オープンソースか否か、それが問題だ

 目下、ヨーロッパの反米主義の矛先は主に独自開発を行う米国企業のソフトウェアに向けられている。その一方で、オープンソースソフトウェアの人気は高まるばかりだ。オープンソースソフトウェアとは、複数のプログラマがボランティアで開発し、無料で配布しているプログラムのことで、コードが公開されているため、ユーザーはソースの内容を自由に閲覧したり、変更を加えたりすることができる。

 現在、一部の国際機関や中央・地方政府でオープンソースソフトウェアの導入を義務づける動きが進んでいる。法案のトーンは、控えめに推奨するというレベルから完全な義務化まで幅広いが、今のところ米国(オレゴン州、テキサス州、ニューヨーク市)を含む40ヶ国で約80の法案が提出されている。

 オープンソース優先法を定める必要があるのか、と素朴な疑問を持つ人もいるだろう。「有料か無料か」なら、答えはひとつしかないように思える。

 しかし、状況はそれほど単純ではない。というのも、ライセンス料はソフトウェアの総所有コスト(TCO)のごく一部にすぎないからだ。ソフトウェアを導入すれば、従業員のトレーニングやバグ修正、サポート、カスタマイズ、ユーザー対応、メンテナンスといった追加コストが発生する。

 プロプライエタリなソフトウェアの場合は市場のメカニズムが働くので、生き残るためにベンダーはこうした問題に対処するほかない。

 だがオープンソースの場合は違う。この運動にはビジネスとイデオロギーという2つの要素が混ざり合っている。たとえば、Linux OSは代表的なオープンソースソフトウェアだが、企業はLinuxを自社のプロプライエタリソフトウェアのプラットフォームとして採用することもできる。たとえば、Microsoftに次ぐ世界最大のプロプライエタリソフトベンダーであるIBMは、Linuxベースのプロプライエタリソフトウェアを開発している。

 このように、企業はオープンソースを使って利益をあげることもできるが、オープンソース運動の起源は共有とボランティア精神であり、金儲けではない。その精神は今も変わっていない。

 ボランティア運動のひとつの弱点は、参加者が楽しいと思える作業のみに人材が集中してしまうことだ。オープンソースソフトウェアの場合も、コーディングに協力したいというプログラマは跡を絶たないが、ドキュメンテーションやルーチン業務に名乗りを上げる者は少ない。このあたりの作業はもっぱら、企業の貢献分野となっている。

 さらに問題なのはボランティアのインセンティブだ。オープンソースの場合は、互恵性や仲間からの承認が開発のインセンティブになっている。このバランスが保たれているうちはコミュニティの結束は強く、プログラマは協調的に開発に取り組むが、貢献をしていない人間にまで恩恵が広がりはじめると、コミュニティの基盤はゆらぎはじめる。企業や政府がソフトウェアをタダで手に入れるために、なぜ自分たちが汗を流さなければならないのか? 自動車メーカーから車をもらえるわけではないし、政府が税金を免除してくれるわけでもない。相互依存の原則はくずれ、やがてあつれきが生じはじめる。

 こうした構造上の脆弱性が、開発構造としてのオープンソースの可能性に疑問を投げかける一因となっている。オープンソース運動が唱えた協調の精神は、たしかに革新的で創造的なものだったかもしれない。しかし、運動が成熟すれば状況も変化する。1世紀前にMax Weberが「カリスマの日常化」という概念で指摘した通り、プログラマが時とともにやる気を失う可能性は高い。

 もちろん、一部の定番ソフトウェアは今後も生き残っていくだろう。しかし、何らかの商業的利益がからんでいる場合を除き、オープンソース運動から新たに特筆すべきソフトウェアが生まれたり、ハードの進化にあわせて既存プログラムの書き換えが行われたりするかどうかは何ともいえない。

 こうした疑問点を考えていくと、オープンソースソフトウェアを熱心に導入している企業や政府は、危うい立場に立たされているといわざるをえない。ボランティアのプログラマが開発のインセンティブを失わない保障はないからだ。組織内で保守を続けるという選択肢もあるが、そうなればTCOははねあがる。もちろん、ソフトウェアベンダーが今後もオープンソースソフトウェアの開発や配布に利益の一部を回すことは十分に考えられるだろう。

 しかし、それはユーザーがオープンソースソフトウェアのコストを間接的に負担することにほかならない。結局TCOはふくらみ、代金を直接払うか、間接的に払うかの違いになる。オープンソースソフトウェアは「無料」だという優先法推進派の主張はまったく意味をなさなくなるだろう。

 あるいは、推進派はオープンソースモデルがいずれ破綻することを見越し、ゲームの行方を操作するために、政府の購買力を利用しようとしているのかもしれない。TCOに無頓着な政府ならだまされる可能性は十分にある。

 優先法の成立は歓迎すべき事態ではない。オープンソースとプロプライエタリソフトウェアが競争し、お互いの長所を学びあうこと---それがユーザーにとっての利益となるからだ。市場は平等な競争の場であるべきだ。

 オープンソース運動の担い手であるプログラマにとっても、優先法は公平なものとはならないだろう。優先法でプロプライエタリソフトウェアが売れなくなれば、プログラマは自分のスキルを売る場を失うことになり、その結果事実上プログラマは「ボランティア」として永遠にただ働きを強いられることになる。

筆者略歴
James V. DeLong
米ワシントンD.C.にあるThe Progress & Freedom Foundationのデジタル資産研究所長。

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