ウェブ開発ツールFirebugの生みの親、Facebookでは何をやる?

文:Miriam Olsson 翻訳校正:吉井美有2007年09月12日 08時00分

 FacebookのJoe Hewitt氏はもう子供ではない。

 Hewitt氏のプログラミングのキャリアは、7歳で父親のコンピュータをいじり回し始めたときに始まる。2000年には大学を中退してNetscapeに加わった。彼はFirefoxのチームにいたことがあり、ウェブ開発ツールのFirebugを作った人物であり、Parakeyの共同創立者でもある。Parakeyは、7月に発表されたようにFacebookが初めて買収した企業だ。その後彼は、AppleのiPhone用のFacebookをスタートさせている(AppleはiPhone用に彼が作ったiUIを宣伝している)。

 CNET News.comはHewitt氏にインタビューし、まだ若いにもかかわらず既に豊かなものになっている同氏のハイテク業界でのキャリアと今後について話を聞いた。

―シリコンバレーに来た経緯を話してもらえませんか。

 それはわたしが7年前にここに来たときに始まりました。わたしはニュージャージー州で育ち、刺激的なシリコンバレーのソフトウェア関連の動きに加わるためにここに来ました。わたしは2000年にNetscapeで働き始めましたが、それはNetscapeが急速に崩れつつあった時期でした。そこではNetscape 6を手がけることになりましたが、Netscape 6は完全な失敗でした。若いソフトウェア開発者にとっては本当にいい勉強になりました。ものごとをやらない方法を学んだと思います。Netscape 6に取り組んだ後にNetscape 7に移り、2年後にAOLが全業務を閉鎖して全員を解雇しました。わたしはなんとか解雇を免れ、その後もう1年AOLにいて、いろんなことをしました。その1年後、わたしはBlake Rossと一緒にParakeyを始めました。Facebookが7月に買収した、小さな新興企業です。

―Firefoxは?

 おっと、Firefoxを忘れていました。わたしのNetscapeでの最後の活動です。何もかもが完全な混乱に陥っていた2002年のことで、誰もがNetscapeがもうだめだろうと知っていた頃でした。このため6カ月間ほど何でも好きなことをできる状況にあり、多くの人が「ブラウザを作ろう」と言ったのです。わたしたちは常に何かを作りたいと思っていたし、NetscapeやAOLからの指示を受けることはもうなかったのです。わたしが他の人たち、Blake RossやDave Hyattと一緒に仕事をしたのはほんの数カ月間で、プロジェクトを立ち上げただけでした。

―それはFirefoxが小さいものだと言っているわけではありませんね?

 ええ、違います。小さかったのは、わたしが関わったのはFirefoxが有名になる2年前だったからです。そのころはPhoenixと呼ばれていて、わたしたちの小さな趣味のようなものでした。Mozillaが独立した財団になると、彼らはFirefoxに切り替える判断をし、2年間を費やしてそれを洗練された製品にし、完成させたのですが、わたしはそれには関わっていません。わたしはむしろ誕生に関わっていて、Mozillaブラウザから大量のゴミを取りのぞき、付けた方がいいと思う機能をいくつか加えました。例えばフォームの補完入力、カスタマイズできるツールバー、Googleの検索ボックスなどです。

―NetscapeとFirefoxブラウザの作成のあと、Blake Ross氏とParakeyを始めましたね。

 Parakeyのアイデアは、振り返ってみて思うに、Facebookのような何かを作りたいということでした。Parakeyはもっと個人的な出版や、特に年を取った世代の人たちが、彼らが興味を持ったもの、例えば写真やカレンダーなどを使って、本当にいいウェブサイトを作れるようにするということを目指していました。その方法を本当に簡単なものにしたかったのです。わたしたちのアプローチは、多くの面でAppleのアプローチに似ているところがありました。メディアと個人に焦点を当てており、ネットワークについてはあまり重点を置いていませんでした。わたしがFacebookにいて大変気に入っているのは、Facebookは素晴らしいネットワークを持っており、他の企業の人なら、例えばわたしたちがParakeyでそうだったように、夢に見ることしかできないようなことができることです。

―そしてParakeyを売却したわけですね。

 自分の新興企業を持っていて、ショーを行う自由と統制を持てるのが好きなら、それを手放したくはないものです。このアイデアが出てきたとき、はじめは「いいやこれは自分の会社だ。Facebookに渡したりはしない」という感じでした。しかし、これは結局素晴らしい決断であり、信じるてもらえるかどうかわかりませんが、わたしはここでも自分の会社で持っていたのと同じだけの自由を持っています。

―周囲の人は変わりましたね。これは、違った感じだと思いますが。

 実際、人生でこんなにBlakeを見ることはこれまでありませんでしたね。これはエネルギーになりますが、今ではむしろ静かなものになりました。面白いのは夜9時を過ぎてからですよ。みなあまりにも若いんです。わたしが以前大企業で働いたときには、それはAOLでしたが、わたしの方が若い側で、他のみんなはずっと年上でした。わたしが勤めていた会社の従業員の上限年齢は、エンジニアリングの世界でも30代から40代までという高さでしたが、ここでは、エンギジアリングチームの平均年齢は22か23でしょう。彼らは学校を出たばかりで、一部は学校を中退してここに来ています。これは楽しいですね。自分が大学にいた頃を思い出します。自分がまた若くなったように感じます。

―あなたは今28歳でしたっけ?

 もうすぐ29歳です。

―Parakeyでは、何もサービスを提供しませんでしたね。その2年間にはどんなことをしていたのですか。

 わたしたちは実験に時間を取っており、少し時間のかかることをしていました。きちんと理解することを重視していて、市場に何かを急いで出そうとはしていませんでした。そのころ、例のWeb 2.0が爆発していました。Blakeとわたしはもともとひねくれたタイプで、人々がやっていたことは急ぎすぎで、あまりよく考えられていないと思っていました。わたしたちは、「あなたのお母さんの人生はこれがあれば変わるよ」と言えるようになるときまで待とうとしていました。もし独自に続けていれば、そこまでたどり着いたと思いますが・・・。

―ParakeyはFacebookに組み込まれるのですか。

 いい質問ですね。今すぐにはお話できません。もちろん、わたしの頭の中に何年もあることですから、何らかの形ではFacebookに影響を与えていきます。

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