1946年2月、J. Presper EckertとJohn Mauchlyは世界に向けて、「ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)」を公開した。世界でも最も早い時期につくられた電気式計算機のひとつとして知られるENIACは、1秒間に5000回の加算を行うことができた。ENIACの処理速度は、それまでに開発されたどの機器よりも、はるかに速いものだった。
2人は自分たちが歴史を変えるような何かを生み出したことを理解していた。だが、この画期的な発明を人々にどう伝えるかという問題があった。そこで、2人は電球に数字を書き込み、その「半透明の球体」をENIACのパネルにねじ込むというアイディアを思いついた。電球がぴかぴかと点滅する様子は、このコンピュータの原景として、その後も長く人々に記憶されることになった。
このちょっとした演出は、ENIACの重要性にふさわしかった。現在は、ペンシルバニア大学ムーア校(電子工学部)に保管されているENIACは、この2月に誕生から満60年を迎えた。ENIAC以前にも、すでにいくつかのコンピュータが存在したことは、歴史学者の間では広く認知されている。たとえば、ドイツには「Z3」があったし、英国には「Colossus」、そして米国のアイオワ州には「Atanasoff-Berry Computer(ABC)」があった。しかし、ENIACはおそらく、これらのどのコンピュータよりも重要なことを成し遂げた--ENIACは、科学者と実業家の想像力をかきたてたのだった。
ENIACの公開から数年もたつと、コンピュータは大学、政府機関、銀行、保険会社等に次々と納入されるようになった。EckertとMauchlyも、ENIACプロジェクトの後に会社を設立し、「UNIVAC」と呼ばれるコンピュータを開発している(UNIVACでも飾り電球は健在だった)。UNIVACは1952年の大統領選挙の結果を見事に予測したことで一躍有名になった。ブラジャーの広告に登場し、科学のさらなる進歩を印象づけたコンピュータもある。英国では暗号解読の目的で、Colossusと呼ばれるコンピュータが開発された。Colossusは軍関係者の間では広く知られていたが、第2次世界大戦後に解体され、その後も数十年にわたって、詳細は謎に包まれたままだった。
より小さく、より速く
コンピューティングの始まりと同時に、より高速で、小型で、軽量で、安価なハードウェアを目指し、激しい開発競争が始まった。
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実用目的で開発されたこれらのコンピュータと比べると、ENIACの技術は異彩を放っていた。たとえば、後のほぼすべてのコンピュータが1と0からなる2進数で演算を行っていたのに対し(EckertとMauchlyが開発したUNIVACも例外ではない)、ENIACは10進数で演算を行った。プログラムを内蔵する能力もなかった。今日のプログラミングの基本であるif-then文を利用した条件分岐にも対応しているとはいえなかった。
しかも、ENIACは1台しか製作されなかった。
「ENIACは途方もなく大きかった。あっという間に、汎用コンピュータに取って代わられた」というのは、マサチューセッツ工科大学教授で、20世紀を代表するコンピュータアーキテクトのひとり、Jay Forresterだ。「ENIACと現代のコンピュータには何の共通点もない。あるとすれば、電気で動くことくらいだ」
それでも、ENIACを評価する人々は、このコンピュータが「機能した」という紛れもない事実を指摘する。1955年に雷が原因で稼働が停止されるまで、ENIACは水素爆弾の開発やその他の軍事プロジェクトの計算に用いられた。ペンシルバニア大学教授のIrving Brainerdは、ENIACが稼働していた8万223時間の間に処理した演算の数は、有史以来、人類が行ったすべての演算よりも多いと推測している。
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