2007年に市場規模が1000億円を超え、モバイルコンテンツ市場の中で最も大きな存在となった「着うた」。携帯電話から気軽に音楽が購入でき、着信音や目覚まし音などに使えることから、若者を中心に大きな支持を得ている。
この着うたというサービスは、実はPC向け音楽配信で苦渋をなめた国内音楽業界の、起死回生の一手だった。今からちょうど6年前の2002年12月3日、着うたサービスは産声を上げた。
着うたの歴史を振り返るには、その前にあったPC向け音楽配信の歴史を紐解く必要がある。日本で最初に大手レコード会社が有料の音楽配信サービスを始めたのは、1999年12月20日に開始したソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の「bitmusic」だった(bitmusicはその後、2007年7月に終了)。
当時、SMEで音楽配信の担当者をしていた今野敏博氏は、「『米国で、インターネットを使って音楽を売ろうという動きがあるらしい』と聞いて、負けてられないと思った。1999年の5月ごろにプロジェクトを立ち上げて、翌春にサービス開始できればと思ってやっていたら、年内にサービス開始というリーク記事が新聞に出た。どうも(当時SME社長の)丸山さんが話したらしい。それで、とにかくやってみるかということになった」と当時の様子を語る。
そこから、音楽配信のシステム運用や決済代行といったバックエンドを担当する会社をレコード会社が共同で作ろう、という話が生まれた。そこで2000年に設立されたのが、レーベルゲートだ。SMEのほかエイベックスやジャニーズ・エンタテイメント、BMGファンハウス(現:BMG JAPAN)などが共同で出資した。
ただし、2000年当時のブロードバンド接続契約数は、わずか197万件(イーシー リサーチ調べ)。多くのユーザーはダイヤルアップかISDNを利用しており、「楽曲を1曲ダウンロードするのに、16分もかかっていた」(今野氏)。また、レコード会社はCDが売れなくなることを恐れて新譜を販売せず、配信楽曲数も1000曲程度しかなかった。
「今考えればマーケットがなかったんだと思うが、当時は本当に落ち込んで、このままでは仕事がなくなると思った」(今野氏)
そこで目を付けたのが、携帯電話市場だった。すでに着メロがヒットしており、ここに楽曲を配信すればいいのではないかと考えた。
ちょうどauが第2世代携帯電話(2G)から第3世代携帯電話(3G)への移行を進めていた時期で、auが採用している動画配信フォーマットを工夫すれば楽曲の配信にも使えそうだった。そこで、ファイルの仕様も決めた上で、KDDIに企画を持ち込んだ。
同時に、携帯電話向けに音楽を配信するレーベルモバイルという企業もレコード会社が共同出資して設立した。通信速度の関係から最大でも40秒程度の楽曲しか配信できないことがわかっており、パケット料金のことも考えて、楽曲の一部を切り出して配信することに決めた。
1つの楽曲を途中で切ってしまうことに、音楽関係者からの反発もあったという。しかも、プロモーションとして配信するのではなく、楽曲の一部だけを販売するのだ。前例のない試みだったが、「(1曲丸ごと配信するのは)技術的に無理」ということで押し切った。
「着うた」「着うたフル」という呼び名も、この時点で決めていた。「音楽配信というとめんどくさそうだし、難しそう。着メロがすでにあったので、『着』と付ければわかりやすいと思った。メロが片仮名なので、平仮名で『うた』にしようと。300から400くらいの候補の中から選んだ」(今野氏)
こうして2002年12月3日、レーベルモバイルとKDDIは共同で着うたサービスを開始した。サービス開始時の対応端末はカシオ計算機製「A5302CA」のみだったが、初日のダウンロード数は3000件にのぼった。それまでのPC向け音楽配信では考えられない数字だ。「ものすごいびっくりして、絶対いけると確信した」(今野氏)
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