中国はいかにして「自動車大国」に成長したのか--黎明期からの歴史を振り返る

金 成林(クララオンライン コンサルティング事業部 中国ビジネスコンサルタント)2021年04月09日 09時00分

 今や世界で最も自動車が売れている中国、そんな中国自動車業界を取り巻く環境をみると、2019年よりNEV規制を適用し、「国6」排ガス規制や第5段階燃費規制など、環境規制の強化を推し進めている。これら規制適合と製品競争力がメーカー各社の共通課題になっている。

 一方、中国政府は外資系メーカーを対象として規制を緩和する動きも進めており、外資系企業の投資環境は改善していく見通しだ。また、新興メーカーの台頭やコネクテッド、自動運転技術の開発など中国自動車業界は今や物凄い勢いで進化を遂げている。

 そこで、これから3回にわたり「中国自動車業界の軌跡と未来」と題して業界の変化や特徴をまとめていく。初回は、まず中国における自動車業界の沿革について解説する。

止まらない中国自動車業界の進化

 1931年に「民生(ミンション)」というトラックから中国の自動車製造は始まったと言われている。その後、1958年に第一汽車の「東風(ドゥンフォン)」という中国初の国産乗用車と「紅旗(ホンチー)CA72」という国産高級乗用車の製造を皮切りに、中国は海外メーカーとの合弁やOEMを受けることで技術開発力や品質基準を高めていった。中国の経済発展とともにトラックから一般乗用車まで国内の自動車需要の高まりを受けて、中国国内では自動車メーカーが乱立した。その数は100社以上とも言われている。

 そして、世界最大の自動車市場となった中国のこれからを担うとされるのが、NEVやコネクテッドといった技術を用いた新興の自動車メーカーだ。まずは、これまでの中国自動車業界の変化の流れについて見てみよう。

中国自動車業界の黎明期

 中国の自動車産業は1950年代から本格的に盛り上がりを見せた。

 毛沢東主席が「自らの力を基本とする」自力更生路線を発表し、1951年には国内初の自動車メーカー「第一汽車製造廠(※現在の中国第一汽車集団公司)」を設立するための事業計画が承認された。1958年には第一汽車、紅旗 CA72の前身となった試作車「東風」が完成した。国内初の自動車完成に対して、毛沢東主席は中南海で「東風」に試乗後、「我々自らが手がけた車に乗ったぞ!」と歓喜したという。その様子は、現在も写真とともに「紅旗」ブランドサイトに掲載されている。

第一汽車の国産自動車「東風」(「紅旗」公式HPより引用)
第一汽車の国産自動車「東風(ドゥンフォン)」(「紅旗」公式HPより引用)

 さらに、1950年代に中国は自動車部品の生産から組み立てまでを一貫して行える生産システムの構築に成功した。その後、中国は農業・工業の大増産を目的とした大躍進期(1958〜60年)に突入する。北京汽車や南京汽車など、第一汽車に続く主要メーカーが次々と現れ、乗用車の試作が中国各地で行われたが、技術も開発ノウハウも欠乏している中で製造された多くの試作車は、当然ながら商品化できないクオリティであった。

 多くの中国自動車メーカーが製造について課題を抱える中、中国メーカーの乗用車として初めて一般販売されたのが第一汽車の「紅旗」である。紅旗は、毛沢東主席が愛用したことで政府幹部の御用達高級車ブランドとして中国内で広く認知されるようになる。当時の中国国民にとって自国で製造された紅旗は、対外的に国力を示す自尊心そのものだった。

第一汽車の国産自動車「紅旗(ホンチー)CA72」(「紅旗」公式HPより引用)
第一汽車の国産自動車「紅旗(ホンチー)CA72」(「紅旗」公式HPより引用)

 中国が改革開放に転換し始めた1980年の中国の自動車生産台数は20万台であった。中国が計画経済を掲げた80年代までは、第一汽車を筆頭に中国自動車産業発展の基盤が築かれた。中央政府の意思のもとに計画的に管理・運営されていた当時の中国では農業発展と工業建設が優先され、製造された車の大半はトラックだった。

中国自動車業界の導入期

 80年代に入り、鄧小平主席の「改革開放」政策に基づき、中国は近代化を目指すようになる。中国は「市場と技術の交換」を成長戦略とし、自動車産業では国内の生産技術を補う路線に変更した。外資企業を積極的に誘致する動きは世界から注目されるようになり、中国市場の可能性に惹かれて、多くの海外自動車メーカーが製造拠点を次々と中国に設立した。結果的に海外メーカーとの合弁やOEMなどの共同開発が、中国自動車メーカー自身の技術や品質基準を高めることになった。

 この時期にできた合弁会社として、上汽大衆汽車(フォルクスワーゲン)、北京吉普(ジープ)、広州標緻汽車(プジョー)の3社が挙げられる。いずれも乗用車を製造しており、その中でもっとも成功を収めたのが上海大衆汽車の「サンタナ」である。これに対して日系自動車メーカーは、中国の乗用車市場への参入に大きな意欲を示さなかったため中国乗用車市場では後発となった。

 海外メーカーとの開発製造が活発化し始めた改革開放初期の自動車業界は量的変化を目指す過渡期を迎え、中国国内の自動車生産台数は80年から5年で2倍の年産40万台水準にまで達した。

中国自動車業界の成長期

 1990年代の社会主義市場経済体制による経済成長と富裕層の増加にともなって、中国国内の自動車需要は急増し始めた。中国の自動車産業は最高の黄金期を迎える。92年に入って中国の自動車生産台数は100万台の大台に乗った。2001年にWTO加盟を経て、2009年にはついに米国の年間販売台数1040万台を超える年間販売台数1360万台を突破し、中国は世界一の自動車生産・消費市場となった。

 2021年時点で中国の自動車メーカーは大きく国有系、民営系に分けられ、中国各地に分布している。その中でも、「ビック5」と呼ばれる国営自動車メーカーが市場を牽引している。

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中国自動車業界の変革期

 環境問題が世界的な潮流となる中で、中国も例外ではなく新たな環境汚染対策とそれにともなう経済政策を進めている。その中の1つが、従来のガソリン車から新エネルギー車への転換だ。

 2020年10月、中国政府は新たなロードマップを発表し、2035年を目処に従来のガソリン車を廃止して、新車で販売するすべての自動車をHV、PHV、EVなどの環境適応車とする方針を示した。中国は従来の内燃機関の開発力や製造力においては世界と匹敵する技術を得た一方で、ブランド力において世界で市場シェアを奪うことはできなかった。

 ただし、新エネルギー車領域であれば中国は海外の先進国と同じスタートラインに立つことが十分に可能であり、また、新エネルギー車と親和性の高いコネクテッドの分野において中国の世界的テクノロジー企業であるアリババ、テンセント、バイドゥといった豊富な資本力と技術開発力を活かせれば世界的ブランドを育て上げることが十分に可能だと中国政府は考えている。

 このため、中国政府は電気自動車やコネクテッドの分野に補助金を投じて積極的に支援しており、習近平国家主席が掲げる産業政策「中国製造2025」の重点分野にも位置付けられている。中国は国をあげて自動車業界の変革を推進しており、今後の中国自動車の進化から目が離せない時代となっている。

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 次回は中国自動車の先端技術に迫る。

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