「日本は八百万(やおよろず)の神がいると言われるように多神教の国で、ゲームの世界にも神様が何人かいる。そのうちの2人がここにいる」――東京大学大学院情報学環教授で、日本デジタルゲーム学会会長、DiGRA 2007組織委員会委員長の馬場章氏がこう紹介するのが、任天堂のファミリーコンピュータの生みの親である上村雅之氏と、ナムコ(現:バンダイナムコゲームス)の「パックマン」を生み出した岩谷徹氏だ。
この2人の対談が、9月28日に開催されたゲーム研究の国際的・学際的交流を図るためのカンファレンス「DiGRA 2007」において実現した。ここでは、岩谷氏の話を紹介する。
岩谷氏は1977年にナムコに入社。以来30年間、ゲームの開発に携わってきた。大ヒットしたゲームタイトル「パックマン」の生みの親として知られている(ちなみにパックマンは2005年、世界でもっとも成功した業務用ビデオゲーム機としてギネスブックに登録された)。自分のノウハウを若いクリエイターに伝授したいという思いから、ナムコを退社し2007年4月から東京工芸大学芸術学部教授として教鞭をとっている。
岩谷氏は日本と米国のゲーム産業の歴史を振り返りながら、日本でゲーム産業がこれだけ発展した理由や、人を惹き付けるゲームの設計について語った。
ゲーム産業の歴史はアーケードゲームから始まる。日本では最初、ボウリングの待合室かデパートの屋上にしかアーケードゲームは存在しなかった。そのため、ゲームはあくまでも「待ち時間にちょっとやる」という時間消費のためのものに過ぎなかった。
それが昭和40年代になると、ゲーム専用の「ゲームセンター」ができ始める。これにより、ひまつぶしではなく、ゲーム自体が目的になっていく。
とはいえ、最初のころはまだビデオゲームではなく、機械仕掛けのもので、値段も1ゲームあたり30円から50円程度だった。3分程度の時間制限があるものがほとんどで、短時間で明確に勝負がつくレースゲームなどが主流だった。
これが、ビデオゲームの登場で一変する。1ゲームの料金は100円で、子どもにとっては高い金額だ。このため、1回でなるべく長く遊びたいと習熟するようになり、1ゲームあたり1〜2時間遊ぶようになった。
ゲーム開発者も、なるべく長い時間楽しんでもらおうと、ゲーム内にイベントを配置したり、ボスキャラを登場させたりするなど、ゲームに時間軸とストーリー性を持たせるようになる。
「飽きさせないようにしてほしいというユーザーからの要求があり、きちんとしたゲーム設計が求められるようになった」
パックマンの場合、4匹の敵(ゴースト)の動きを細かく設計したり、「パワークッキー」というアイテムを手に入れるとそれまで逃げ回るしかなかった敵を簡単に倒せるようになるといった仕掛けを盛り込んだりした。
「人の心に訴えかけるような飽きさせない工夫が、ゲームソフトとして面白い、安心して楽しめるという評価につながる」。こういったユーザーへの「心配り」は今でも「ジャパンチューニング」という言葉で世界的に語られるという。
一方米国では、日本と1プレイあたりのゲーム料金が異なる。これが、日米のゲームの違いへとつながっていく。
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