たと思う。あと20年なんとか生き延びて、20年後を楽しみにしたいと思う」(アトキンソン氏)
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