Linuxを搭載した携帯電話端末を2004年より発売することを表明しているNEC。なぜ、携帯電話にもLinuxを採用したのか。そしてそれは、同社が中国での研究開発体制を強化したことと関連があるのか。今回はモバイル端末のソフトウェア開発を指揮する吉本氏に、Linux採用による今後の携帯電話ビジネス戦略や、中国との協力体制について聞いた。
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末松: NECは、2004年からLinuxベースの携帯電話端末を発売するそうですね。携帯電話に組み込みでLinuxを入れるという試みは大きなブレークスルーであり、同時に高い技術力を持っていることの表れだと思います。Linuxを選択した流れや理由を教えてもらえますか。
吉本: 初期の携帯電話端末は、小型・軽量・省電力であることだけを求められていたため、当時採用していたTRONで十分事足りました。しかし、N501シリーズ以降、ウェブブラウザやJava、マルチメディアなどのPCライクな機能が要求されるようになったためTRON単体では立ちゆかず、自分たちでミドルウェアを作って追加しなければならなくなったんです。
サードパーティから買う手も考えましたが、どこも「PCのミドルウェアは既にあるけど、TRONへはこれから移植する」というところばかり。これでは、移植と評価(検証)に費やす時間とお金が膨大になってしまい、果ては納期を守ることが難しい状況になるだろう……という判断から、高性能なOSの採用に関する話し合いが2年ほど前から始まっていました。
当時候補に挙がっていたのが、パームやシンビアンのようなPDA系OS、Windows、Linuxなど。それぞれを評価するために試作してみて、マイクロソフトやシンビアンからライセンス料、システムサイズ、電力消費、日本語化に対する労力などの話を聞いていって、残ったのがLinuxだったんです。
システムやリアルタイム性にはまだ問題はありましたが、Linuxがいいと思った一番のポイントは「色が付いていない」ことでした。我々はWintelを使ったPC産業での安物競争を経験しているので、携帯電話端末で同じ轍を踏むのはどうしても避けたい、それゆえオープンにされているものがいい、という考えがまずあったのです。
その中で昨年、松下電器産業やソニーからCE Linuxフォーラム(以下、CELF)へのお誘いがありました。実は一昨年からLinuxをひとつの候補としてやっていこうという話をパナソニックモバイルコミュニケーションズとしていまして、その過程でCELFの牽引役である松下電器産業の南方さんと、既にLinuxの開発や推進に関するお話はしていたんですよね。
末松: では、NECはCELFへ参加する前にLinuxの持つさまざまな優位性から、それを活用、開発している状況だったということになる。それでもなおかつ、CELFのようなオープンコミュニティ的な活動が必要だと考えたのはなぜですか?
吉本: Linuxそのものだけでなく、ミドルウェアを含めてプラットフォーム化し、ほかにも積極的に広めていこうという気持ちがあるからです。自社だけでは、もう時間的な開発競争に勝てないことがわかっているので、サードベンダーが作ったものも有効に取り入れていきたい。そのためには、皆が使いたいと思えるメジャーなプラットフォームであることが必要ですよね。それでCELFの活動に乗ったんです。いくらオープンなLinuxでも、自分たちだけで使っているのでは何の意味もありませんから。
末松: これまでの日本企業は、すべてを自前で作って情報を開示せずに差別化してよいものを作っていこうというイデオロギーがありました。NECが携帯電話端末へLinuxを採用したということは、これまでのクローズなやりかたからオープンな方向へと転換したということなのでしょうか。
吉本: そうですね。いまLinuxに携わっているメンバーの半数以上はPCに関わっていた人間ということもあり、自分たちだけでなんとかしようとしても結局はダメだということを理解しています。
末松: PC98当時の自前主義にこだわったのが敗因だという認識をしているということですか。
吉本: はい、それが1つの原因だとは思っています。逆にソフトがすべて共通でオープンになりすぎてしまうとハードの安売り合戦になってしまうので、そうなってもいけない。その真ん中として、自分たちでLinuxベースのミドルウェアを作って標準化しようという戦略を考えているのです。LinuxのGPLを使う関係もあり、どこまでオープンにしなくて済むかをかなり慎重に考えなければなりませんが。
末松: 最もクローズだったNECが、実は他企業よりも先に自前主義を脱却してオープンな世界に入っていたんですね。その辺が非常に面白い。
吉本: たぶん、この携帯Linuxで大きくジャンプしたと思ってますよ。
末松: オープンにしていった場合、製品としての差別化はどの辺になるのでしょう?
吉本: 正直言って難しいところですが、ミドルウェアを作ってそのプラットフォーム上で商売をするのならば、自分たちがプラットフォームを出す以上は、「次はこの機能を入れる」ということを率先してできるわけですよね。だから、その点において他社よりも先行できるはずだと考えています。
末松: それは圧倒的に有利ですね。いま、独自でデファクト(標準)を取るのは難しくて、マイクロソフトに対抗するJavaのように、一人勝ちの構造があれば、他社が対抗するオープン連合が出てくるし、さらにAPIが公開されればオープンソースの製品が出てきてしまう。特にITの世界では、シェアを取ったりパートナーを得るためには無料にしないと拡がらないという構造になってます。
しかし、Javaでもオープンソースでもそうだと思いますが、プラットフォームの構築に携わり、新しい仕様について常にトップでいれば、それを使った新しい動きを最初に作れる。それを活用して、携帯なりPDAなり自動車なりどんどん拡げていける。そういう状況は、十分な競争優位を作れるのではないでしょうか。
吉本: ええ、そうだと思います。それに、携帯電話はLinuxだけでは作れないんです。通話部分の通信系のところ、これを「下もの」と呼んでいますが、ここだけを受け持つCPU周りは未だTRONを使っています。一方、インターネット通信系などを受け持つ「上もの」用のもう一つのCPUはLinuxで動いています。この上ものと下もののつなぎ目のところが作りにくいので、これらを上下セットにして出すことで、差別化を図ろうという計画です。
また、下ものは現在3Gですが、今後さらにHSDPA(3.5G)の採用でスピードが上がっていく。その際に、NECが他社に先駆けて下ものを作ろうとも考えています。また、これからの携帯電話は海外とのローミングを視野に入れたGSM搭載のデュアル端末になるんです。そうすると、ますます下ものはいろんな機能を搭載する必要があるので、3G携帯を発売していない企業も多い中、いま言ったようなミドルウェアの存在は大きな戦力になっていくだろうと思うんですよね。
末松: NECは、「中国での通信事業を中国3Gビジネス強化のために再構築した」と発表したり、中国での研究開発体制を積極的に拡大していますね。それは中国をターゲットにしているのですか、それとも世界を見据えているのでしょうか。現在、国内の携帯電話端末のシェアはNECがトップでも、グローバル市場で見るとトップ5にも入っていませんが、大きな野心をお持ちですか。
吉本: 中国も含め、世界に向けてということです。もちろん中国ローカルをターゲットに、中国人の採用を積極的に進めようという動きもありますが。これまでの海外市場でNECは、2.5G関係が利益的には儲けにならなかったこと、開発体系の絡みもあって新製品が思うように出せなかったことから、GSMの開発を休止したために2、3%のシェアにしかなりませんでした。
しかし海外ではインターネットを使用できる端末が伸びつつあり、中国もキャリアの方向が変わってきた。NECが国内で培ってきたインターネット接続技術などを積極的に活用し、落ち込んでいるシェアを回復して3Gのビジネスにもつなげたい。その突破口を中国に求めたのです。
現状では、2003年度の国内外を合わせた生産台数が約1500万台で、そのうち中国向けが約100万台。中国を含む海外向けは全体の3分の1程度です。それが来年度は200〜300万台を中国向けへと目指しており、2005年頃には海外向けが全体の生産量の半分、中国向けはさらにそのうちの半分を占めるだろうと我々は考えています。
末松: 「中国発の研究技術開発」を目指すということですが、ソフトウェア開発というよりはR&Dに近いのですか?
吉本: ドクターと呼ばれる人々を集めたR&Dもあれば、ソフトを作ったり、キャリア対応で顧客と話し合いながらスペックを作るところ、両方ありますね。
末松: これまで日本企業の中国利用はソフトウェア開発の部分が大きく、R&Dの可能性は認めていても実行してはきませんでした。これには、相当な潜在力がありますよね。
吉本: 確かに、おっしゃるとおりです。しかし、どこまでオープンにするかという問題もあるんです。中国の場合、こちらから持って行ったノウハウを吸収した人がスピンアウトして別会社を立ち上げ、そこでそのままコピーを作るというケースもあるので……。今回は、中国の発想で作ったモノを日本へ持ってこようという方向性になっているんです。
末松: なるほど、それは本当の意味でのR&Dだ。Linuxは、グローバルな開発体制が可能な点が有利だという声をよく聞きますが、中国では国策としてLinuxを進めている。それも影響していますか。
吉本: それは大きいです。中国にはTRONの環境がないし、プラットフォームとしてもNECが既に独自に作ったものなので、それを理解してくれというのも無理な話。だからといってソースを全部見せてしまえば丸ごとコピーされる可能性もあるけど、ある程度オープンなものであれば見せても大丈夫ですからね。また、少々時間はかかるけれどもLinux用にAPIを切り直せば、中国でその上に搭載する部分を作ってもらうことで簡単に中国向けの携帯電話端末ができあがるし、カスタマイズも容易なんです。
中国ではいま、少量で高品質な携帯が売れている。どのメーカーもたくさんの機種を投入してきていますが、それぞれが10〜20万台しか売れない世界らしいのです。そういった状態に対応するためにこちらでプラットフォームを整備して、中国のデザインハウスあたりに作らせるという戦略を考えています。そのためにはLinuxベースのプラットフォームが一番ピッタリでした。
NECが業務用ソフトの研究開発やOEM供給などで提携を結んでいる、中国の大手ソリューション企業であるNEUソフトも、Linuxを基に開発を進めています。
ただひとつ怖いのは、中国には「オープン」や「スタンダード」といった、みんなで一緒にやっていこうという意向を無視しがちなこと。例えばNEUソフトにしても、NeuLinuxというものを作ってしまってメインストリームにフィードバックしていない。自分勝手に変えてはまずいだろう、とやきもきしている状態なんですよね。
末松: Linuxが普及しすぎると、Linuxが持つ「枝分かれをさせてはいけない」という重要な思想も薄くなり、勝手に枝分かれを作り出してしまい、逆に自らの首を絞める恐れがある・・・・。
吉本: 中国ではあり得ますね。枝分かれがなぜいけないかを説明するのも難しい。自分たちだけですべてができると思っていて、GPLも守ってるしオープンにもしてるのに何が悪い、と考えているでしょうから。しかし、そういった部分は、今後の経験で変わっていくだろうと思うのです。NECもずっと自前の製品作りを進めてきたおかげで、規模の大きいソフトやOSをメンテナンスするのがいかに辛いかが、心底身にしみましたから。標準からはずれてしまうと、メインフレームへバグが見つかったり新たな機能がアップされたときに、既にそこから大幅にはずれ、基のソースもだいぶ変わってしまった自分たちのソフトにどう反映させればいいのか散々悩むものなんですよ。おかげでいま、Linuxの基本理念を有り難く感じていますからね。
末松: 例えばPCは、インターフェースをオープンにしてきたという歴史がありますが、携帯電話端末はクローズ垂直でそういった動きがありませんでしたよね。それは変わっていくんでしょうか。
吉本: 携帯電話が普及し始めた当時は、通話以外の機能を搭載することを考えていませんでしたから、とにかく小型と電池長持ち競争のために独自の作り込みをしていったんですよね。そのために、各企業が独自のアイデアを持って細かいところをほじくって電池を長持ちさせ、実装も基板の中にチップを埋め込むなどの工夫を重ねてやってきた。そういう背景があるので、本当の意味でのオープンに頭が回るのはこれからなのではないでしょうか。CPUの性能もかなりアップしており、PCを数年遅れで追いかけて伸びているので、このごろになって「もしかしてPCと同じ道を歩んでいるのかも?」と気づき始めたところ、という段階だと思います。ですから、NECもオープンなミドルウェアなどの外販を考えているんです。
末松: 携帯の付加価値が、既に上のレイヤーに来ているとすれば、そこでの競争になるわけで、ベースの部分は共通化して開発スピードを上げ、より魅力のある製品を作ってマーケットを大きくしていくことができる。つまり、付加価値が高ければ基本部分を共通化しても問題ない。その延長線上では、携帯電話にPDAや決済機能が付くなど、様々な方向へ発展していくのでしょうね。
吉本: はい、そうですね。それでいつも悩むのは、PDAと携帯とをどう切り分けるか、それともひとつになる方向で行くのかということなんです。持って歩くのは1つに絞りたいけど、PDAのような大きさになったらそれで電話をしなくなるのは明らか。自分の中でも、まだ答えはでていません。
末松: なるほど。携帯Linuxにおける、現在と今後の課題があれば、教えていただけますか。
吉本: TRONベースで作り上げたリアルタイムOS部分、そういったこれまでの財産をどれだけLinuxで押さえられるかが勝負です。OSだけをTRONからLinuxへ変えるだけなら簡単なんですが、それではその後の改造や変更に差し障りが生じてしまい、Linuxにする意味がまったくない。その上、プラットフォームを作成する作業をいま同じタイミングで進めようとしているので、以前TRONで作ったものを整理してAPIで切り崩し、ミドルウェア化するのがちょっと時間がかかりますね。国内向けの携帯も一緒にやっていますし。
末松: そのミドルウェアは、他社も採用するでしょうか?
吉本: 日本の会社だとちょっと難しいでかもしれませんね。コアだけ持っていって、自分たちでやるということになるかもしれない。しかし、中国や韓国で携帯電話端末を作っているデザインハウスには需要があると踏んでいます。数十〜百人の会社の規模で、端末を作ってますから。既にあるプラットフォームやパーツを集めて作り上げるのに慣れているんですよね。ターゲットとしては国内よりもむしろ、そちらの方かなと思っています。
末松: 彼らはもうすでに、オープン水平分業体制になっているということですね。今日は、NECが、グローバルな動きを敏感に察知され、大胆な改革に取り組んでおられることを知り、驚きました。期待しています。
世界シェア・ランキングのトップ5本の指にも入っていない携帯事業に社運を賭け、R&Dまで中国に移管する。壮大な戦略であるが、巨大なリスクが伴うことだろう。しかし、戦略とは経営資源を傾斜配分することであり、そこには当然、リスクと社内軋轢が伴うことになる。社内軋轢に直面し、リスクをとること自体が、本来は戦略なのである。高度成長からバブルまでは、日本は投資すれば儲かるという時代が続いていて、そこにはリスクをとることの価値が存在しなかった。「横並び」に「総花」が咲き乱れる市場、全員に温情を分け与えられる組織には、真の経営者が育つ土壌は存在しなかったともいえるだろう。
リスクはリスクである。NECの賭けが失敗する可能性は、もちろん否定できない。しかし、戦略のない企業が生き残れなくなった時代に、そしてそれでもリスクをとれない企業ばかりの日本において、NECは数少ない「沈没しない可能性のある企業」だといっても過言ではない。Linuxを採用するという意思決定は、真の経営者が下した企業戦略なのである。
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