この記事は『RIETI(経済産業研究所)』サイト内に掲載された「デジタル放送の「善意の嘘」は許されるか」を転載したものです。
「1000日で1000万世帯」の結末
2000年12月、BSデジタル放送が開始されたとき、総務省と業界団体は「1000日で1000万世帯」という普及目標を掲げた。その1000日目(8月末)のBSデジタル受信機出荷台数(速報値)が先月、発表されたが、デジタル・ハイビジョンテレビは116万台、既存のテレビにつけるチューナーを含めても248万台と、目標の1/4以下である。ケーブルテレビ経由の「視聴可能世帯」は193万世帯だが、そのうちデジタルで視聴できるのは14万世帯にすぎない。業績見通しと実績がこれだけ違ったら、普通の会社なら経営陣の責任問題だが、総務省の責任を問う声はメディアから聞こえてこない。放送局も新聞社も「共犯」だからである。
BSデジタル推進協会が2001年に行ったBSデジタル放送普及予測調査によれば、「BSデジタル放送開始後ちょうど1000日時点(2003年8月27日)でのBSデジタル放送視聴世帯は963万世帯に達し、開局3周年(2003年12月1日)では1067万世帯に」なるはずだった。この「予測」作業を行ったのは野村総研だが、彼らが政府や業界の注文にあわせて数字を偽装したのだとすれば、シンクタンクとしての倫理が問われなければならない。
その後も「ワールドカップでデジタルテレビは爆発的に売れる」とか「冬季オリンピックで・・・」などと「神風」が期待されたが、何も起こらなかった。今年のデジタル受信機の出荷台数は、月産5〜7万台の間で頭打ちだ。広告収入は激減し、来年3月期決算では債務超過に転落するBSデジタル局も出てくると予想される。失敗するのは最初からわかっていたことだが、問題はだれも失敗を認めず、さらに大きな地上波デジタルという失敗をこれから始めようとしていることである。
粉飾決算はなぜ犯罪なのか
こうした数字の偽造は、霞ヶ関では珍しくない。1990年代に大蔵省(当時)が行ってきた「大手銀行は1行もつぶさない」という公式発表にも、いま問題になっている道路公団のバランスシートにも共通にみられるのは、たとえ問題があっても、政府がそれを正直に認めると社会不安をまねくので、数字を「粉飾」して国民を安心させようという発想である。こういうとき「嘘も方便」というが、この方便というのは仏教用語で「衆生を導く手段」のことである。官庁の「粉飾発表」の背景にも、エリートが一般大衆をだましてでも善導しようという発想がある。
こういうやり方は、国民の知識水準が低く、情報が官庁に偏在しているときには、それなりの有効性をもったかもしれない。大蔵省が日本経済をコントロールできるなら、「本当の数字」は官僚だけが知っていればよかったし、たとえ嘘でも役所が「大丈夫だ」ということには意味があった。それは、銀行が破綻しても大蔵省が救済するというコミットメントの表明だからである。しかし官庁にリスクをコントロールする力がなくなると、こういう嘘は問題のチェックをさまたげ、金融システムのように取り返しのつかない状態にしてしまう。
企業の破綻に際しても、似たようなことが起こる。粉飾決算を株主が信じてくれれば、助からない会社も助かるかもしれないし、助からなくても元々だから、数字を偽造するのは悪意ではない。しかし粉飾が日常化すると、その企業の再建が手遅れになるばかりでなく、すべての企業の決算の信頼性が失われて、株式市場が崩壊してしまう。粉飾決算に刑事罰が課されるのは、このように個別の企業にとっては善意の嘘が、市場全体に「外部性」を及ぼすからである。
いま霞ヶ関で起こっているのも、「粉飾発表」が日常化した結果、政治家や官僚のいうことをだれも信じない状態である。特に技術革新が急速で高度な専門知識の要求される金融や情報技術の世界では、もはや官僚は「情報弱者」であり、彼らが嘘をついても何の効果もない。重要なのは、これまでのように特定のインサイダーが情報を独占してリスクを封じ込める集権的なリスク管理から、リスクについての情報を開示して、国民の判断にゆだねる分権的なシステムに変えることである。
地上波デジタル計画の凍結を
こうした中で、総務省は1800億円の国費を投じて、地上波デジタルというさらに大きな(そして危険な)賭けに打って出ようとしている。総務省の放送政策課長、福岡徹氏は、「地上テレビ放送のデジタル化で経済効果は212兆円」になるという「予測」を表明している。負けが込むほど賭け金が大きくなるのは、まるで麻雀やパチンコのようだが、彼はこんな荒唐無稽な話でも「お上」がいえば国民は信じると思っているのだろうか。
「自業自得」ですむBSデジタルとは違って、地上波デジタルは国民全員に迷惑を及ぼす。総務省の計画どおり2011年に現在のアナログ放送の電波が止められると、全国に1億台以上あるテレビは、すべて「粗大ゴミ」になってしまうからだ。今年末の放送開始から7年あまりで、日本中のテレビをすべてデジタルに置き換えるには、毎年1400万台もデジタルテレビが売れなければならないが、日本のテレビは毎年1000万台しか生産されておらず、そのうちデジタル受信機は100万台足らずだ。地上波デジタル化計画は、物理的に不可能なのである。
BSデジタルは、デジタル放送の「実験」ともいえたし、万が一ぐらいは成功する可能性もあった。しかし実験が失敗に終わった今、必要なのは、まず失敗の原因を検証し、それを繰り返さないためにはどうすべきかを考えることである。地上波デジタルの計画はいったん凍結し、その事業としての見通しについて正しい情報を公開した上で、国会であらためて論議すべきである。世界各国でデジタル放送は失敗しており、放送開始を急ぐ理由はない。粉飾された需要予測にもとづいて、破綻した計画を強行するのは犯罪である。
RIETIサイト内の署名記事は執筆者個人の責任で発表するものであり、経済産業研究所としての見解を示すものではありません
※RIETI初出は9月ですが、転載が10月になったために一部表現を変えてあります
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