私はここ数ヶ月、マイクロソフトが、同社の忠実なユーザであり続けることの意味を与えてくれるのを待っていた。しかし、それももうあきらめた。先週、私は遂にInternet Explorerを捨ててFirefoxに乗り換えた。
オフィスでは、長年のFirefox支持者である同僚が満足げに私に話しかけてきた。なにをそんなに迷っていたのか、と。しかし、私だって決して簡単にInternet Explorerをあきらめたわけではない。
私には、新しいソフトウェア上でさまざまなアプリケーションが正常に動作するかどうかを試してみる時間もなければ忍耐力もない。だから、競合する製品の中でどれを選ぶかを迫られると、ほとんどの場合、マイクロソフト製品を選んでしまうのが常だった。
そう、私はマイクロソフトという巨人に対して何の抵抗も試みない弱虫である。人間にとって究極のコンピューティングエクスペリエンスを追い求めることよりも、物事が正しく動いてくれることのほうに興味がある。それが、有罪判決を受けた略奪的独占企業にしがみつく利点である。つまり、かなりの程度まで統一性がとれており、またアプリケーション同士も統合されていると仮定できるわけだ。
しかし、とにかく試してみろと言われて、自宅のマシンにFirefoxをインストールしてみた。そして驚いたことに、私はたちまちFirefoxが気に入ってしまった。ポップアップブロッカーも気が利いているし、RSSフィードにも簡単に取り扱える。時間は計測しなかったが、ウェブページを素早く読み込んで、何の問題もなく開くことができた。
Internet Explorerにこれと同じくらいの魅力があるかというと、そうは言いかねる(せいぜい、Firefoxと同様のポップアップブロック機能が最近になって導入されたことくらいだ)。Internet Explorerのレスポンスが悪い理由を特定することができたら、ハーバード・ビジネス・スクールの研究論文並みの価値があるだろう。しかし、マイクロソフトだってウェブブラウザ技術の強化に関して、いつも無気力だったわけではないことを思い出すのは意味のあることだ。
マイクロソフトはブラウザ市場への参入については後発だったので、先発組に追い付こうと必死だった。最初の頃は、失敗もした。ウェブブラウザに対する最初の数年の取り組みはまったくだめだった。しかし、ウェブブラウザ戦争に勝つことはマイクロソフトにとって社運を左右する大問題だった。アプリケーション開発者とユーザの間に位置する主要インタフェースとしてのWindowsの地位を、Netscapeのブラウザに奪われるわけにはいかなかったのだ。
Internet Explorerは、バージョン3までには、Netscapeに追いつき、その後、遂にNetscapeを追い抜くまでになった。後はご承知のとおりである。ユーザにとっては残念なことだが、1999年でウェブブラウザの進歩は止まったも同然の状態となってしまった。
いや、実際には後退したといったほうが正確だろう。Internet Explorerのせいで大きく変わってしまったことが1つある。それは、Internet Explorerがブラウザ市場を独占してしまったために、ブラウザの世界がずっとひどい状況になってしまった、ということだ。マイクロソフトの経営陣がInternet Explorerのセキュリティ問題について、あまりにも後手にまわってしまったために、ウイルス作者によってInternet Explorerの脆弱性が悪用され、無警戒なユーザに莫大な被害を与えることになってしまった。
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