Web 2.0 Expo/Tokyoの2日目は、O'Reilly Media 創業者でCEOのTim O'Reilly氏とミニブログブームに火を付けた米Twitter共同創業者、Evan Williams氏の対談で幕を開けた。
O'Reilly氏は、昨日の伊藤穣一氏との対談の「日本人は失敗に寛容でない」という話題を振り返り、Williams氏のこれまでの歩みと失敗について聞いた。
Williams氏は20歳だった1993年に大学を中退し、2年後に、9カ月の間、Tim O'Reilly氏率いるO'Reilly Media社で働いていた。
1999年、Williams氏は創業したてのPyra社に加わる。ブログブームの火付け役となった初のレンタルブログサービス、Bloggerを開発したベンチャーだ。
Williams氏が、「実はPyraはBloggerを始める前に別の事業に取り組んでいた」と明かすと、O'Reilly氏は「Pyraもまずは失敗から始まった。最初の事業を進めながら、これは柱にはならないだろうと思って始めたBloggerが、あっという間に広がり、『これこそ僕らがやるべきことだ』と気がついたんだ」と補足した。
ドットコム・バブルの終焉とともに、Pyraは資金を使い果たし、社員を大幅削減したが、その後も7人体制で頑張り続けたところ、2003年、Googleに買収されることが決まった。
こうしてWilliams氏は、Pyraでの失敗を経て、Google社員となった。当時のGoogleは社員数800人で、今と比べると小さいが、それでも、もっとも注目されていたIT企業だった。しかし、Williams氏は安定を選ばずに再びベンチャーの世界に舞い戻る。
「4年間、汗と涙にまみれて守ったBlogerをGoogleが買ってくれたのはいいことだったが、やがて物事が軌道に乗って、自分が抜けてもうまくまわるところまで到達すると、Googleの中にいるよりも外にいる方が楽しいと思うようになった。」
こうしてWilliams氏は、彼の友人が運営していたベンチャー企業、ODEOに、まずはアドバイザーとして参加した。これは当時、大きな注目を集めていたPodcastを商業化するベンチャーだった。
最初の失敗は資金がはじめから潤沢にあったことだという。
「我々自身、何をやったらいいのかわかっていない時点で、既に多額の投資が集まっていた。これが非常に邪魔になった。」(Williams氏)。
「下手にお金があるばかりに、成長が期待されるし、経営幹部を揃えなければならなかったりと、最初の数カ月は会社の組織づくりに注力しなければならず、製品そのものに注力できなかった。」(Williams氏)
O'Reilly氏は、多くのWeb 2.0企業が同様の経験をし、最初はあまりお金がない状態でスタートするのが望ましいと付け加えた。
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