ここでの問題点は、単純化して言ってしまえば、Twitterが潜在的にその財政面の目標のいくつかを断念することによって、不安定性の問題に対処しなければならないのはおかしいということだ。地球上の人間の数は限られているし、人口の急増が永遠に続くわけではない。適切なインフラストラクチャがあれば、Twitterは世界最大のスポーツトーナメントに伴うツイートにも対処できるだろう。
問題になるのはむしろ、その背後にある哲学だ。つまり、非常に重要な通信プロトコルが(それによって広められるのが地震被害者からの援助の要請であれ、サッカーファンの落胆の叫びであれ)、たった1つの企業によって管理されるのが道理にかなっているのか、あるいは正しいことなのかどうかだ。Facebookのセキュリティに対する不安は、別のオープンソースのソーシャルネットワーキングサービスへの支持につながった。このサービスはそれ以来、一般のユーザーから20万ドルの寄付を集めている。確かに、Facebookユーザーの利益になる変更を行うと同時に、このプライバシー「スキャンダル」がFacebookの5億人近いユーザーの大部分には影響しないことが分かったことによって、Facebookのプライバシー問題をめぐる大げさな反応は収まっている。
しかし、Facebookの概念的な代替サービスDiasporaの若い開発者らによると、重要なのは、単なる1つのプライバシースキャンダルではなく、「ソーシャルグラフ」が1つの企業に所有されるべきではないという考えだという。同じ問題がTwitterにも当てはまる。短文形式のグローバルなテキストコミュニケーションは、企業に所有されるべきだろうか。あるいは、電子メールや電話のテクノロジのように、互換性のあるプロトコルとすべきだろうか。このプロトコルは、短期的には10億ドル規模の査定額で取引される可能性のある製品にもなるが、その過程で数十年という寿命を持つ可能性も出てくる。
Winer氏はその点を、4月の時点でうまく言い表している。「Twitterには全世界から信頼を得てもらいたい」
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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