北城恪太郎氏--「オープン志向の挑戦が企業を強くする」

インタビュー:末松千尋(京都大学経済学部助教授)
構成/文:野田幾子、写真:吉成行夫
編集:山岸広太郎(CNET Japan編集部)
2004年02月19日 10時00分

日本IBMの社長時代、1990年前半の企業改革に取り組んできた北城氏。グローバルな大企業として初めてLinuxを採用したIBMのオープンソース戦略はどんなものであったのか。現在は日本IBM会長、そして経済同友会代表幹事として日本経済を牽引する立場にある同氏に、オープン時代の企業経営のあり方について聞いた。


経済同友会 代表幹事
日本IBM 代表取締役会長
北城 恪太郎 氏

1967年、日本IBMに入社。システムエンジニアとして電力会社などのシステム構築に携わる。1992年1月、同社代表取締役社長に就任、1999年11月よりアジア19カ国を統括するIBMアジア・パシフィックプレジデントを兼務。同年12月、代表取締役会長に就任。IBMグループ全体の世界戦略を担う世界経営会議メンバーでもある。また、2003年4月には経済同友会代表幹事に就任した




IBMの戦略転換は市場のニーズを汲んだ結果

末松: 1990年代、大規模な企業変革を行っていたIBMにいったい何が起きていて、そこにLinuxはどう絡んできたのかを、まず聞かせてください。IBMがLinuxを採用に踏み切った当時の背景はどういったものだったのでしょうか。

北城: 1993年よりIBMの会長を務めていたルイ・ガースナーの基本的な考え方は、「市場、つまり顧客が受け入れるものにIBMは力を入れていく。そしてIBMが成長し続けるために、できるだけオープンな基準を採用したい」というものでした。ある一社が決めた基準ではなく、多くの人々が広い範囲で利用できるものを基準として会社経営を伸ばしていきたいと。近い将来、市場ではオープンなソフトとサービスが成長して、IT産業で重要なポジションを占めるだろう……という読みに合わせ、IBMの事業構造もそちらにシフトしていったのです。

 実は日本IBMも、私が経営のトップにいた1990年の時点で既に「サービスへ移行しよう」ということは決めていました。半導体や磁気ディスク、通信の技術革新のスピードを予測した際、今後10年の間は技術が進歩し続けるだろうというのが研究所の意見だったのです。同じ価格でより高性能でより小さな製品が出てくる。それ以上に需要が伸びなければ結局は事業が縮小してしまうので、サービスへ展開しようと判断した。それをIBM全体として推進したのがガースナーでした。

 オープンということで言えば、インターネットはTCP/IPやHTMLなどの通信手段がひとつのオープンな基準となり、広く世の中の人に取り入れられました。一社独占ではなく、皆が共通の基準を利用できることから発展したという背景があります。

 ネットワークにおけるオープンの基準がインターネットだとすれば、ネットワークを利用するコンピュータのOSとしてオープンなのはLinuxであり、なおかつそれは多くの人々に支援されている。それを推進していくことが事業規模の拡大にもつながるし、事業の範囲が増えればIBMも参加する意義があると考えて、全社的にはオープンなものを推進する流れになったのです。

末松: 当時、IBMには、Linuxと対立する事業もありましたね。

北城: ええ、確かにOSを担当する事業部を初めとするいくつかは対立してしまいますが、事業全体を拡大するのに力を入れていった方がいいという判断でした。LinuxのようなオープンなOSは既存のOSと対立はしても、逆に新しいハードウェアの販売に可能性を見いだせるのではないかと踏んだのです。

 また、オープンソースの開発に自社の開発者が参加することで技術者のノウハウも蓄積されるし、それはサービス事業を展開する上では大きな財産になる。結果としていまはサービス事業が会社の売り上げの半分を超えるくらいの規模になりましたから、サービス事業の拡大に貢献できることは誰にとってもいいことだったということです。

末松: 「市場のニーズに応えた」ということですが、IBMがLinuxを採用すると決めた段階でのLinuxは、まだ小さなムーブメントでしかありませんでしたよね。ベンチャー企業ならともかく、IBMのような超大企業が最初に採用するには大きなリスクが伴っていたでしょう。「市場を開拓する」という意味合いはなかったですか?

北城: そうかもしれませんね。こういう新技術を使って本当に大丈夫だろうか、システムを構築しても支援されなかったらどうする──という不安はどの企業も抱えていたと思います。もし途中で衰退してしまったら、企業として採用した場合にミスだったということになりますからね。そういう意味ではIBMが積極的にLinux採用の方針を出したことが、その後の発展に大きく貢献したと思いますよ。

末松: Linuxの採用にあたって、具体的にどのようなリスクを想定されましたか。

北城: まず、Linuxが順調に発展するかどうかが定かでなかったこと。今後、機能がどれだけ拡充するか、どれだけ皆に受け入れられるか……この不透明さはかなり大きなリスクでした。また、いつかはLinuxが他OSの事業領域を浸食してしまったり、Linux上で動くアプリケーションソフトが無償になる可能性も考えられますからね。

末松: 現段階でも既に、Linuxから始まったGPLの製品領域も拡大し、ソフトウェアがどんどん無料化していきつつありますね。

北城: 実際の導入前に我々が心配していたのは、無料ソフトとアプリケーションソフトの接点であるインタフェースのところについてでした。知的所有権の観点からLinuxから派生したソフトと見なされてしまえば、データベースやアプリケーションソフトも無料化しなければならなくなるだろうし、その点について何度も議論を重ねています。

 例えば、将来的にはLinux上で動くデータベースも無償のソフトが非常に伸びるかもしれない。それは当然あり得ることだけれど、逆にOSという、社会に対してインフラストラクチャー的な基盤の上でいろんなデータベースソフト同士が競争していくことは、いいことなのではないかと思います。その方が発展につながるし、自分たちの製品は信頼性や性能、セキュリティ、機能などで差別化が十分にできると見ていましたから、ソフトウェアそのものが無料になる可能性があるから採用しない、という考えはありませんでした。

末松: なるほど、ある程度確信を持った決断だったのであり、リスクに関しても分析ができていたということですね。オープンソースがソーシャル・ムーブメントとしてどんどん拡がっていったとしても、一私企業として大きなリスクではないと。

北城: 拡がっていったら拡がっていったで、我々はそれを新しいビジネスの領域としてとらえるでしょう。且つそれが顧客にとって成果があり期待されているとしたら、それを踏まえて新しいビジネスモデルを考えます。その中でコンサルテーションかシステム開発か、あるいはIT以外の分野に進出したビジネス変革までをサービスするというような、新しい事業展開ができると思うんですね。

 要するに新しい動きを閉じこめるのではなく、革新を広めていく。企業カルチャーとしては変化に強く柔軟であり、常に最先端でいられるという自信を持っていますし、それは顧客のビジネスに貢献することで結果的に自社が発展する、という考えを礎にしていることが大きいと思います。

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