10年前に登場したPalmの「Pilot 1000」は、モバイルコンピューティングをシンプルで、多くの人々が手ごろな価格で入手できるものにした。同社の初期の従業員のひとりは、これを失意と真っ向からの挑戦、そしてバルサ材から誕生した革命だったと述べている。
Palmは1994年当時、創業から約2年が経ったところで、携帯端末(PDA)用のソフトウェアを設計していたと、Rob Haitani氏は述べている。同氏はPalmの25番目の従業員で、Pilot 1000のユーザインタフェースの主任設計者を務めていた。当時は、Apple Computerの「Newton」など複雑な端末の苦戦が目立っていたため、各企業ともモバイルコンピュータへの投資に慎重になっていた。
Haitani氏は当時を思い起こし、役員会メンバーであり初期の出資者でもあったBruce Dunlevie氏が、共同創業者のJeff Hawkins氏に、「何をつくったらよいかわかっているのか」と尋ねたと語った。これに対し、Hawkins氏がイエスと答えると、Dunlevie氏は「それなら、やってみろ」と挑発したという。
それから10年以上が経った今、Hawkins氏が実際にそれをやってみせたことは明らかだ。Pilot 1000は初めての実用可能なモバイルコンピュータとなり、PDAの市場を生みだした。そしてPalmは、スマートフォンの到来により勢いが弱まるまでは同市場の王者であり続けた。Pilot 1000をPalmの「Treo」の遠い親戚と呼ぶことさえ可能かも知れない。Treoはスマートフォンの挑戦に立ち向かう同社の助けとなっているようだ。Palmは米国時間23日、新たなTreo端末のおかげで、第3四半期に金融アナリストの予想を上回る利益を記録したことを明らかにした。
しかしHaitani氏が1993年にPalmに加わった当時、同社の将来はまだ不透明だった。同社の最初の製品「Zoomer」は行き詰まり、手書き認識プログラム「Graffiti」などのソフトウェア開発でなんとかしのいでいる状態だった。Haitani氏によると、Hawkins氏はPalmの提携業者が製造するハードウェアにはもどかしい思いを抱いていたという。これは当時の環境を考えると当然のことかもしれない。
「(当時は)多くの人々が、ひとつのデバイスに、手書き認識や無線など、まだ準備ができていないような機能も含め、何もかも詰め込もうとしていた」とGartnerアナリストのTodd Kort氏は述べている。
Dunlevie氏が運命的な挑戦状を突きつけた後、Hawkins氏は家に帰り、バルサ材を加工して端末のモデルを作り上げた。このあらましは「Piloting Palm」と題する本に記されている。
「Jeffは『それはポケットに入り、高速で、しかも価格は299ドルでなければならない』と言っていた」とHaitani氏は述べている。
また、その端末は潜在的な顧客の手に届けられなくてはならなかった。
「われわれには、それを製造できることがわかっていた」と、Hawkins氏は先ごろPalmが10周年を祝って制作したポッドキャストのなかでそう述べていた。「しかし、それを市場に出せない可能性があることも知っていた」(Hawkins氏)
1995年にPalmを買収したU.S. Roboticsからの資金が、Pilot 1000を大衆の手に届けるのに役立った。Palmは、自社の予想よりもはるかに早くチャネルパートナー各社から注文が舞い込み始めるまでは、自分たちがヒット商品を作り出したことに自信を持てずにいたとHaitani氏は言う。しかし、同社はその時すでに次世代の製品開発に着手していた。
「第一世代の製品では、中核の支柱に重点を置いた。そして、実はこの製品に搭載された機能ではなく、搭載されなかった機能がそれを成功させることになった」とHaitani氏は説明した。Palmは残念ながら、バックライトを搭載できなかったため、時に画面が読みにくくなってしまっていた。同社がこの欠点を修正して出したのが、改訂版となる「PalmPilot」だった。
その後の数年間、PalmPilotや、Palm IIIを初めとするさまざまな後継バージョンの売上はうなぎ登りに増え続けた。しかし、共同創業者のHawkins氏とDonna Dubinsky氏が、U.S. Roboticsが3Comに買収されたのを機に、Handspringを立ち上げるために同社を離れることになる。この時すでに2人の胸中には、次の製品の構想があった。それが、スマートフォンだった。
Haitani氏はHandspringの創生期に同社に加わった。その頃の計画は、Palm OSベースの「Visor」というPDAの売上から、この新しいタイプのPDAの開発資金を賄うというものだった。しかし、製造過程の問題やドットコム・バブルの崩壊による市場の低迷からHandspringは打撃を受けて、Visorの販売から手を引かざるを得なくなり、Treoと呼ばれるスマートフォンに集中することになった。
HandspringとPalmはどちらもドットコム・ブームが最高潮に達した2000年に株式公開を果たし、そしてバブル崩壊後は苦しみを味わった。しかし、Handspringと違い、PalmにはPDAのかわりに出せる製品がなかった。そこで2003年に、PalmはPalm OSの開発グループを切り離すとともに、HandspringとTreoを買収して、Hawkins氏とDubinsky氏を再び招き入れた。
Dubinsky氏は現在Palmの役員会メンバーとなっているが、Handspringの買収後はPalmの活動に積極的に関わってはいない。また、Hawkins氏はいまでもPalmの最高技術責任者だが、Numentaという会社でも働いており、人間の脳のパターンに似せた新しいタイプのメモリー開発に携わっている。
Palmは現在、海外市場への進出で課題に直面しているが、しかしモバイルコンピューティングの新たな10年を迎えようとするなかで、同社の経営状況は良好だとGartnerのKort氏は言う。「PalmがHandspringを買収していなかったら、いまごろは死にかけていただろう」(Kort氏)
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
地味ながら負荷の高い議事録作成作業に衝撃
使って納得「自動議事録作成マシン」の実力
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス