Googleの「Android」は、同社のこれまでの取り組みで最も成功したものであると同時に、当初の原則の1つを完全には満たしていないものかもしれない。
多くの企業が経営理念、コアバリュー、公に表明した理想といったものを持っている。それらは、各社が主にお金のためにビジネスを行っているという事実を綺麗なリボンで飾るものとされている。周知のとおり、Googleは2004年、「悪事を働かなくてもお金は稼げる」という有名な宣言で世の中を大いに驚かせた。
Googleの理念を列挙したリスト「10の事実」の第1項目は、「ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみな後からついてくる」というものだ。GoogleのモバイルOSであるAndroidは、Googleが生み出したコンシューマー向け製品の中で初めて、焦点が完全にエンドユーザーに絞られているとはいえないものかもしれない。
その代わりに、Androidは主に2つの戦略的理由から開発された。1つは世界中のワイヤレスキャリアと携帯電話メーカーに、Appleと「iPhone」の隆盛に対抗するための競争力のあるOSを提供するためで、もう1つはGoogleのモバイル検索広告ビジネスの成長曲線を維持するためだ。この目的を果たすため、Googleは、実際のAndroidユーザーよりもパートナーを優先する一連の決定を下す必要に迫られた。例えば、メーカーが重いソフトウェアを搭載してAndroid搭載携帯電話のエクスペリエンスを損ねたり、Androidの新機能を端末に提供するペースをコントロールしたりすることを認めた。
Googleがエンドユーザーを無視しているというつもりはない。Googleは、Appleの「iOS」ソフトウェア(米国ではAppleとAT&Tが厳格にコントロールしている)に代わる有力な選択肢を世界に提供することが、エンドユーザーの利益に最も適うことだと主張している。エンドユーザーは、Androidが最初に発表されてから3年経った今、AT&Tに縛られた携帯端末や、職場のIT担当者がコントロールする野暮ったい「BlackBerry」を使いたくなければ、堂々と他の選択肢を選択できるようになった。また、「Google Maps Navigation」など、Googleが開発したAndroid用アプリケーションのいくつかは、ユーザーに焦点を絞った実に優れたアプリケーションだ。
しかしこのことが暗に示しているのは、Googleがインターネット検索にとどまらず他の市場にも参入するにつれて、これまでとは異なる企業になろうとしているということであり、それは、目標を達成するために当初抱いたものとは異なるものを重視しなければならなくなる企業や、理想主義よりもビジネスライクな現実主義に突き動かされて行動する企業、つまり実のところ、他社と同じような決定を下す企業かもしれない。Googleの従業員は常に、他社と違う特別な存在であることを信条としているが、Androidについていえば、同社は業界を喜ばせることに焦点を絞る決定を下した。そのことは、エンドユーザーにとって良い影響と悪い影響の両方を及ぼす可能性がある。
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