例えば、基本的なエンジン機構だけでなく、無数のセンサーと多数のコンピュータによってミッションやディファレンシャルやブレーキまでもが統合的に制御されている。これらにはセンサー技術、組み込み制御技術だけでなく、複数のコンピュータ同士の通信技術も応用されている。また、車の直接的な制御だけでなく、ボディや空力パーツのデザインに3次元CADシステムやスーパーコンピュータによる空力シミュレーションを利用している。走行中、走行後に集めたデータの解析はさらなるスピードアップにつながり、パーツや制御ソフトウェアなどの開発には、最新のプロジェクトマネジメントの手法も取り入れられている。レース中は、燃料消費量やタイヤ、ブレーキの温度、磨耗、各部のストレスや不具合などもリアルタイムでモニターして、的確なピット指示やスケジューリングに役立てている。そのため、ピット内のコンピュータとF1マシンに搭載された制御コンピュータ、データロガーとを通信するデータテレメトリーシステムも不可欠で、こうしたF1を支えるデータもコンピュータとネットワーク技術の賜物といえる。さらに、蓄積された膨大な過去データはデータベースで保管され、レース中でもリアルタイムに参照されてレース運びや戦略の決定に貢献している。
コンピュータシミュレーションの賜物。複雑なリア、側面の形状 |
自動車メーカーにとって、F1に代表されるモータースポーツへの進出は市販車への技術フィードバックが目的であるといわれている。自動車関連の技術が発展途上であった過去においては、それはまさに主目的であり、F1は各メーカーの実験の場だった。しかし、技術革新や進歩によって市販車の信頼性や性能が一定の段階に達したとき、実質的な市販車への技術フィードバックという目的は変化した。市販車へ還元するべき技術と純粋にF1で競争するための技術の乖離が激しくなったのだ。1万数千回転も回るエンジンは渋滞や低速走行には向かないし、ファイバー製のボディは乗員の保護という意味では現実的ではない。1レースで何本も交換しなければならないタイヤは市販車には必要ない。このように、競争というモータースポーツ本来の意義が強調され、それが相乗効果のように増幅されると、競技に特化しすぎた技術は、市販車にはオーバースペックであるかギミックとしての付加価値しか生まないものとなった。
しかし、その転換点が訪れる。1980年代半ばになると、当時としては市販車の技術だったコンピュータ制御がF1マシンのエンジンに導入され始めたのだ。F1エンジンにおいては、燃料噴射のみ、点火時期のみといういわゆるシングルポイントの電子制御はポルシェが80年代初頭に採用しているが、コンピュータによるF1エンジン制御といえばホンダの名前が浮かぶのではないだろうか。ホンダがエンジンサプライヤーとして二度目のF1に参加したとき(1983年〜)、コンピュータによるエンジン制御システムの搭載の他、さまざまなセンサーの情報をピットに無線で飛ばすテレメトリーシステムも話題になった。
ホンダによるF1エンジンのコンピュータ化は、市販車でそうであったようにその後ほとんどのF1チームに浸透していった。そして、レーシングカーのさまざまな部分への応用、設計からチーム運営までIT化が進んでいることは冒頭に述べたとおりである。途中、レギュレーションによるコンピュータ制御を制限する動き(現在アクティブサスペンションは禁止されている)もあったが、もはや機械的に成熟したF1マシンに唯一残された技術革新の余地を抑え込むことはできなかった。
このように、市販車から見ればスペックも実際の運動性能も別次元の存在であるF1マシンにも、私たちの身近に存在する技術や製品が応用されている。現在ではそれらなしには成立しえない状態でもあるわけだ。一時はフィードバックするべき技術はなくなったかに見えたF1テクノロジーだが、コンピュータやITを導入することで、再び市販車や市販車の技術との接点をとりもどしたといえるのだ。
市販車のECU。ROMはCPUとともに1チップ化されている(写真提供:デンソー) |
ちなみに、自動車のエンジンをコンピュータで制御することにおいては市販乗用車が先である。おもに排気ガス規制対策や燃費向上のために実用化された技術だが、燃焼温度や空燃費(シリンダーに送り込む空気とガソリンの混合気の比率)などを最適に制御する必要があり、さまざまな状態で細かく制御するにはコンピュータが必要だった。古くは、デンソーがマークIIとコロナ用(18R-E)にアナログコンピュータを搭載したのは1972年だ。デジタルコンピュータのECU(Engine Control Unit)は1980年のマークIIの5M-EUエンジンからだという。日産自動車では、1979年6月に発売されたセドリック430に搭載されたECCS(Electronic Concentrated engine Control System)というシステムが、燃料噴射と点火時期をマイクロコンピュータによって統合的に制御した最初のECUだ。ホンダは1982年発売のシティターボが量産乗用車初のECU搭載車だという。その翌年にはF1へ投入していることになる。
次回は具体的な事例としてIT企業のF1へのサポートや取り組みを紹介する。みなさんおなじみのIT技術がどのようにF1に貢献しているのかレポートする予定だ。
用語解説
テレメトリーシステム:センサーからの信号を主に無線技術によって遠隔地に飛ばすシステム。F1においては、さまざまなセンサーから集めたレーシングカーの測定データをピット内のコンピュータに送信するシステムとなる。
アクティブサスペンション:ばねとオイルピストンによる車輪の緩衝装置(サスペンション)を路面の凹凸やG(重力、遠心力)による入力への反応だけでなく、コンピュータによって能動的に動きを制御するシステム。F1では現在禁止されているが、逆に市販車用にBOSEがアクティブサスペンションを実用化している。
アナログコンピュータ:アナログ電子部品による微積分回路にアナログ信号を入力し、その出力信号を計算結果とするようなコンピュータ。「プログラム」は抵抗とコンデンサーによる時定数や回路特性の調整によって行った。
ECU(Engine Control Unit):メーカーごとに独自の名称や商標を持っていたりするが、一般的にECUといった場合、キャブレターやディストリビュータ(点火プラグへ一定のタイミングで配電する部品)を単体で電子制御するのではなく、ノックセンサー、温度センサー、アクセル開度、その他の情報をもとに、総合的に燃料噴射装置や点火時期などを制御するユニット。制御にはマイクロコンピュータが利用され、制御はROMに書き込まれたプログラムと制御データマップによって行われる。
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