ケータイビジネスを語る際、端末に組み込まれる機能を開発する「端末組込」のビジネスと、でき上がった機能を使った「サービス立案」のビジネスの両方について考える必要がある。
端末組込の側では、1年後に発売される端末には何の機能を実装するか、ユーザーがその機能を使うシーンを想像し、ビジネスのイメージをあわせ持った上で開発していくことが必要だ。その結果として生まれてきたケータイアプリケーションが電子メールであり、Javaアプリであり、デジタルカメラであり、ワンセグチューナーであるわけだ。
一方、サービス立案の側では、端末に組み込まれた機能を使いユーザーに受け入れられるビジネスを組み立て実現することで、ビジネスを広げていくことができる。その結果生まれたのがiモード公式サイトでの課金コンテンツ販売やケータイを利用したプロモーション、ケータイを利用した業務システムなどだ。
両者は、まったく別のレイヤーでその役割を担っているが、日本のケータイビジネスの成功は、両者がお互いの歯車を噛み合わせ、それぞれの歯車を大きくしていったことが、ケータイのビジネスレバレッジを実現していると想像できる。日本のケータイビジネスの発展に欠かすことのできない両者にスポットをあて、ケータイビジネスを考えてみたい。
ケータイアプリケーションの現状を理解するには、ケータイ端末がどのような変遷をたどり現在の姿になったか少し振り返りながらひも解くと良くわかる。
日本のケータイ通信端末の元祖は無線呼び出し、いわゆる「ポケベル」であり、その歴史は1968年まで遡ることができる。地味な携帯端末であったポケベルを一躍表舞台に押し上げたのは1994年〜1996年当時の女子高生だ。今は30歳前後になった当時の彼女たちは、1990年代に入ると友達同士が外出先でコミュニケーションを行うツールとして、ポケベルに目をつけた。
彼女達はポケベルの数字に意味を持たせ、「14106」は「あいしてる」、「3341」は「さみしい」、「0840」は「おはよう」など小さな液晶画面に表示する数字を使うコミュニケーションを流行らせ、1996年の契約件数は約1077万件となり、日本人の10人に1人がポケベルを持つまで広がる原動力になった。
ポケベルの普及と平行して人気を集めたのは、1995年に発売されたPHSだ。PHSは双方向で通話とメールでコミュニケーションができた点や端末価格の手軽さ、通話料金の安さ、地下鉄でもつながるといった点が受け、女子高生からは「ピッチ」という愛称で呼ばれ、社会人にも普及し勢いがつきかけた。しかし、ハンドオーバー時の通話品質の悪さ、ケータイの普及、ケータイとの通話料金の高さ、通話エリアの狭さなどネガティブ要因が重なり、1997年に700万台まで普及したものの、次第に衰退してしまった。
端末 | アプリケーション | ピーク時年度 | 台数 |
---|---|---|---|
ポケベル | 文字列を使った通信 | 1996年 | 1077万台 |
PHS | メール、通話、テンキー、 PIM、電卓など | 1997年 | 700万台 |
デジタルケータイ |
PHSとほぼ同等の機能。 ただし、ハンドオーバー時の通話品質良く 通話エリアがPHSより広い | 1998年 | 5000万台 |
インターネット接続ケータイ |
フルブラウザ、音楽再生、iアプリ、BREWアプリ、 Flash、カメラ、TV電話、赤外線、外部メディア保存、 Bluetooth、HTMLメール、ドキュメントビューワ、 PDFリーダー、GPS、FeliCa、ToruCa、Suica、 ラジオチューナー、ワンセグチューナーなど | 2006年 | 8159万台 |
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