「YouTubeは本物のWeb 2.0と言えるのか?」
クリエイティブ・コモンズのLawrence Lessig(スタンフォード大学ロースクール教授)、「Web 2.0」の名付け親であるTim O'Reilly、ネオテニーの伊藤穣一、そして「IT Doesn't Matter」のNicholas G. Carrといった影響力を持つ各氏がいま、このテーマをめぐってさまざまな考えを表明している。
この議論の発端となったのは、Lessigが米国時間10月20日に自らのブログに挙げた「The Ethics of Web 2.0: YouTube vs. Flickr, Revver, Eyespot, blip.tv, and even Google」というエッセイ(日本語翻訳版はこちら)。この なかで同氏は、YouTubeと上記の他のサービスを比較しながら、「YouTubeには(同サイトに投稿されたビデオを)他のウェブページに簡単に埋め込んだり、(そのビデオのURLを記した)リンクを他のサイトへ効果的に送ることができる気のきいたコード("cool code")が用意されている。だが、YouTubeのシステムには、ほかの誰かがアップロードしたコンテントを本当の意味で取得できる簡単な方法は組み込まれていない」として、YouTubeを「偽物の共有サイト("Fake Sharing Site")」の例に挙げている。
さらにLessigは、「コンテンツにアクセスする自由は、Web 2.0の原理に関連していると私には思える」とし、この「本物の共有サイト」と「偽物の共有サイト」の違いに、「Web 2.0という言葉の示す価値観を押し広めようとする人々は注意を払うべきだ」と述べている。
このLessigの発言を受けて、「Is YouTube "Web 2.0"?」というエッセイを著したのが伊藤穣一。この10月22日付けのブログのなかで、同氏は「いま、Web 2.0(の現象)に便乗して、Bubble 2.0ともいうべき現象をつくりだそうしている人々がいる。そのため、Web 2.0は、ウェブの未来のためのプラットフォームになる代わりに、強欲な人々が目先の儲けを求めるためのプラットフォームになりつつあると考えることもできる」(「"I personally think that people are trying to build Bubble 2.0 on top of Web 2.0. Instead of becoming a platform for the future of the Web, it's possible that Web 2.0 is becoming the platform for the short-term future of greedy people."」)との個人的な考えを披露している。
さらに、伊藤氏は「Web 2.0の中心的なテーマのひとつは、ユーザーが自分自身のデータを自分でコントロールでき、人々が(それらのデータを)共有およびリミックスできる点にある」とした上で、上記の「偽物vs本物の共有」というLessingの指摘した文脈(=基準?)を引用しながら、「YouTubeはWeb 2.0の流れを代表する模範的存在だが、ユーザーにビデオのダウンロードを認めるという基本的な要件を満たしていない」とし、「一応『共有』サイトではあるが、ただしそれはLessigが言うように『偽物の共有サイト』だ」と述べ、さらに日本のミクシィのようなサイトもおなじ部類に入ると指摘している。「ミクシィでは、コンテンツをつくったり、それをアップロード(=共有)することをユーザーに薦めてはいるが、しかしそれをシンジケート(=配信)してはおらず、またコンテンツのリミックスなどをユーザーに認めてはいない」というのがその理由だ。そして同氏は、「Bubble 2.0に殺到する企業各社が、ウェブの中核的な原則を踏みにじってまで、ARPU(Average Revenue per User:ユーザー1人あたりの収益)向上をねらうことが許されないことを真剣に願っている」("I do hope that the rush to Bubble 2.0 doesn't allow companies to trample over the core principles of the Web in their drive for more ARPU (Average Revenue per User.")と記している。
一方、Tim O'Reillyは10月23日付けの「Real Sharing vs. Fake Sharing」で、Lessigの上記のエッセイを踏まえながら、「本物の共有サイト」と「偽物の共有サイト」の違いが今後ますます重要になると指摘。そして、話の矛先をGoogleに向け、「これまで検索サービスを中心に、他のサイトの存在を目立たせ、人々の注目を分散させる役目を果たしてきたGoogleだが、最近ではGMailやOrkut、Google Calendarなど、ユーザーの活動やデータを自社のサービスに集中させる(そして、それを通じて自社のみの利益を追求する)ようなものも目立ってきている」と述べている。
「switchboard vs. repository(交換機対集積所)」という表現でこの2つの違いをとらえるO'Reillyは、特にGoogle Book Search(GBS)に関してGoogleがどちらの方向性を選択するかに関心を寄せているという。そして、「Googleが、人々の注目を分散させる役目を果たしてきたこれまでの実績を忘れないことが非常に重要だ。自らの運営するサイトに人を集め、長い時間そこにとどまらせようとするやり方--つまり集積所となろうとするのはWeb 1.0だ」という(なお、YouTubeの仕様に関する部分や、このGBSの試みについての箇所など、O'Reillyのこの文章にはGoogleへの配慮(もしくは遠慮?)が目立つ印象もあり、その分歯切れがよくない)。
O'Reillyは、Googleの経営陣がこの「switchboard vs. repository」あるいは「オープンか、それともクローズドか」の違いをきちんと理解しており、しかも自社のサービスすべてを解放したいと考えていることを示す証拠がはっきりとあると考えているようだ。しかし、同時に「Lessigのような人々(の考え)がわれわれに思い出させるのは、良い意図を持った人々でさえ、折りに触れて彼らが直面している選択について思い出させる必要があるということだ」として、Googleが(利益追求を重視して)クローズドな方向に傾いていくことへの警戒感を示唆しながらこのエッセイを結んでいる。
なお、この議論については、発端となったLessigのエッセイを受けてのNicholas G. Carrの発言(その冒頭でCarrは「Web 2.0のムーブメントは『デジタル版の毛沢東主義』とするJaron Lanierの発言を引用している」)やそれに対するLessigの反論など、さらに発展を見せている。それらを含めたこの話の続きについては、また明日に。
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