SCO Groupの巻き起こしたオープンソースに関する大騒ぎについて、Microsoftが何を口にしていないかを、よく考えてみよう。
Microsoftは、企業のIT部門管理者に対して、「オープンソースのアプリケーションを使うと、特許を専門とする弁護士との間で厄介なことになる」とは言っていない。また同社では、「オープンソースの開発者コミュニティは、私的財産を不正流用する連中を生み出す温床だ」とも 言ってはいない。
これは、Microsoftがそうした考えに同意していないからではない。そうではなく、単純にそういう汚れ仕事をSCOにさせたほうが、ずうっと楽だからだ。
SCOが、自社の持つUnixの技術が不正流用され、Linuxオペレーティングシステムのなかに見つかったとの疑いを理由として、IBMを相手に10億ドルの損害賠償を求める訴えを起こして以来、Microsoftが密かにこの訴訟のための資金をSCOに提供しているのではないかという噂が渦巻いている。映画「プラトーン」や「JFK」などをつくった社会派の映画監督Oliver Stoneこそ、いまはまだSCOとMicrosoftのつながりを暴き出してはいないけれど、陰謀説の大好きな連中は、すでにMicrosoft会長Bill Gatesの指紋がそこかしこに残っていると信じており、5月19日に発表されたMicrosoftによるSCOからのUnix関連技術のライセンス取得のニュースを捕らえて、自分たちの考えが当たっていたと言っている。
彼らの考えの真偽はさておき、ここでは以下の2点に注意してみよう。
MicrosoftとSCOが交わした取引の結果、Microsoftはオープンソースコミュニティを服従させようと脅しをかけている会社と正式な同盟を結んだこととなった。これで得られるメリットのうち、Microsoftにとって最高のものは、Linuxを利用する企業ユーザーに圧力をかけたカドで、司法省から告発されずに済むという点だ。米国政府と最近和平協定を結んだばかりのMicrosoftだから、同社CEOのSteve Ballmerがいま一番欲しくないのは、彼の手下の連中が弱いものイジメして、その尻尾をつかまれ、そのことを人前で明らかにされることだ。いっぽうで、SCOなら手荒な真似に出ても済まされるし、それを指示したMicrosoftの連中は、身に危険の及ばないところで、ヌクヌクと道徳的なキレイごとを並べていられる(「おやまあ、Linuxのなかにあるコードは盗まれたものだった可能性があることを知らなかったのかい?」)。このやりかたなら、両方の世界のいいとこ取りができる。
重荷を背負う役目から開放されて--少なくとも今のところは--Microsoftは好き勝手に反Linuxキャンペーンを打てる。Windows上で動くビジネス用アプリケーションを開発する企業の優位点を宣伝してまわるというのも、このための1つの手だろう。しかし、Linuxのなかに盗用されたコードが混じっているというSCOの議論に話を戻せば、ソフトウェアのカーネルのなかに何を入れるかを、特定の一社がコントロールする開発モデルの利点に、Microsoftが焦点を当てるのは確実だろう(包み隠さずに言えば、「Windowsの側についていれば、ある日他人の特許権を侵害したと訴えられるような目には遭わない」ということだ)。
いま持ち上がっている騒動が、はたしてIT部門の管理者を「Linuxには近付かないようにしよう」と確信させるかどうかはまだわからない。これまでのところ、Microsoftは、ペンギン軍団の前進を押しとどめる間違いのない戦略を編み出してはいない。皮肉屋なら、現在進行中の騒動は、知的所有権の保護よりも、むしろLinuxに対する恐れ、不確実性、そして疑念を浸透させるためのものと結論付けるかもしれない。法律に違反しているかどうかという質問には、最終的に法廷で答えが出されるだろう。その時までに、Microsoftは戦術的な勝利を一つ手中に収めようとしている。
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