グループウェアを核にベンチャー企業として急成長してきたサイボウズ。東証マザーズ上場に続き、当時、設立からの最短記録で東証2部上場を果たし、2006年7月3日には創業から約9年で東証1部上場となった。
このサイボウズは、高須賀宣氏が松下電工を退社して仲間3人と1997年8月に創業した。順調に成長を遂げ、東証一部にまでなったわけだが、サイボウズの会長に就任することになっていた高須賀氏は、これを直前に突然撤回して渡米してしまった。
米国では、何度も何度も起業する「シリアル・アントレプレナー」が多いが、日本ではまだまだこうした動きは少ない。現在、高須賀氏は米国で「LUNARR」という会社を新たに立ち上げて、新ビジネスを展開しようとしている。サイボウズ創業者として成長した企業をなぜ去る決断をしたのか、なぜ米国で新たに起業したのか。高須賀氏に、サイボウズを創業したときの話から、現在の新会社立ち上げまでの軌跡を伺った。
小池:起業家にはいろいろな歩みがあって、アメリカでは、シリアル・アントレプレナーといって、何度も何度も起業する人たちも多いんだけど、日本ではまだまだ少ないんだよね。
日本では起業して、投資家から投資を受けると「成功するまで一生やりなさい」みたいなプレッシャーがあり、シリアル・アントレプレナーが生まれにくい環境もある。僕自身も、サラリーマン時代に自分で企画提案して設立した米国法人をMBO(マネジメント・バイアウト)して独立し、その後、日米で多くのベンチャーを立ち上げ・サポートしてきた経験がありますが、高須賀さんも自ら創業し成長させたサイボウズを引退し、次のステージに向かって新たな起業にチャレンジしている。基本的に僕も似たような歩みがあるんですが、その辺を対談形式でインタビューさせてもらいたいなと思っています。
実は、僕はすごく物持ちがよくて、アメリカにいた時でも、日本でも、僕は実際にお話しを聞いたビジネスプランの資料って、ほとんど全部取ってあるんですよ。それで、サイボウズさんのもすごく印象に残っていたので大事に取ってあるんです。ほら、それがこれです。
高須賀:えっ、懐かしいな。まずい展開ですね(笑)。
小池:いや、まずくないよ、全然まずくない。すごく懐かしくてね。
高須賀:やばい! 何が出てくるんだろう。
小池:僕がアメリカにいた頃お会いしたのを覚えていますか。このビジネスプランを作成して1年目ぐらいのときかな。1998年の。これを見ると、まだ住所が愛媛県松山市の時だね。
高須賀:うわっ。このビジネスプランはちょっと恥ずかしい写真みたいできついですね。サイボウズを始めてちょうど1年目ですね。
小池:僕、すごく印象に残っているんですよ。たしか、最初は松下電工に就職したんですよね。そして、僕自身がアメリカで好きなことをやっていたから、うらやましがって。自分自身も企業内で新しい事業をやろうとしているというような話をしていたと思いますが……。
高須賀:松下電工の中に社内ベンチャー制度というものがありまして、その制度を使ってコンピュータのソフトウェア会社を作ったんです。それで、若いということもあって1年間副社長をやらせていただきました。そのうちに、多分小池さんと同じような感じかもしれませんが、僕の場合はその社内ベンチャー会社とは違う商売、まあサイボウズなんですが、自分たちだけでやったほうがうまくいきそうだなということで、(松下電工を)辞めちゃったんですよ。
小池:ですよね。すごく僕は印象に残っていて憶えているんです。製品はある程度できていましたよね。
高須賀:ありましたね。ただ、“売り物”と言えるほどのものじゃなかったですけど。
小池:売り方をどうしようかということをご相談されて、何かいろいろアドバイスさせていただいたような覚えがあるんですが、そのときに投資していれば……。
高須賀:やっぱり最初の時点で投資する人はいないですよね、きっと。そう僕は思います。
小池:僕はシード段階でリスクを取って投資しますが、アメリカにいたのでサポートの観点から投資できませんでした。まあ、そんな思い出があるんですが、改めてお聞きすると、そもそもサイボウズを設立しようとしたきっかけは何だったんでしょうか。先程の社内ベンチャー制度がどういうものだったかも含めてお聞かせいただけますか。
高須賀:私はもともとコンピュータの技術者だったんです。偉そうに自慢をしますと、松下電工ではネットワーク技術者としては若くしてトップだったんです。それが幸いに認められて、ある大がかりなプロジェクトに入らないかという話があったんです。簡単に言うと、役員やボードメンバーの意志決定のスピードと精度を上げるという壮大なプロジェクトでした。そこで、各部署から本当の意味でのエースを集めて……。
小池:なるほど。日常のプロセスをちゃんとロジカルにやりましょうというプロジェクトで、エリートが集められたのですね。
高須賀:はい。それで、そのプロジェクトとしてコンピュータシステムを作ることになって、僕に白羽の矢が立ったんです。その人たちとやってプロジェクトは見事に成功して。それが僕にはすごい転機になったんです。そのときに、事業や経営というものの切り口を初めて知りました。僕はただの技術バカで、技術から離れるのはすごい恐怖心があったんですが、このプロジェクトの経験を通して経営や事業がすごくおもしろいと思うようになりました。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス