糸井重里氏が「ほぼ日の學校」で本当にやりたいこと--落語家からうどん店主まであらゆる人を先生に - (page 2)

言葉が「索引」になるアプリ--あらゆる分野の“先生”が登場

——生まれ変わった「ほぼ日の學校」は、どんな学びの場になるのでしょうか。

 学校はいずれ「自動車学校型」か「劇場型」のどちらかになる、と予言した数学者の遠山啓という人がいました。「自動車学校型」は、体系立った学問でメソッドがないとダメ、みたいな発想ですよね。必ず免許・資格取得にたどり着かせないといけない。それに対して「劇場型」は、卒業もなければ評価も資格も得られない学校。学校が「自動車学校型」と「劇場型」になっていくというのは、まさしく僕の考えていることと同じでしたが、彼はそれを1970年代に提唱していたんです。

 僕らのほぼ日の學校は「劇場型」。いずれポール・マッカートニーが先生としてやってくる、くらいの意気込みで考えていくし、その一方で街の繁盛している人気うどん屋さんのご主人の話を聞くような授業もある、みたいなイメージです。「人の話を聞くことは絶対に面白い」というのが僕なりの確信だし、それで人生が変わるようなこともありうる。ちょっと参加しただけで人生が変わっちゃうような人が絶対いるよ、というのが僕らのほぼ日の學校です。

 2020年秋に青山から神田に本社を移転して、近くのビルにほぼ日の學校の教室スタジオも新設しましたけど、実はほぼ日の學校がうまくいったときのイメージで引っ越したんですよね。教室スタジオもプロの人たちに作ってもらったし、本社の1階には何をするのかもわからないラジオブースがある。これ全部、ほぼ日の學校で使えちゃう。

 それに、「いつか先生をお願いするかも」と以前から声をかけていた人たちもいっぱいいるんです。宮城・気仙沼のラジオ番組に僕が出演したときにも、ほぼ日の學校をやる予定だから先生をやってくださいと、お笑い芸人のサンドウィッチマンさんに頼んでいたり。それがいま形になってきているわけで、自分たちが思ってた以上にワクワクするようなところまできていますね。

——前身となるほぼ日の学校では、作家や学者、編集者などが先生でしたが、予告動画をみると“スーパーボランティア”の尾畠春夫さんや、料理研究家の土井善晴さん、建築家の隈研吾さん、イラストレーターのみうらじゅんさん、さらに落語家の笑福亭鶴瓶さんなど、本当にあらゆる分野の方が“先生”として登場しますね。

講師の一例
講師の一例。三谷幸喜さんや笑福亭鶴瓶さんの顔も並ぶ

 たとえば、(とんねるずの)石橋貴明さんと対談したときに彼の高校時代の話を聞くと、野球以外何もしてなかったって言うんですよね。そんなことってあるのか、って半信半疑に思うんだけど、どうも本当なんですよ。テレビも見ていなかったし、飯もできるだけ急いで食ってたって。

 こういう石橋さんみたいな高校生が、ほぼ日の學校とどういう関わりを持つんだろうと思ったとき、野球のスゴイところがわかるような授業があったら聞くだろうなと思うんですよ。もう収録しましたけど、元読売ジャイアンツの川相昌弘さんが野球について、4時間ぐらいしゃべっていて、聞いている人が1球もボールを投げないうちから野球が面白くなるような授業をやってくれてるんです。

 これは野球しかしていなかった当時の石橋くんのような人が見ると思うんですよね。「みんなは何が知りたいんだろう」とか「みんな何で脳みそを動かしたいんだろう」とか、そういうことを考えながらコンテンツを入れていくことを考えてます。

——糸井さんご自身が先生として出演する可能性はあるのでしょうか。

 皆に言われるんだけど、どうするのがいいのかわからないんですよね。聞き手としてはさんざん出てるし、それでなくても出すぎだって言われそうなところまでやってますから。先生をやるつもりはもともとあったんですけど、こんなに聞き手で出ちゃったら僕が授業をやってる暇はないなとも思ってます。でも、いずれは先生としても出ると思いますよ。

——今回、ほぼ日の學校では「學」の字を旧字体に変えていますが、これにはどんな理由があるのでしょう。

 いままでの「学校」のままだと寂しかったんですよね。昔の字の方が、「学校ってそもそも何だっけ」っていうところがよく出てると思ったので。ただロゴでは、「學」の真ん中のバツ印は本当は2つあるのを、デザイナー(アカオニデザインの小板橋基希さん)のアイデアで1つに減らしてるんです。これってつまり「古きをたずねて新しきを知る」なんですよ。こんな文字は本当はないけれど、古典に戻ってる。ほぼ日の學校のあり方をよく表してると思います。

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新しいロゴでは「學」の真ん中のバツ印が1つ

——アプリとして提供することも大きな変化かと思います。どのような機能が搭載されているのか教えてください。

 いろんな人の話を、映像とことばが一緒になった画面で聞けるアプリです。オーディオブックのように耳だけで聞くこともできますし、映像もありますから、その人の汗のかき具合とか、すっかり身が入った感じとか、そういうのもそのまま見えます。イヤホンで聞くのが一番理想的な形じゃないかな。

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「ほぼ日の學校」アプリのホーム画面

 普通だったらカットするようなシーンもあえてそのまま出してますから、臨場感はありますし、反対に退屈に感じられるところもあると思います。映像の下に字幕のような「ことばスライド」も表示されるので、耳の不自由な人も表情と文字でしゃべっている内容がわかりますし、目の不自由な人は音声で聞こえる。「ことばスライド」からは、その人の言葉を保存できて、それが索引の代わりにもなるので、「あの言葉をしゃべっているところをもう一度振り返りたい」と思ったらすぐ聞けます。

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 ある意味、人がしゃべった言葉が全部索引になるわけです。アプリ開発のことを何も知らないままに「ああしろこうしろ」と言いまくって実現させたので、開発は相当大変だったんじゃないかな(笑)。できないって言われたらどうしよう、なんてことを考えもしないで言ったんだけど、できましたね。

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動画内の言葉を保存しておくと「ノート」からそのシーンにすぐアクセスできる

——コンテンツの1つあたりの時間はどれぐらいになるのでしょう。

 どれも1人あたり1時間半とか2時間ほど収録して、15分~20分ずつぐらいに分けて配信するものが多いと思います。昨日はイラストレーターの大橋歩さんの話を収録してきて、自分も聞き手として立ち会ったんですけど、3時間もずっとしゃべっていましたよ(笑)。最後は「いやもうこれで十分です」って言ってやめたんだけど、本当に面白かった。朝ドラを聞いてるみたいだった。

 「私がどう生きてきたか」という話で、あんなのタイトルのつけようがない。合間合間に、先輩方の話も混じる。たとえば美術家の横尾忠則さんの話が出てきて、あの大御所の大橋さんが横尾さんのことを憧れの人のように語るんだよね。それがまたいいんですよね。で、大橋さんに「ほぼ日の學校に誰を呼びたいか」を聞いたら、村上春樹さんかなって。じゃあ村上さんに、僕と大橋さんの連名で依頼状を出そうか、ということにもなりました。

 そうやって先生が増えていくし、とにかくやってて面白いんですよ。ほぼ日の學校だとアーカイブされるし、真剣に聞く人が待ってる感じがすごく強いから、みんな先生になってくれるんじゃないかな。あと、こっちが真剣に頼むのもありますね。「僕はもう老い先短いから、最後のお願いです」って(笑)。それは、学校だから言える気がする。

——なるほど。ちなみに、初期のほぼ日の学校ではリアルの対面授業も魅力だったと思います。そうしたリアル授業も続けていくのでしょうか。

 両方やりますよ。いまはコロナ禍なのでアプリ用の収録を先にやっていますけど、本当はもっと生徒を入れたい。生徒を入れてやった方が面白い人と、生徒のいない収録が面白い人と、人それぞれですね。ロケに行った方がいい人もいます。横尾さんなんか、「絵を描きながらだったらやってもいい」って言うんだよね。まだまだいろんな可能性があると思います。

——これまでのほぼ日の学校は“大人の学び直し”という印象が強かったように思いますが、新しいほぼ日の學校は「2歳から200歳までの。」というキャッチフレーズにもあるように、小さい子どもも対象になるのでしょうか。

 そうですね。2歳、3歳の子ども向けに何を用意するのかはまだ考えている最中ですけど、たとえばダンスですかね。最初に浮かんだのは読み聞かせだったんだけど、読み聞かせは版権問題があります。もうちょっと僕らならではのやり方があるんじゃないかと思って模索しています。

 子ども本人だけじゃなくて、子どもとお母さんとかね、そういう人たちが見たいと思うようなものもある気がしています。僕も孫娘がいま2歳8カ月なんだけど、そこで「いまの幼児教育ってこんな風になってるんだ」という発見があって、めちゃくちゃ面白いんですよね。そんな中で、やれることはたくさんあるような気がします。

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