新たな作業安全対策、スマート技術の活用も視野に—農林水産省主催のシンポジウム - (page 3)

若者が働きやすい環境へ--作業安全対策の重要性

 続いて末松氏は「農林水産業・食品産業の作業安全対策をめぐる事情」と題し講演した。

 農林水産省が農林水産業・食品産業の作業安全を推進している背景には、「就業者の減少」「就業者の高齢化」「就業者の多様化」「人手不足」「新技術の発展」という5つの事情があると説明する。

農林水産省 事務次官の末松広行氏
農林水産省 事務次官の末松広行氏
農林水産省が農林水産業・食品産業の作業安全を推進している背景
農林水産省が農林水産業・食品産業の作業安全を推進している背景

 「就業者の減少は著しく、昭和35(1960)年の約1340万人から平成30(2018)年には約228万人まで落ち込み、半世紀で実に6分の1程度まで減少している。農業、林業、漁業のどの分野も高齢化が進んでいるが、特に農業は平成31(2019)年の平均年齢が66.8歳で、65歳以上が占める割合である高齢化率は実に70%に達している状況」(末松氏)

 農林水産業・食品産業の現場には多くの女性が活躍しており、さらには外国人など多様化も進んでいる。しかし、それでもまだ人手不足が深刻なのが現状だ。

 「どの業界でも顕著に人材確保が大きな課題となっているが、農林水産業・食品産業の分野においては有効求人倍率が全産業より高い状況で、人材不足の傾向がより顕著」(末松氏)

 そんな状況だが、一方でICT(情報通信技術)やAI(人工知能)、ロボット技術などの進展によって、「現場における危険な作業を遠隔で実施したり無人で作業できるなど、新技術が安全対策に活用できる可能性が高まっている」というポジティブな背景も生まれていると続ける。

 「農林水産業・食品産業の現場を安心して働ける職場にすることで就業者を確保し、女性や外国人などの多様な就業者や新技術の発展を踏まえた、これまでにない新たな対策を検討する必要がある。こうした対策を打ち出すことで、私たちは農林水産業・食品産業を若者が活躍し、未来を託せる産業にしていきたい」と展望を語った。

 農業における年間死亡者数は約300人で、年齢別では65歳以上の高齢者が約85%を占めている。80歳以上が約42.2%と、かなりの割合だ。

農林水産業・食品産業における事故の実態
農林水産業・食品産業における事故の実態

 農業分野以外の死傷災害の発生状況では、林業、木材・木製品製造業、漁業、食品産業とも、60歳以上が3割前後を占めており、農林水産業・食品産業では高齢者の事故が多数を占める状況だ。

 業種別の死傷千人率の推移を見ると、農林水産業・食品産業は一般的に事故が高いとされている建設業よりもさらに事故発生率が高い状況にあり、林業に至っては建設業の約5倍にも上る。

業種別死傷年千人率の推移。茶色の林業、青色の漁業、ピンク色の木材・木製品製造業、黄色の食品製造業、緑色の農業はいずれも全産業平均や建設業よりも高い数字で推移している
業種別死傷年千人率の推移。茶色の林業、青色の漁業、ピンク色の木材・木製品製造業、黄色の食品製造業、緑色の農業はいずれも全産業平均や建設業よりも高い数字で推移している

 各分野の死亡原因上位3位は何か。農業では乗用型トラクターの作業中の事故、木材・木製品製造業では丸太などの加工を行う木材加工用機械への巻き込まれ事故など、「どの事故も機械作業を行っている時に発生する事故が多い傾向にある」と説明した。

各分野の死亡原因上位3位
各分野の死亡原因上位3位

 こうした状況を踏まえて、農林水産省では現在、「啓発活動」「研修・講習」「補助事業などとの連携」「圃場整備などによる対策」などの作業安全対策を進めている。

農林水産省の主な作業安全対策
農林水産省の主な作業安全対策

 1つめの啓発活動は、農業において「毎年春と秋の2シーズンを重点期間として、全国的な農作業安全確認運動を実施している」。

 また「食品産業では平成30年3月に『食品産業の働き方改革早わかりハンドブック』を作成し配布した。ハンドブックでは経営者層がチェックすべき項目に労働災害の重要性を示し、労働災害防止講習や職場での危険予知について話し合い、対策を講じることの重要性を示している」(末松氏)

 2つめは研修・講習の取り組みだ。「農業については安全研修として乗用トラクターの傾斜地における横転事故を疑似体験したり、歩行型トラクターの挟まれ体験など、座学にとどまらず体験を重視した研修を実施している。漁業では労働環境の改善や海難の未然防止のための知識を有し、現場状況を改善する『安全推進員』を養成するための漁業改善講習会を実施している」(末松氏)

 3つめの「補助事業などとの連携」については、林業において多くの取り組みを進めている。

 「新規就業者を雇用して行う研修などを支援する『緑の雇用事業』では、研修生であっても、死亡災害が発生した場合は不採択にするなどの措置を行うことにより、安全対策への意識向上を図っている。また、国の直轄事業では、事業採択時の評価において労働災害対策への取り組みを評価項目に追加して加点に結びつけるなど、安全対策を講じる事業者にメリットが生じるようなインセンティブの措置を設けたりしている」(末松氏)

 4つめの「圃場整備事業などによる対策」においては、トラクターの転倒防止のために隣り合う農道と排水路を切り離したり、排水路に転落防止のための安全カバーを設置するなどの安全対策を実施したりしていると説明した。

 そのほか、農林水産省ではここまで紹介した直接的な取り組みに加え、間接的に貢献する取り組みも行っている。

作業安全に対するそのほかの取り組み
作業安全に対するそのほかの取り組み

 1つめは『GAP(Good Agriculture Practice)』の拡大だ。GAPは農業での食品保全や環境保全とともに、労働安全も含めて持続可能性を確保する取り組みであり、その確認項目にも安全に関する観点が設けられている。その推進施策として『グローバルGAP』など国際基準GAPの取得や無料のオンライン研修も用意している。

 また、農業において働き方改革も進めている。「新規就農者を雇用して行う研修などを支援する緑の雇用事業では、経営者に対して働き方改革実行計画の作成や、従業員との共有を要件化しており、ガイドブックや特設サイトでの啓蒙を図っている」

 農業経営の法人化も重要な施策の一つだ。「農林水産省としては経営改善のため都道府県レベルでの経営相談の体制整備や、集落営農組織が法人化する際の費用支援などを実施している。法人化することにより労災保険が義務的に適用されることなどを通じ、作業安全のへの寄与も期待できる」(末松氏)

 夏期の猛暑で深刻な問題になっている熱中症の対策も進めている。「農作業中の熱中症による死亡者数は毎年20人前後。対策として、夏期には大変過酷な作業になるハウス作業は空調服やネッククーラーなどを併用し、体表面の温度上昇の抑制や気化熱を利用することで暑さ軽減する技術を開発し、実用化している」(末松氏)

 続いて、スマート農業技術の中から作業の安全性を高めるために大きく寄与するものを紹介した。

新たな作業安全対策としてスマート技術の活用がカギに
新たな作業安全対策としてスマート技術の活用がカギに

 農業分野で代表例として挙げたのは、自動運転トラクターに代表されるロボット農機とアシストスーツだ。

 「事故発生原因として上位に挙がる機械作業を遠隔操作したり、無人化したりできる。アシストスーツは重量物を持ち上げる場面での腰への負担を低減することで、負傷しにくい環境を提供。最近はモーター駆動のほか、空気圧を用いるものなどバリエーションが増えて選択肢が広がっている」(末松氏)

 林業分野では最も死傷事故率が高いこともあり、「スマート化による技術革新が非常に重要だ」と説明する。

 「特に下敷きになるなど危険度の高い伐採作業の事故を回避するために、遠隔から操作して倒木方向をコントロールできる『リモコン伐倒作業車』の開発が進んでいる。さらに実際の事故が起こった時に、チェーンソーなどによる機械の騒音で異常に気付きにくい環境下でも、ジャイロセンサーによって作業者の転倒や滑落を感知し、無線でSOS発信できる緊急伝達装置が開発されている」(末松氏)

 農業のドローン活用とともに、水産業では「水中ドローン」の活用も進み始めている。

 「これまでダイバーがかなりの深さまで潜水して行っていた生け簀の方塊(ほうかい・アンカー)確認などの作業を水上からの遠隔操作で確認可能になった。さらに自らの船の周辺船舶の位置や事故情報多発地帯にかかる情報提供を行うAIS(船舶自動識別装置)もある。現在は小型船における普及を踏まえて、スマートフォンを活用した携帯型の開発も進められている」(末松氏)

 これまで農林水産業・食品産業における作業安全の対策を進めてきたものの、作業事故は思うように減少していかないのが現状だ。より一層の作業安全対策を進めるための方向性として、5つの指針を挙げた。

作業安全対策の取り組み強化に向けた5つの指針
作業安全対策の取り組み強化に向けた5つの指針

 1つめは「事故情報の収集・分析」を強化し、それに基づく的確な対策を構築することだ。「これまでの事故情報の収集や分析では何が不足していたのか、現場での状況をどのようにつかめばいいのかをしっかり検討し直し、新たに得た情報を基に、より現場実態に合う、効果を発揮する対策を考えていきたい」という。

 2つめは「基本的な安全対策の実施の徹底」だ。「ヘルメットをかぶる、ライフジャケットを装着するなどの基本的な対策の積み重ねが、実は作業安全対策の効果を上げている優良事例の姿だと思う。その重要性を認識すべきだと考えている」(末松氏)

 3つめは「進展著しいスマート技術の安全対策への活用」だ。「生産性効率性の向上とともに、作業安全性の向上にも大きく貢献することに着目、今後新たに有用な技術が開発されたら積極的に取り入れていくことが重要」と説明した。

 4つめは安全対策と補助事業などの連携をさらに強化することによる、「安全対策に積極的に取り組む経営の育成」だ。

 いわゆる『クロスコンプライアンス』[補助事業等のある施策を実施する際に、別の施策目的(この場合、作業安全対策の推進)に沿って設けられた要件を同時に求める手法]を推進することにより、安全対策を推進するとともに、それに積極的に取り組む経営を育成することだ。林業などでは安全対策と事業等との連携が既に進められているが、これをほかの業種も含めて拡大することにより、作業安全対策を講じることがインセンティブとなるような仕組みとしていくことが重要になる。

 5つめは「関係者の安全対策にかかる機運を醸成していくこと」だという。業種の垣根を越えた取り組みの推進により、関係者の安全対策にかかる機運を醸成していく。これまでは農業なら農業、林業なら林業と個別に安全対策を講じてきたが、農業、林業、水産業、そして食品産業の各業種においても厳しい事故実態があることを念頭に置き、その垣根を越えた大きな作業安全に対する動きを作っていくことが重要になる。

 一方で、農林水産業・食品産業には革新的なビジネスチャンスがあるとも説明する。「農林水産業・食品産業にはスマート技術や技術革新、フードテックといわれる新たなサービスの展開など、革新的なビジネスチャンスがある。このようなチャンスをつかみ、農林水産業・食品産業を全体としてさらに発展させていくためには、実際に現場で作業されている方々が健康で元気に働いていける環境を整えることが最も重要」とし、これらの課題に農林水産省としてもしっかり取り組んでいくとした。

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