夏休み中のSFCのキャンパスは実に静かだ。研究室には人が少しは残っているものの、教室しかないキャンパスの中心部などはがらんと誰もいなくなってしまう。「湘南藤沢キャンパス」というくらいなので、すぐそばというわけではないが、湘南海岸までそうは遠くない。SFCに行くために降りる駅を乗り過ごして、江ノ島海岸まで行ってしまうべきだと少し思ったりもする。
僕も別にキャンパスが嫌いというわけではないが「夏休みはキャンパスに絶対足を踏み入れない」と心に決めていた。しかしどうしても必要な書籍を研究室に置き忘れていることがわかって、お盆明けに取りに行った。誰もいないし、特にやることもなかったので、移動時間が無駄だと思いつつも5分で用事を済ませてすぐに帰ってきた。
ネットワーク環境にべったりだったSFCの学生も、夏休みになるとネットから少し離れた生活をするようになる。がらがらになるくらいなのでキャンパスにいないのは当然だが、海外語学研修やサークル・ゼミの合宿、友達同士の旅行などに出かけると、自宅や下宿にいる時のように日中や夜に長々とオンラインになることはできなくなる。中にはあえてケータイすら通じないような山奥へキャンプに行っていたという人もいて、休みくらいネットから離れる経験をしようとする姿も見られる。メッセンジャーでのコミュニケーションやウェブ日記やBlogの更新などの頻度は落ちる。あれだけ学期中依存していたネットツールも、なければないで生活に支障がないというのもまた適応性が高いと見るべきだろうか。
SFCの近くに下宿をして通っている学生は実家に帰る人が多い。帰っても実家にもネット環境があるので、下宿にいるときのように夜中までオンラインになっていることもしばしばある。この場合はあまりネットから離れた生活というわけではない。ステイタスコメントに居場所を書かなければ普段とあまり変わらない。メッセンジャーで明日食事でもするかと誘うと「今実家だからムリ」と断られて初めて、実家に帰っているのだとわかる。学期中のデフォルトの距離感がそのまま前提として残るほど、ネットでは距離感が会話などに依存しているということだろう。
ところで、僕も大学のゼミの仲間5人で1泊の温泉旅行へ行ってきた。集合してみると、全員がコンパクトタイプのデジタルカメラを持っていた。もちろんみんなのケータイにカメラはついているが、口をそろえて「ケータイのカメラとデジタルカメラは別物だ」と言う。画質の問題、光学ズームの有無、カメラ起動の時間、フラッシュの有無など機能的な指摘も多かったが、一番の違いはカメラとしての形状と持ち方、撮るスタイルだそうだ。ケータイではどこか物足りないと言っていたが、この感覚はカメラがついているケータイが当たり前、という世代にはない感覚かもしれない。
旅行がスタートすると、常にカメラを片手に持つ5人。あえて「写真を撮るよ」とカメラに注目させるようなことはせず、至るところでシャッターが切られる。はじめのうちはお互いに、油断も隙もあったものではないと思っていたが、だんだん慣れてくると写真に撮られているという意識がなくなってくるから不思議なものだ。こうして道中5台のカメラでメモリいっぱいまで写真をとり続けた。
旅行から戻ってきて駅の近くの喫茶店で一休みしている間に、全員のデジタルカメラの画像をパソコンに取り込んでみよう、ということになった。温泉旅行なのにノートパソコンを持ってきたのは5人中2人。このあたりSFCの学生っぽいと感じてしまうところだ。1人のノートパソコンにメモリカードリーダーを接続して、5人分の写真データをコピーする。結果的には1泊の旅行で1GB近くの写真が撮影されていたことがわかった。1GBの写真を抱えることになったノートパソコンも少しかわいそうな気がするが、そんなことはお構いなしに写真を時系列に並び替えてスライドショーを見てみることにした。
スライドショーがスタートすると、いろいろ気づくことがたくさんあった。自分が実際に見ていた光景やシャッターを切ってカメラに納めた光景は覚えている。もし自分1人が撮影した写真だけでスライドショーを再生するなら「こんな写真も撮ったな」と記憶の範囲内の記録でしかないかもしれない。しかし今回は5台のカメラで同時に写真を撮っていったのだ。自分以外の視点で同じ場面が写真に残されていることになる。
たとえば1人が変なポーズを取っていたら、他の4人が4方向からそのポーズを写真に収めているのだ。同じ瞬間が4通りの絵で記録されているだけでも面白かったが、ある1枚の写真からは遠くの方にいる人が不思議そうにこちらを眺めている様子が写り込んでいるのに気付いたりして、そこでも話題が生まれた。あるいは二手に分かれていたときに、自分がいなかった方の様子をお互いの写真でうかがい知ることができる。
時系列に並べられて次々にめくられていくスライドショーを見ていると、ビデオで撮影する映像のように連続的な記録ではないものの、その場がありありとよみがえってくるような感覚を覚える。多数の視点で空間ごとと記録している、というとうまく言い表せるだろうか。そのときの記憶を、自分以外の視点による補助がなされながら、より鮮明に思い起こさせるための記録であると感じた。
1つ残念だったのは、カメラによって時間設定がずれていると言うことだ。2〜3分ずれている分には問題ないが、10分単位ともなると写真が前後してしまって、その空間の再現という訳にはいかなくなり、スライドショーにしたときに写真が前後してしまう。もちろんスライドショーの順番を並び替えさえすれば問題ないのだが、1GB分の写真である。全部をチェックするのは骨が折れる。
はじめに全員のデジタルカメラのタイムスタンプを合わせておけば良かった。もし旅行に行くときに全員デジタルカメラを持っていたら、出発するときにタイムスタンプを合わせるのをお忘れなく。
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