パナソニックは、2022年4月から持株会社制へと移行し、社名をパナソニックホールディングスに変更することを発表。さらに、2021年6月24日付けで、常務執行役員の楠見雄規氏が、社長に昇格するトップ人事を発表した。楠見次期社長は、2021年4月1日付けで、CEOに就任する。また、津賀一宏社長は、4月1日付けでCEOを退任。6月に取締役会長に就任する。
11月13日午後7時から、大阪市内で行われた記者会見で、楠見次期社長は、「内示を受けたのは2週間前。青天の霹靂であり、非常に驚いた。経験者がいいと考えたが、長期にわたる取り組みになるため、『お前がやれ』と指示を受けた。引き受ける以上は、必死で取り組んでいく」としたほか、「新しい会社の形は、創業者のころに似た形である。だが、私の世代にとっては、新しいチャレンジになる。創業者がやってきたことを勉強しなおすと同時に、経験を積んできた役員の支援を得ながら進めたい」と抱負を述べた。
また、「パナソニックには、低収益の事業がある。創業者の理念から言うと、社会に貢献した結果で、利益を得ることができる。利益が低いということは、社会貢献の度合いが少なくなっていることであり、競合他社に比べて、貢献度合やスピードなどが後手に回っていたり、負けていることだといえる。その観点から、競争力を徹底的に強化することが必要である。利益を伴った成長をするには、他社の劣後にまわらない要素があったり、他社が追いつけない要素を1つか、2つ持つ必要がある。他社が頑張っても追いつけない、というものがある事業がコアになる」とした。
津賀社長は、「6年間で社長交代というのが通例になっていたなかで、2012年6月に社長に就任し、2018年に創業100周年を迎え、ひとつの役割を終えたと思っており、それ以降は、いつ交代してもいいと思っていた。だが、次期社長の立場からは、次に何をやるべきかが不明確な状況であり、誰にやらせるかがマッチしなかった。指名報酬諮問委員会で議論をし、会社の形を変える取り組みを行うなかで、楠見さんが適任であると判断し、マッチングが取れた」と説明。
「入社後すぐは、私とともにR&Dの現場にいた。その後は離れて仕事をしていたが、横からは見ていた。社長人事は、私が選んだわけではないが、会社の改革を進めていくためにはどんな社長がいいのか、要件は何なのか、候補のなかから誰が最適任なのかを議論した結果、委員会の総意として選んだ。パナソニックには、どの事業に注力するか、その理由は何かを考える上で、現場の感覚や事業競争力、技術、コストなど、トータルな現場感を持つことが必要である。それができる人材として選ばれたと思っている。また、短時間で本質的な課題を見出すことができ、そこに方向性を与えることができる。しかも、現場密着でメンバーをリードしながら改革していくことができる。私とバックグラウンドが似ているが、彼の方が現場に密着するねちっこさがある」と評価した。
さらに「トップになると誰にも相談できないという経験を早くして欲しかったが、この数年間は、事業のトップとして、タフなデシジョンをしてきた。経験も積んでもらったと思っている」とした。
楠見次期社長は、ここ数年に渡り、収益性の改善を目指す再挑戦事業に位置づけられるオートモーティブ事業を担当しているが、「車載事業の改革は道半ばであり、改善の余地が沢山ある。現在は黒字化しているが、競争力を維持し、黒字を継続できるかを見極めている最中である」とした。
加えて「私が学んだことは、現場の人が事業を動かしていることであり、それは深く理解したつもりである。現場がやる気を出し、改善することが、競争力につながる。そして、絶え間ない改善が必要である。アプライアンス社では、『パナソニックビューティ』で、肌をきれいにするために何をするのか、どんな人を対象にリプレースするか、それを考え抜く力が競争力につながることを学んだ。『ディーガ』では、開発費がかかるシステムLSIにおいて、ひとつの品種を長く使いながら、数年に渡る機能拡張をしながら、開発費を適正に抑えて、事業を継続した。それぞれの事業で、異なる競争力があるが、事業ごとに異なる軸で、何か競争力を持つことが大切である」とした。
また、楠見次期社長は、自身のこれまでの経験についても触れ、「1989年に入社し、ソフトウェア畑が長く、自らが開発に携わっていたのは、2000年前後までの期間である。BSデジタル放送の立ち上げに関わったり、日本の放送規格として、dボタンを実現する仕事に、企画とソフトウェア開発の立場で関わってきた。dボタンは、初めて深く携わったものであり、店頭に並んだ商品を見に行った。量販店の店員が、dボタンの実演を行い、それを見た来店客が『すごい』と言ったことに、涙が出た思い出がある」などと述べた。
また、ディーガの1号機は津賀社長が関わり、同2号機では、楠見社長が関わったこと、ブルーレイでは、専用のLSIを開発してもらい、コンパクトで、収益性が高いブルーレイディーガを開発したことを振り返り、「これらを通じて、技術開発によって、競争力が高いものを仕上げていく過程を経験した」と述べた。
さらに、「津賀氏の大方針のもと、プラズマディスプレイ事業を止めることになった。実際に収支を見ると、大きな赤字があり、将来、4K化した際には輝度が落ちて不利であることもわかった。そこで同じ自発光の有機ELにかけていくことになった。だが、なかなか有機ELが出てこなかった。パネルメーカーの協力を得て、プラズマ画質に匹敵する液晶テレビを出した。プラズマをやってきた人たちは、強い思いを持っており、緊密にコミュニケーションをしたことを覚えている」と振り返った。
一方で、津賀社長は、これまでの社長在任期間の取り組みについても振り返った。
「社長就任時は、経営者としての経験が少なく、経営に慣れることからスタートした。逆に経営がよくわからなかったので、技術者として経営をシンプルに考えることができたともいえる。だが、全体がよく見えていなかったのが現実であった。たとえば、松下電工を統合したが、旧松下電器と旧松下電工の間には、言葉も違えば、帳票の意味も違っていた。そこで電工出身の事業現場に足を運び、ひとつずつ理解をしていった。事業部制を導入して、同じ尺度で見えるようにしたことにも取り組んだ。そうした取り組みを通じて、経営のイメージが少しずつ理解できた。結果として、会社のなかが、よく見えるようになった。大きな会社の全体の見える化が進んだことは、一番の自己評価である。その結果、手触り感が生まれ、自信を持って改革を進める決断ができた」とした。
また「社長としてやりたかったことは、単純に、収益を伴う成長をしたい、ということだった。だが、それが簡単でないことも学んだ。そこで、今回の改革案のなかには、長期の構えや足元を固めることが改めて必要であることを盛り込んでいる」とした。
さらに、「樋口泰行氏が率いるコネクティッドソリューションズ社では、現場プロセスイノベーションを推進し、ハードウェアを作り、それを売って、利益を稼ぐという、従来のパナソニックとは違うモデルで、現場の課題を解決している。松岡陽子氏が推進している『Team Yoky』では、ハードウェアを手段に位置づけ、くらしのアップデートや人に寄り添って困りごとを解決するビジネスモデルに取り組んでいる。こうしたことが少しずつ挑戦領域に入ってきている。すぐ成功するかは分からないが、より広げて、より前に進むことが、いまの時代の変化には不可欠である」とした。
なお、持株会社制への移行に関しては、11月17日に予定されている津賀社長による経営方針説明会のなかで詳細を説明するという。現時点で明らかにしているのは、「パナソニック株式会社」の商号は、今後設立予定の中国・北東アジア事業、ホームアプライアンス事業、空調・空質事業、食品流通事業、電気設備事業の5つの事業を集約した事業会社が継承。また、持株会社制への移行に向けて、2021年10月に、現在のカンパニー制を廃止して、事業再編を実施することなどだ。
津賀社長は、「中長期的な視点で競争力強化するために、新たなグループ経営体制への移行を行う。通例では、2月末に新体制や幹部役員の人事を決議してきたが、長期の取り組みになるため、次期社長人事をこのタイミングで発表した」と説明している。
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