マンマシン・インターフェースの専門家で、Apple Computer在職時にはMacintoshプロジェクトの立ち上げに大いに貢献したJef Raskinが、米国時間2月26日に61歳で亡くなった。「The Humane Interface」という著書もあるRaskinだが、死因は癌だったと、同氏の自宅で電話に答えた男性が明らかにした。
Raskinは1978年1月に31番目の社員としてAppleに入社。その後1982年に同社を去ることになったが、この時のSteve Jobsとの仲たがいはよく知られている。
同氏は元カリフォルニア大学サンディエゴ校の助教授で、1970年代にStanford Artificial Intelligence Laboratoryに客員研究員として赴任していた当時、Xerox Palo Alto Research Center(PARC)を初めて訪れた。Appleは、PARCで開発されたグラフィカル・ユーザインターフェース(GUI)をコピーして、Mac OSに組み込んだとよく非難される。
「PARCができて間もない頃、私は研究者の立場でよく遊びに行き、議論に参加したり、開発中の技術の一部を見て喜んでいた。またPARCの研究者のほうも、ユーザインターフェース(UI)に関して私が彼らとかなりよく似た考えを持っているのを知って喜んでいると思った。私には、UIとグラフィックが将来のコンピュータにとって最も大切なものになる、という考えを売り込む必要がなかったからだ」と、同氏は後に書いている。
Raskinは1976年にSteve JobsとSteve Wozniakに初めて出会った。当時2人が仕事場にしていたガレージで、Raskinは自分がPARCで目にしたものの話をした。同氏はAppleで働き始めたのを機にPARCに足を運ぶのをやめたが、これは「利害衝突の可能性を避ける」ためだった。
Raskinはその後JobsがMacintoshプロジェクトに口を出すことが多くなったのを受け、同社を去ることにしたとされている。
RaskinはAppleを去った後、Canon Catというマウスやアイコン、グラフィックを使わないテキストベースの小さなコンピュータを設計した。しかし、Canon USAのマーケティングがうまく行かなかったことから、この製品は短命に終わった。
Raskinはニューヨーク大学で数学と心理学の学士号を取得し、ペンシルベニア州立大学からコンピュータ科学の修士号も取得している。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをCNET Japanが日本向けに編集したものです。
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