ビジネス向けのノートPCとして世界に確固たるブランドを築き、2022年で誕生30周年を迎える「ThinkPad(シンクパッド)」。1992年の誕生時からThinkPadの開発をけん引してきたのが日本の大和研究所であり、事業がIBMからLenovoに移管されてからも、製品開発の象徴的意味合いも込めてその看板は外さず現在に至っている。
大和研究所のサイトリーダーであり、レノボ・ジャパン 執行役員常務 Distinguished Engineerを務める塚本泰通氏に、大和研究所のモノづくりや、今後のPCがどう進化していくのかについて聞いた。
——まず、グローバル、国内ともにPC市場のトップを走り続けているレノボの製品開発体制と、大和研究所の役割についてお話しください。
塚本氏:レノボのPC事業は現在、米国と中国、日本に3大開発拠点を擁し、“イノベーショントライアングル”という形で密に連携しながら製品開発を進めています。その中で日本は、ビジネス向けの重要な開発拠点という位置付けです。
日本では、NECパーソナルコンピュータ(NECPC)との合弁でNECレノボ・ジャパングループを形成していています。大和研究所のほか、米沢にもNECPC側の研究開発拠点があり、連携して製品開発を進めています。
大和研究所では、単にPCというよりも、ユーザーの仕事の生産性を上げるツールとしてのソリューションを提供することを目的に活動しています。以前はそれがPCだったのですが、この数年リモート会議がとても大事な要素になってきました。ビジネスユーザーの生産性を上げるために電話会議システムも開発し、そのほかにも外付けディスプレイやアクセサリーという領域へと対象を広げています。
大和研究所はThinkPadの開発拠点という印象が強いかもしれませんが、今はユーザーの仕事をお助けするツールやソリューションを開発するという立ち位置にいます。
レノボ全体の話をしますと、IBMからPCのほかにもサーバー事業を、さらにグーグルからモトローラを買収してビジネス領域を広げ、2021年度に全部門が黒字化を達成しました。今までは部門別に成果を追っていましたが、スマートフォンからタブレット、PC、サーバーまで全部ラインアップしているハードウェア企業はレノボだけです。これからは「From Pocket to the Cloud」を掲げて、ワンレノボとしてトータルでユーザーにサービスやソリューションを提供するという方向性で動いていきます。
——塚本さんご自身はどのようなキャリアを過ごしてきたのでしょうか。
塚本氏:2002年に日本IBMに入社して、その時からThinkPadの開発チームに入り、レノボに転籍してからもずっとThinkPadの開発を担当してきました。2018年から、ThinkPadの開発リーダーとして製品開発を統括し、2021年からは日本における研究開発チームのサイトリーダーとして、米沢も含めて全体の開発を統括しています。
基本的にはThinkPadの開発一筋ですが、2012年から2015年まで、既存の製品ではなく2〜3年後を見据えた技術の発掘、プロトタイプ開発を行うイノベーション開発チームに所属し、その時にPC開発のスタイルを開発チームが主導して行うように改革をしました。
その後2017年まで、グローバルのPC・スマートデバイス製品開発グループのシニアバイスプレジデントの技術アシスタントとして、グローバルのPC戦略策定をリードするポジションを経験しました。ビジネスのことも勉強してThinkPadに戻ってきた形です。
——レノボのPC開発のスタイルを変えたのですか? もう少し詳しく教えてください。
塚本氏:以前はプロダクトマーケティングや製品企画の担当者がユーザーと話し、各国の要求を踏まえて仕様として落とし込んだものを開発チームに持ってきて、それに対して私たちはこういうことができるとフィードバックする形で製品開発を進めていました。
それを、「こういうコンセプトで、こんな製品はどうだろう?」と、こちらからアイデアを持っていくように変えたのです。その開発スタイルをレノボでは、「イノベーションパイプライン」と呼んでいます。
もともと、人が決めたスペックのものを作るより、“自分が作りたいものを作りたい”という性格ということもあり、最初に研究所の開発チームでブレーンストーミングをして、自分たちでプロトタイプを作り、それをプロダクトマネージャーや製品企画に見せるようにしたのです。その結果として、レノボの製品開発やイノベーションの起こし方に変化が生じました。
——イノベーションパイプライン開発で生まれた製品にはどのようなものがあるのでしょうか。
塚本氏:例えば、PCをより良いものにしようという中で狭額縁(きょうがくぶち)ディスプレイのThinkPadを開発した際は、狭額縁を最初に市場へ出したメーカー同様、私たちも3辺狭額縁でカメラを下に配置するプロトタイプを作っていました。
ただ、カメラを下に置くとビデオ会議やカメラをオンにしたときに、下から見上げるようになってしまって格好が悪く、「ちょっとこれは使いたくないよね」となり、新たに細いカメラを作って上部に配置することにしました。それで生まれたのが、「X1 Carbon」という製品です。
研究所ではアイデアを出して、ユーザーのためになりそうな技術実装を提案します。でも自分たちで使ってみて駄目だったら、こだわらずにほかの形に転換するようにしているのです。それがイノベーションパイプラインによる製品開発の一例ですね。
——大和研究所のモノづくりとしては、ビジネスユーザーの課題と解決するための技術を提示し、それを実装した製品を企画提案して、自分たちで使って検証してみるところまで含まれているわけですね。
塚本氏:そうですね。電話会議システムの「ThinkSmart」も上から言われて作ったのではなく、私たちが大和研究所としてユーザーに役立てることはないかと考えて作ったものです。どういうハード、スペックが必要で、どういうインターフェースが会議システムとして有効かを考えました。そのほか、エコシステムとして「Windows」系がいいのかとか、企業で活用する際のメンテナンスも含めいろいろ試してみて、育ててきたソリューションになります。
——数年先を見据えたイノベーション開発というお話もありました。
塚本氏:1~2年という単位ではなく、長期的に見て5年くらいかけてでも、ユーザーのペインポイントを解くような、または転換点になるような開発にも注力しています。6〜7年前くらいだったでしょうか、スマホが普及してタブレットも流行し、もうPCは死ぬと言われていて、私たちもすごく危機感を持っていたんです。私たちとしては、「PCはユーザーの生産性を支える大事なもの」という意識はあったのですが、若者はもうPCは要らないと言うし、実際に論文もスマホで書いていましたから。その時は将来が見えず、PCに対して悲観的でした。
なぜPCでなくスマホなのかと理由を考えた時に、「PCはあったら便利だけど、いざという時に持っていない」ということに気付いたのです。スマホでメールを使っている人は、満足して打っている人が全てではなくて、その場でできるから使っている人もいる。PCで打てるならPCで打ちたい。でも大きいから持ち運びにくい。だったら、小さくしないといざという時に使ってもらえないだろう、と。
その際、タブレットはサイズが中途半端で打ちにくいということから、折り畳みディスプレイのフォルダブルPC「X1 Fold」を開発しました。開発を始めた時はできる見通しもなく、ゼロから始めて5年以上かけて製品化にたどり着きました。
ただ、これはまだ最終形態ではなく、あくまで第一段階という位置付けです。X1 Foldは、私たちが技術でチャレンジすれば世の中を変えられるのではないか、という想いで始めたものです。このデバイスそのものというより、ここで使っている技術が将来世の中を変えていって、「やっぱりPCっていいよね」と言ってもらえるようにしたいと思っています。
——PCに求められるものが変わってきているということですね。
塚本氏:PCの使い方が変わってきているので、一概に性能が良くて容量があり、軽くて頑丈ならいいということではなく、その都度使い方にあったものを開発していく必要があります。
コンシューマー市場でいえば、先ほどPCが死ぬといった段階で何が起きたかというと、米国で2in1型の「Yoga」が売れたんです。何で売れたかというと、要は「Netflix」などのストリーミングサービスや「YouTube」を見るためのテレビとして売れたんですね。どこでも見られるし、PCはスピーカーも音量も大きく、画面も大きい。14インチくらいあれば子供の学習にも使えます。市場では何が起こるかわからないと感じました。
ビジネス市場でいえば、PCは何かを打ち込むだけではなく、会議で使うようになりました。プレゼンをする際には「PowerPoint(パワーポイント)」だけでなくビデオも流しますが、そうすると音量や音質がとても重要になります。ほかにも、さまざまなアプリがクラウド化してきている中で、PCがそれらのサービスを使う際のウインドウになっています。在宅で集中して作業するためには2画面が便利なので、外付けディスプレイやそれらをつなぐドッキングステーションも必要になってくる、というわけです。
このように、実は今PCは、仕事の生産性を上げるために見直されてきているのです。PCの使われ方が変わってきている中で、大和研究所では一歩先を予想しながら技術開発をするというチャレンジをしています。
——一歩先の更に先の話として、PCは数年先、それこそなくなるのではという話もあります。私たちが使うコンピューターにはこの先どんな世界が見えているのでしょうか?
塚本氏:PCにも、「頭脳」の部分をクラウドに置く「クラウドコンピューティング」の流れは出てくるでしょう。しかし、いずれにせよ一番大事に考えなければならないのは、ユーザー体験、ユーザーエクスペリエンス(UX)だと思っています。将来のコンピューティングでは、行く先々にいろいろなコンピューターがあって、ユーザーは今以上にさまざまなデバイスを状況に応じて使い分けるようになるでしょう。その中で、PCがどういう価値を提供していくかを見出して、業界としてどう進化していくかということになるのだと思います。
そうなると、いろいろなコンピューターをシームレスに、ユーザーは何も面倒なことは考えずに使い分けられることが大事になるわけです。レノボもPC業界のリーダーとしてその部分を解決していく責任があると思っているので、パートナーと一緒に取り組みを進めていきたいと考えています。いずれにせよその中で、UXや使いやすさはとても大事になるので、ユーザーが仕方なく使うのではなく、使いやすいから使いたいという状況を追い求めていく必要があるでしょう。
——PC自体はどう進化していきますか。
塚本氏:電話はスマートフォンに進化しましたが、PCはPCのままなんですよね。まだ不十分なデバイスなので、これを「スマートPC」「スマーターPC」といった形へと、より賢くしたいと思っています。スマホはみんな持ち歩きますし、クラウドサービスと連携しているので、自分より自分のことを知っています。PCは常に持ち運んでいるわけでもないし常に開いているわけでもありませんが、使用している時にはその場にいる状況を的確にとらえて、ユーザーにとって今、何が必要なのかを把握できるようにする必要はあると思っています。
先般、ThinkPadのハイエンドモデルには、人感センサーを採用してユーザーの状況を検知、自動ログインする機能や、PCの前から離れたらそれを検知して輝度を下げたり、画面をロックしたりするようなAI技術を搭載しました。これもスマートPCの一歩目になるわけですが、バッテリーライフの改善を含めてまだ目の前でやるべきことはたくさんあります。その先のUXも大事にしながら、大きなエコシステムとして使いやすくしていく。つまりPCは単品ではなくて、他のデバイスと連携したときに使いやすくしていかなければならないと捉えています。
——そういった中で、大和研究所の役割も変わっていくのでしょうか?
塚本氏:そうですね。私たちのミッションは企業のユーザーが仕事をしていくうえで必要なツールやソリューションを開発していくというところですから。まずは開発領域をノートPCから電話会議システムへと広げていますが、そこから何か必要なソリューションがあれば、スコープを広げていきます。ハードウェアだけでなくて、AI技術やソフトウェアやクラウドのエリアにもカバレッジを広げ、トータルソリューションの価値を提供できるような研究開発をしていくことが、大和研究所が目指していくべき道なのかなと思っています。
——ThinkPad生みの親である内藤在正氏に続く現在の「Mr. ThinkPad」としては、その状況に寂しさを感じることはないですか?
塚本氏:イノベーションのジレンマではないですが、そこにしがみつきすぎては将来が危ないですから。ただ当然PC自体は良くし続けなければいけませんし、今何が問題点で、どこを変えていかないとユーザーが離れていってしまうかについては、常に意識を持っています。ThinkPadも5年、10年というビューで変えていかなければならないとは思っていて、そこには引き続き挑戦していきたいですね。
一方で、先ほど話したように、UXや、さまざまなデバイスが増えていって特別な状況下で使いやすいものを作っていくという事を考えていくなか、ビジネスユースの他にも、どんな人でもPCを使いやすいものにするにはどうすればいいかという事を考え始めています。
地球環境への配慮や、障害を抱えている人にもどうしたら使いやすいコンピューティングを提供できるかといったESG領域にも、大和研究所にとどまらずレノボ全般として取り組みを進めていきます。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス