自己主張するノートパソコン

 テスト期間に入ってくると、SFCの学生達はメッセンジャーにログインしなくなる。メッセンジャーによるコミュニケーションが機能しなくなる季節だ。試験勉強やレポートで忙しい時に、メッセンジャーによる呼びかけが入ると無視しきれずに、作業が中断してしまう。それを防ぐための対策だ。たとえログインしていたとしてもステイタスは「退席中」や「昼休み」に設定していて受け付ける姿勢を見せない。そんな状況下では本来の状態を示す「取り込み中」にしている人が親切にも見えてくる。

 一方、試験中にメッセンジャーをポジティブに活用しようとする試みもある。試験の前日の追い込みの時期に、友達同士がメッセンジャーの多人数チャットで試験対策の相談や情報交換をするのだ。はじめは仲間内で始まったグループチャットも、参加しているメンバーがその授業を履修しているという条件で、他のコミュニティだろうが構わずチャットに誘ったりして、20人を超えるメンバーに膨れあがったりしている。足りない資料を共有したり、参考になるURLを教えあったりしながら行う試験対策。まあこれがどれだけ次の日のテストに役立つかは、僕の経験上やや疑問だが。

 メッセンジャーにログインしないという状況について、家電(家の固定電話)と比較してみると、いくら忙しくしている時でも家電の電話線を抜く学生はいないだろう。もちろん家電に友達から連絡が入ってくる事は少ないかも知れないが、連絡手段として切断する事はない。しかしメッセンジャーはより日常的なコミュニケーションのツールであるにもかかわらず、気軽に切断したままの状態を作りだしている。

 もし電話が日常のコミュニケーションツールだとしたら、忙しい時に電話線を抜いているだろうか? この扱いの差が現れる理由は、パーソナルなツールかどうかという違いであると考えてみてはどうだろう。全てが自分のコントロール下にあるという感覚で扱うため、自分の都合で連絡が取れない状態を作り出す事に抵抗がないのではないか。

 世間一般にパーソナルなコミュニケーションツールというとケータイだ。若者の利用動向を調べた時に「人間関係がまずくなるとメールアドレスや番号を抵抗なく変える」というインタビューを聞いた。これも人間関係を自分のコントロール下においている一つの姿だとすると、日常的なコミュニケーションツールを自分の都合でシャットアウトする様子としての共通点が見えてくる。SFCではパーソナルなツールがケータイと共に、ノートパソコンだということだ。

 ケータイに多くの人がつけているストラップ。利便性を考えてネックストラップを選ぶ人、プレゼントされたストラップをそのままつけている人も多いかも知れない。一方で毎日身につけているものとして、とても注意深くこだわってストラップを選んでいる人も多い。時にはケータイ本体よりも大きなぬいぐるみをつけている人もいて、ちょっと使いにくそうにしているが、利便性とは全く関係なくデコレーションとしてストラップをチョイスしている様子が浮かび上がる。

 SFCの学生のノートパソコンへの接し方もこれに近いものがある。共同購入で同じノートパソコンを持っている人が多いということもあり、本体の表面にシールを貼ったり、ネイルアートのようにペイントして楽しんだり。マウスは使いやすいものを選ぼうとするが、そこを少し犠牲にしてでも自分のノートパソコンと合わせた時に見栄えが良いかどうかでアレンジしている学生もいる。このようにノートパソコンの扱い方がケータイとほとんど同じになっているのは興味深い。自分が持っていて気持ちよいかどうかという点と、他人に見られてどうかという点の、混ざり合った心境から、自己主張がとてもカジュアルに生み出されているのではないか。これを「小さな自己主張」としよう。

 「小さな自己主張」はコンピュータの中にも入り込み始めている。メッセンジャーのステイタスもその延長と見る事ができる。さらにMSN Messengerの会話画面に表示されるアイコンはわかりやすい。自分の顔に設定している人以外は、最近撮影した写真や読んだ本、好きなタレントの画像を設定している人が多い。そしてiTunesのプレイリストもその一つだ。

 iTunesはWindows版もダウンロードが可能になって以来、シンプルな画面構成や検索性、iPodとの連携などがうけてSFCの学生の間に広く普及しているミュージックプレーヤーソフトだ。音楽共有機能Rendezvousが搭載されており、SFCの授業中は退屈しない。各教室の無線LANステーションにノートパソコンを接続しRendezvous機能をオンにしていると、教室内の他のコンピュータのプレイリストを参照することができるのだ。

 小さな教室では誰がどの音楽を聴いていそうか予想が付く。ダンスサークルでヒップホップを踊っていそうな人のプレイリストにはヒップホップの曲がリストされているし、いつもオシャレな先生のプレイリストにはジャズが沢山つまっていたりする。あるいは落語や英会話を多く入れている人もいる。そういうのはとても聞いてみたい衝動に駆られてくる。

 もちろん授業中にノートパソコンのスピーカーから音を出すわけにはいかないし、こっそりとイヤホンを耳に入れて音源を聞くなんて事もはばかられる。授業が終わってから聞こうと思っていても、授業が終わるやいなやみんなコンピュータを閉じて次の授業の教室へと移動してしまうため、共有がとぎれてしまう。とても聞きたくはあるが、叶わぬ願いだ。

 大教室ではさすがにどこにいる人がどのプレイリストを持っているかまでは分からない。その代わりに授業によって、洋楽が好きな人が多かったり日本のポップスが充実していたりといった傾向が現れてきそうだ。実際に調べた訳ではないが、授業の内容と学生の音楽の趣味の相関が出てきたら面白い。相関がないとしても、授業に出てきている学生によって教室の授業中の雰囲気が違うのと同様、教室の中にたまっている音楽が変わってくる。学生達の小さな自己主張によって創り出される雰囲気は、教壇から教室を眺めても、iTunesのプレイリストを通じて眺めても、同じような雰囲気になってくるかもしれない。

iPartyの様子

 iTunesのRendezvous機能を生かしたイベント企画も持ち上がっている。iPodなどの携帯ミュージックプレーヤーが普及し始めてから、iPartyというクラブイベントのスタイルが流行し始めている。クラブにiPodを持ってきて、DJミキサーに接続した上で自分のプレイリストの曲をクラブで流すというものだ。Rendezvousを使ったイベントでは、無線LANとiTunesが入ったノートパソコンで、ワイヤレスなiPartyをやってみようという試みだ。メッセンジャーなどでDJのノートパソコンにプレイリスト名と曲名を伝えて、DJは上手く曲を繋ぎながらリクエストに応えていく。

 iPodならポケットに入れておく事もできるが、ノートパソコンはそういうわけにはいかないのでクラブイベントと言うよりはラジオの公開録音のイメージの方が強いかも知れないが、DJの感性と参加している人のプレイリストによって、その日にかかるジャンルや曲が決まる。「小さな自己主張」が場の雰囲気を決定するという要素を還元したイベントになりそうだ。

 これはコンピュータ教室に並べられている共用コンピュータを使うのとは違う景色から生まれたアイディアだろう。そんな事を今学期の最終授業の教室で考えながら、授業が終わって自分のノートパソコンを終了しようとすると「プレイリストを共有している人がいます」とのメッセージが。授業が終わって初めて、自分のプレイリストも誰かに見られていた事に気付く瞬間である。

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