SAPにとって、Lani Spundは悪夢を現実に変えた人物である。
Spundは年商11億ドルのオフィス用品メーカーEsselteのCIO(最高情報責任者)だ。Spundの舵取りで同社は今年、Microsoftと1000万ドルのビジネスアプリケーション契約を結んだ。この5カ年契約は、これまでなら黙っていても市場リーダーのSAPが勝ち取っていたはずのものだった。ところが軍配はMicrosoftにあがり、Microsoftはこの分野における同社史上最大の契約を獲得した。今回の契約にはEsselteの海外拠点にある時代遅れのビジネスシステムをすべて交換することも含まれていたが、これはSAPが得意としてきた分野にほかならない。
さらにSAPをいらだたせているのは、コネチカット州スタンフォードに本社を置くEsselteが、これまで同社とつきあいのある企業だったということだ。Esselteは何年も前からSAPのアプリケーションを使って注文を処理し、ヨーロッパの工場を稼働させている。Spundによれば、今回の契約はほぼ金の問題につきるという。つまり、Microsoftの製品の方が安かったのだ。EsselteはMicrosoftのシステムを導入したあとも、引き続きSAPのソフトウェアを使っていく予定だが、そのためには2つの互換性のないプログラムをつなぎ合わせなければならない。
「Esselteの契約はこの市場の今後を暗示している」とEnterprise Applications ConsultingのアナリストJoshua Greenbaumはいう。「Microsoftはこの事業の拡大に向けて、きわめて野心的な計画を立てている。本腰を入れて取り組むつもりだ。SAPとぶつかることになるのは間違いない」
長らくSAP、PeopleSoft、Oracleが独占してきた数十億ドル規模のビジネスアプリケーション市場。この市場でシェア拡大を狙うMicrosoftにとって、Esselteのような企業は自社製品の価値を証明する役割を果たすものになるだろう。
Microsoftは、同社が長らく同盟と見なしてきた企業とも新しい戦いをはじめるかもしれない。Microsoftは2年前、一連の買収を通して統合業務パッケージ(ERP)というニッチ市場に参入した。このとき、同社は長年のパートナーであるSAP、PeopleSoft、及びSiebel Systemsとの競合は避けると誓い、自分たちの標的顧客はSAPやそのライバル企業が狙っているようなグローバル企業ではなく、ほぼ手つかずの状態で残されている市場、つまり何百万社にものぼる中小企業だと語ったのだ。
しかし、Microsoftが標的顧客を拡大し、SAPもMicrosoftと同様に小規模の契約を大量に獲得する方向へ動きはじめている以上、闘いの火蓋が切って落とされるのは時間の問題といえそうだ。
戦いの行方は?
MicrosftとSAPの全面対決は壮絶な戦いになるだろう。Microsoftは世界最大のソフトウェアメーカーであり、年間売上高は320億ドルを超えている。2003年度のビジネスアプリケーション事業部の売上は5億6700万ドルにすぎないが、2004年には7億ドルを超えると同社は見込んでいる。
企業として見た場合、Microsoftには500億ドル以上のキャッシュをはじめ、さまざまなリソースがうなっている。また、データベース、デスクトップソフトウェア、ブラウザといった市場で競合を叩きのめしてきた実績を持つ。同社はすでにビジネスアプリケーション事業に20億ドル以上を投じており、2010年までに100億ドル事業に育て上げる考えだ。
一方、ドイツに本社を置くSAPはビジネスアプリケーションソフトウェアの市場リーダーであり、年間売上高は78億ドルに達する。同社は30年間にわたって企業の会計、注文処理、顧客サービス、人事管理、製造といった業務を合理化する複雑なソフトウェアであるビジネスアプリケーション分野に専心してきた。SAPはこの市場の最大のプレーヤーであり、2位以下を大きく引き離している。2009年には市場シェアを現在のほぼ2倍の25%に拡大する計画だ。ビジネスアプリケーション市場は3年に及ぶ停滞からようやく回復しつつあるところで、SAPとMicrosoftほど強気の成長目標を掲げている競合企業はほとんどいない。
しかし、両社は自分たちの間には競争関係などないかのようにふるまっている。MicrosoftはSAPの顧客にOSとデータベースを提供しており、SAPシステムの約40%、数にして2万7000台以上のコンピュータがWindowsプラットフォームで動いていると豪語する。Microsoftはこの数字をさらに伸ばしていく考えだ。実際、パートナーシップの危機を強調して顧客や投資家の不安をあおることは、どちらの企業の利益にもならない。
Microsoftは、自分たちの最大のライバルは各国で中小企業向け製品を扱っている数千社のソフトウェアメーカーだと主張する。同社でERP製品の開発とセールスを担っているBusiness Solutions GroupのシニアバイスプレジデントDoug Burgumは、Microsoftが狙っている市場セグメントはハイエンド市場と異なり、「ウォールストリートのレーダーにかからない」小さな競合企業がひしめいているという。「我々の最大のライバルは“その他大勢”であって、SAPではない」とBurgumは語る。
同様に、SAPもMicrosoftは深刻な脅威ではないとしている。「ビジネス環境は確かに厳しいが、ソフトウェアアプリケーション市場は大きく、どのプレーヤーにもパイは残されている」とSAP のHerbert Heitmannはいう。
もっとも、多くの業界関係者はこの楽観的な市場観に異を唱えるだろう。Oracleの最高経営責任者Larry Ellisonはその1人だ。Ellisonによれば、ビジネスソフトウェアのブームは去り、市場にはわずかな席しか残されていない。
ビジネスアプリケーションとデータベースソフトウェアのメーカーであるOracleが、ERP市場のライバルPeopleSoftに食指を伸ばしているのはそのためだ。PeopleSoftはOracleの動きに抵抗を示したが、PeopleSoftが選んだ道もOracleとよく似ている。同社は今年、ビジネスアプリケーションのもう1つの大手サプライヤーJ.D.Edwardsと合併した。
一連の合併・買収劇によって業界地図は書き換えられようとしている。Microsoftの参入が変化の促進剤になったことは否めないだろう。たとえば、最近では顧客サービスとセールスアプリケーションの専門メーカーSiebel Systemsが、中小企業に人気の高い月額料金制のセールスアプリケーションを持つUpshotを買収した。Siebel Systemsにとってこの買収は、今年になってこのニッチ市場に参入したMicrosoftとの対決に役立つものとなるかもしれない。一方、PeopleSoftはJ.D.Edwardsを買収したことにより、Microsoftの重要なライバルになった。MicrosoftがデンマークのソフトウェアメーカーNavisionの買収で獲得した製品ラインAxaptaは、J.D.Edwardsの競合製品となるからだ。
Microsoftの販売代理店であるTecturaの社長Terry Petrzelkaによると、同社はMicrosoftのAxaptaを取り扱っており、OracleやJ.D.Edwardsと同じ案件で争うことが多いという。Petrzelkaは、Microsoftがその潤沢な研究開発予算を使って自社のビジネスアプリケーションに磨きをかけ、SAPの手強いライバルとなるのは時間の問題だという。「初期の製品は市場の覇者であるSAPの敵とはならないだろう。しかし2年後はわからない」(Petrzelka)
SAPも挑戦状を突きつけられる日をじっと待っているわけではない。Microsoftがビジネスアプリケーション分野で2度目の大型買収となるNavisionを獲得したのと同じころ、SAPも数年前に放棄した構想を復活させる考えを示した。つまり、中小企業市場への参入である。
その後、SAPは2つの新製品を市場に投入した。1つは年商10億ドル未満の企業を対象としたSAP All-In-One、もう1つは従業員150人未満の企業を対象としたBusiness Oneだ。SAPはこれらの製品をもとに、年商10億ドル以下の企業、つまりMicrosoftが狙っているのと同じ市場に攻勢をかけたいと考えている。現在、同社の中小企業市場での売上は、ソフトウェアライセンス収入の約6%にすぎないが、2005年には少なくとも15%に引き上げる計画だ。
代理店獲得大作戦
SAPの一連の動きがMicrosoftを狙い撃ちにしたものであることを示す何よりの証拠が、SAPが水面下で進めている販売代理店の獲得作戦だ。SAPは、Microsoft Business Solutions製品の代理店に対し、競合する自社の新製品を販売するよう働きかけている。Microsoftにとって、4500社からなるソフトウェア販売代理店のネットワークは、中小企業市場における同社の大きな強みとなっている。SAPは基本的に顧客直で製品を販売しているため、こうしたネットワークを持っていない。それがSAPにとって、中小企業市場への食い込みを阻む障害となってきた。
Microsoftの代理店ネットワークを横取りして、Business Oneの販売網を構築しようとしているのではないかという指摘をSAPは否定する。しかし、Microsoftの代理店であるAston Business Solutionsの広報担当者Steen Frentz Laursenによれば、同業者の間ではSAPの申し入れが「町中の噂」になっているという。
Laursenを筆頭に、複数のMicrosoft Business Solutionsの販売代理店が、今年に入ってSAPのアプローチを受けたことを認めている。しかし、SAPの提案に対する反応はまちまちだ。少なくともフェニックスに拠点を置くTecturaとダラスに拠点を置くePartnersの2社はSAPの申し出を拒否した。ePartnersのCEOであるDan Duffyは、中小企業市場に対するSAPの方針が一貫していないことが不安材料になったという。「今後、企業の設備投資が回復すれば、SAPが中小企業市場から撤退する(そして大企業市場に戻る)可能性は否定できない」(Duffy)
しかし、なかにはニュージャージー州エルムウッドパークのThird Wave Business Systemsのように、SAPの話に乗った企業もある。Third Waveの社長Korey Lindは、SAPの提案はMicrosoftが参入していない市場に事業を拡大する機会になるものだと話す。しかし、SAPとの契約を期にMicrosoftの態度は冷たくなった。Microsoftに新規顧客の紹介やテクニカルサポートを頼ってきたLindは「追放されたような感じだ」という。
Microsoftが今夏に実施した事業再編は少なからぬ混乱を巻き起こした。Microsoftの販売代理店のうち、同社に無視されていると感じている企業はSAPの提案を受け入れる可能性があるとアナリストは見ている。「SAPがこうした不満分子を狙っていることは間違いない。このような業者は格好の標的だ」とIDCのアナリストAlbert Pangはいう。
しかし、両社の間で高まりつつある緊張関係も、いずれはIT業界で流行している「協調的競合(co-opetition)」におさまるとアナリストは見ている。これは企業同士が競合しつつも、パートナーとして協調するという現象だ。Forresterの技術アナリストByron Millerは、SAPとMicrosoftの関係はSAPとOracleの関係によく似たものになると予測する。OracleはERP市場でSAPと競合している。
「SAPとOracleが友人関係にあるとは言わないが、SAPの顧客のほとんどはOracleのデータベースを使用している。Microsoftは今後も自社のOSとデータベースの上でSAP製品を走らせることになるだろう。この点では、同社も妥協しなければならない」とMillerはいう。
SAPはライバルであるOracleの追い上げを確実にかわしてきた。Microsoftはさらに手強い相手になるのだろうか。SAPにはビジネスアプリケーションに特化してきたこと、30年の経験、プラットフォームに依存しない製品群、現時点で最も包括的な製品を揃えているといった強みがある。
Microsoftはこのどれも持っていないが、SAP製品の弱点である複雑さと高いコストを突くつもりだ。EsselteのSpundは、こうしたMicrosoftの主張に納得した1人だ。EsselteがMicrosoftを選択した背景には、SAPアプリケーションにはつきものの導入・保守コストの高さがあった。Spundは今回の一件をこう振り返る。「海外拠点も含めて、すべてをSAPで統一するという選択肢もあった。ただし、これは金のかかる選択肢だったのだ」
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