前編に引き続き、ジャーナリストの佐々木俊尚氏、弁護士の小倉秀夫氏、独立行政法人産業技術総合研究所の高木浩光氏、ゼロスタートコミュニケーションズ専務取締役の伊地知晋一氏による座談会をレポートする。テーマは、「ネットID」だ。
ネットIDとは、実名・匿名という議論や各ネット事業者単体のレベルではなく、インターネット業界全体でユーザーのプロフィールを定義する、より広範な仕組みのことだ。ネット上で使用する共通IDを規定し、掲示板やブログのコメント欄に適用すれば、ネット上の書き込みに起因する誹謗中傷などの問題が解消できる可能性もある。
インターネットの書き込みによって起きる誹謗中傷の問題は、匿名であることがその原因であると考えられているが、匿名か実名かという議論は実は表層的な部分に過ぎない。ネットIDが実現するであろうトレーサビリティは、法的な問題が生じた場合にのみ本人確認できる仕組みを意味している。そのため、インターネットユーザーは常に実名を名乗るべきかどうかは、また別問題である。
ただ、この話題はたびたびネットでも紛糾していることから、ネットID座談会レポートの後編では実名と匿名の是非についての議論を取り上げる。まずは匿名に肯定的な立場をとる佐々木氏俊尚氏の発言から。
佐々木:僕は匿名言論に対してけしからんとは全然思っていません。ただ小倉さんがおっしゃったように、誹謗中傷という形で法的な問題が生じたときにそれがきちんとトレースできるようにしましょう、というのは賛成です。
実名か匿名かというと、一言で二つに分かれるようですが、実は匿名ってものすごく種類がたくさんあって、一つはペンネーム、つまり通名があるし、ネットIDに近い考え方で言うと、匿名だけれどもアイデンティファイされている。要するにユニークであるかどうか認識されているかどうか。だから、匿名というのは書く場所によって全部違う人になっているということですね。
今のインターネットの世界では、2ちゃんねるは一部の固定ハンドルをお持ちの人を除くと今は完全な匿名の世界だと思いますが、特にブログの世界の場合は、ある程度匿名なんだけれどもペンネームであり、なおかつ、「ダン」と名乗っている人があちこちで書いているとか、「R30」と名乗る人があちこちで書いているという、ある程度、この人が書いているんだと認識している状態。
僕が、匿名言語を守るべきだとずっと言っているのはなぜかというと、別に匿名こそがいいというわけではない。ただし、日本の社会というのは、誰が言ったかというのをやたらと気にする属人的思考がすごく根強かったが、ここ数年で何を言ったかをちゃんと大事にしましょうという文化がようやく表れてきているから。
それをきちんと大事にしていくためには、やっぱり実名で、小倉先生という弁護士が言っているからみんなが信用するとか、そういうのではなくて、属性から引き離されたところで意見をきちんと見るというようなアンチテーゼとしての言論が出てくるべきじゃないかとすごく思っているんです。
ただ当然それをやると、ノイズのような荒らし行為も一緒に引っ張って出てきてしまうわけだし、一方であまりにもフラット化が進んで今みたいに全く一人一人は無でいいんだみたいな話になってしまったら、それはそれで行きすぎだと思うし、だからそこをどうバランスを取っていくかが難しいわけで、その一つの解決方法としてのネットIDという話が出てきているのではないかという気がしているんですが。
小倉:誰が言ったかではなくて、何を言ったかを重視したいのであれば、その人は重視したらいいと思うんです。それは受け手の側の選択で。
ただ、この問題については自分は判断する能力が乏しいから、どういう人が言ったのかを重視したいとことは常にあると思うんです。そういったときに誰が言ったかわからない、あるいは医者であると名乗っている人が、こういう場合にはこういう薬がいいですよと言っているけれども、それがどの医者が言っているのかわからないとなったら、やっぱり困るんじゃないかというのがあるんですよね。
佐々木:それは言っている場面によりますよね。例えば、医療掲示板とかそういうものがあって、そこで発言しているのだったら医者かどうかはすごく重要なことだと思うんです。法律の掲示板だったら法曹の人か一般の人かという違いはあると思いますが、でも誰でも参加できるような普通の掲示板で、これからの日本社会はどうあるべきかとかで、実名を開示する必要があるのかどうかといえば、あまりないような気がするんです。
世の中には「俺が大学の先生でござい」と言って、「なんでおまえが俺の言うことに従わないんだ」と言ってしまう人がいっぱいいるわけで、そういう人たちにどう対抗するのか。例えば、その人とフリーターの青年が議論をすると、「おまえはフリーターのくせに」って必ず言う。
大学なんかに結構セミナーや研究室に呼ばれて話をしに行ったりするんですが、そうすると大学の先生で50代から60代の人たちは、「あの人たちはフリーターとかニートなんでしょう、卑怯じゃないですか」って、皆さんおっしゃる。それって結局、フリーターやニートを馬鹿にしているんですよ。そういう議論の仕方をしているから駄目なんだというのがあるわけです。
だからその前提を考えると、小倉先生がおっしゃるのは確かに理想論ではあるけれども、一方でそういうふうに思ってしまう駄目な人がいっぱいいるわけだから、まずそういうのを蹴散らさなければいけないというのが前提じゃないかと思います。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス