ウェブサイトはHTMLをブラウザが描画して見るもの、と思っていた時代がそろそろ終わりに近づいている。
ウェブ標準が提唱され、HTMLはXHTML+CSSとなり、今までソースを汚していたTABLEタグ、イメージ情報等は排除され、HTML自体が純粋にデータと意味のみ記載されたマーキングアップテキストになってきている。
利点でもあり欠点でもあるのだが、wwwに公開されているもの、というのは基本的には全て「もっていく事が可能なデータ」である。いままでも、正規表現等を駆使して、目的のサイトをスクリーニングする事ができたのだが、各サイトによりバラツキがあり、統一のフォーマットというものがなかった。
しかしホームページの多くがブログ化されたことにより、今多くのウェブサイトは一定のフォーマットにより決められた書き方をされている。
上記したようにHTMLがデザインを切り離し、フォーマット化されたことにより、システムでのparseがより容易になった、また正しくマークアップされたデータであれば、自動で文章のプライオリティ等も計る事ができる。
そのURLに何が書いてあるか、何がいいたかった事なのか、という情報はそのサイトを表示せずとも、システム側で取得し、把握し、生成することができる。
で、僕が最近思う事は、そろそろウェブサイト=ホームページという構図はなくなっていくのだろうなということ。
今までホームページというのは、作成者が家(ホーム)をこさえて、自分の好きなデザインを行って、好きなページ構成をもって、公開していた。だけれど今後、ウェブサイトのソースがデータ化されると、他人の家にいかずとも、自分の家で、他人の家の中身だけとってきて、自分の好きなデザインで表示させることが出来るようになる。
ウェブデザインは正念場だなと思うし、ブラウザというものがいつまでこういう形をしているかわからない。ブログを見る事に特化した、アプリケーション等は今でもすぐ作れるのだ。
そうなってくるとどうだろう。データを公開し、ユーザーを集め、広告を取る、といったモデルは破綻に近づいていくのではないだろうか。専用のアプリケーションを用いて表示すれば、広告情報は排除され、より自分が見やすい形で表示できるのであれば、ブラウザではなく、そういったアプリケーションで表示するユーザーは増えて来るだろう。
データが交わる場所を作る、データを表示する場所を作る。これが次のインターネットにとって、大事な事ではないかと思う。
タイムリーな話題として、先日発売されたiPod touchに搭載されているyoutube閲覧アプリケーションというものがある。Youtubeに行かずとも、快適に動画を検索し、閲覧する事ができる。
また、IPv6時代には、すべての家電がインターネットに繋がる、とも言われている。料理レシピサイトをわざわざパソコンを開いて表示せずとも、電子レンジからレシピ情報にアクセスできるようになる、と言われているのだ。
そもそもパソコンのブラウザからアクセスするのだけがインターネット、というものではないのだ。
ウェブサイトがなくなる、というのは直近の話ではない。企業サイトやブランディングサイトがあり、視覚で楽しむウェブデザインというものに価値がある以上はなくならないかもしれない。
しかし、より情報にアクセスしやすくデザインされた端末、アプリケーション化の流れは近いうちに訪れるだろう、と僕は思う。
水波桂(セプテーニ・クロスゲート)
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
地味ながら負荷の高い議事録作成作業に衝撃
使って納得「自動議事録作成マシン」の実力
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス