もう一つのオープンソース物語

この記事は『RIETI(経済産業研究所)』サイト内に掲載された「「もう一つのオープンソース物語」を転載したものです。

 7月2日のRIETIのコラムで、澁川修一RIETI研究スタッフによる経済産業省とOSSコミュニティとの対話の模様が紹介されている。残念ながら筆者は参加できなかったのだが、従来、政策サイドがこうしたコミュニティと積極的に意見交換を行う機会は多かったとは言えず、双方が理解を深めたことには意義があったと思われる。また、確かに、今日までのインターネットの急速な発展を見れば、技術をオープンにし、共有することによって、開発を加速し、高度化させていくことに大きな意義がある分野が存在する分野があることも事実であろう。しかし、今のオープンソースを巡る「政策」の動きを見ている限りでは、かなりの混乱状態にあるのではないかと思えて仕方がない。

産業政策としてのオープンソース戦略

 先ず、総論として言えば、産業政策を司る経済産業省自体が大きな政策哲学を明らかにすべきではないだろうか。経済産業省は、1980年代の前半は「プログラム権法(仮称)」の立法化を推進し、現在でも知的財産保護強化の動きの主導的な役割を担っている官庁である。しかし、オープンソース運動は、基本的には知的財産権保護強化とは正反対の方向にある。それでは、経済産業省の政策の基本的な考え方は、何か変化したのであろうか?どこが変わって、どこが変わっていないのだろう?ソフトウェアは、知的財産権保護強化の例外にすべきであると考えているのだろうか?オープンソースにすべきソフトウェアとそうでないソフトウェアの間には、何か区別があるのだろうか。一ソフトウェア企業の経営者の立場として言えば、そのあたりがどうも見えてこない。イヤ、率直に言えば「あんまりコロコロ変わらないでくれ」という思いもある。

 純粋に「一部のProprietary なソフトを扱う外資系ソフトウェア・ベンダーが儲けすぎており、国産ITベンダーが隷属的な立場から抜け出すためには、ユビキタスの時代を見据えた対抗戦略が必要だ」ということであれば、まだ理解できる(http://www.atmarkit.co.jp/news/200212/21/meti.html)。しかし、それでは、全てのソフトウェアはオープンソース化すべきというのが経済産業省の政策なのだろうか?欧米のProprietaryなソフトウェアを扱うベンダーに蹂躙されてふがいない日本のソフトウェア企業の経営者の泣き言として聞いていただいても良い。それでも、経済産業省の「ハードウェアの添え物であったソフトウェアが独自の地位を確立する。そのために知的財産権戦略は重要である。」という言葉に励まされ、或いは、それを信じてソフトウェア業で努力してきた経営者も多いのである。それを「これからは、知的財産権に守られたモノ売りからより高度なサービス業が重要である。」と突然言われても、「勘弁して下さい。」というのが本音ではないだろうか(そもそも政策自体を十分理解できていない向きも多いとは思うが)。

 IT社会全体を見据えて、プラットフォーム的技術、公共財的な技術についてはオープンソース化した方が社会的な利益が大きいというのも分からないではないし、一定の条件の下では、オープンソース・ソフトウェアの方が、セキュリティ対策が講じやすかったり、価格的に低廉であることも事実だろう。しかし、こうした条件が常に成立するわけではない。オープンソース問題に積極的に取り組んでいる三菱総研の飯尾淳氏も述べておられるが、十分なメンテが行われないオープンソース・ソフトウェアはProprietaryなソフトウェアよりもセキュリティ上のリスクは高い場合が多い(Proprietaryなソフトの場合は、放っておいてもベンダーが一定のサポートは行ってくれる)。また、未だ十分な技術者が育っていないオープンソ−ス・ソフトウェアを用いたうえで十分な保守・サポート体制を構築していこうと思うと、オープンソース・ソフトウェアが常に安価であるとも限らないのである。Linuxソリューションで有名なある企業の技術者が、「オープンソースだからタダだろうとか、安いだろうと言われるのが一番困るんですよね。うちのLinuxソリューションは安くはないんです。それなりに人手も技術もかかるんですから。」と言っていたのを思い出す(http://www.internetclub.ne.jp/EASY/20021224.html)。

更に混乱を増大させる要素

 長々と述べてきた後で恐縮だが、実は、オープンソース・ソフトウェアの産業政策、情報政策上の問題を論じることが本稿の本旨ではない。中央と地方を含めた政府全体を見渡すと、RIETIでの議論の遙か手前で政策の迷走が生じているように思われ、高尚なオープンソース政策議論も結構だが、先ず、こちらをなんとかして欲しいと思うのである。

 例えば、現在、地方自治体のシステム調達において、オープンソースの採用がある種のブームになっている。こうした状況の一例として、現在、総務省が進めている共同アウトソーシング政策が掲げられる。(日経BizTech Specialより:http://premium.nikkeibp.co.jp/biz/e-gov/sp030131b1.shtml) これは、自治体が開発するアプリケーション・システムをオープンソース化することによって、共同利用を可能にし、システム調達の標準化と低廉化を図ろうという政策である。昨年度から開始されたものだが、今年度も20億円を超える予算が準備されている。ところが、オープンソース化を図ると言うことであれば、いくつものシステムは必要ないはずだが、昨年度の採択事例(公表されていないため詳細は不明だが)を聞いたところでは、かなりの数の自治体が電子申請システムの開発を予定しているようであり、これに電子入札システムを加えると殆どの部分がこの二つのシステムで占められそうな勢いである。そのうえオープンソース化された他の自治体のアプリケーションを利用する予定であるといった話もあまり聞こえてこない。これではオープンソース化による共同利用と低廉化といった目標は達成されそうもない。

 しかも、この「オープンソース化」の範囲も明確ではない。一つの行政システムを完成させようと思えば、そのシステムには、OSも含まれれば、データベースや帳票作成など多くのアプリケーション群が含まれる。これを全部ゼロから開発しようなどと言うベンダーは、おそらく存在しないはずであり、かなりの部分は、既存のProprietary なソフトウェアも含まれるはずである。それでは、総務省は、こうした既存Proprietary なソフトウェアについても、ソースをオープンにすることを求めるのだろうか?それとも新たに開発した部分をオープンにすればよいのだろうか?まさか、国産ベンダーにはオープン化を求めるが、海外ベンダーにオープン化は求めないといった馬鹿なことはしないと思うが、そのあたりの方針も全く明らかになっていない。

 そもそも、色々な自治体でこの共同アウトソースのプロジェクトに参加していると言われるベンダーの名前を聞くと、アラ不思議。今まで、公共市場で、政府の調達制度をうまく利用して、随意契約で大きな利益を上げてきたと言われているITベンダーの名前がズラズラと出て来るではないか。彼らは、方針を大転換して、もうアプリケーション・レベルではソフトウェアはオープンになっても良いと思うようになったのだろうか?到底そうは思えない。おそらく、「ここは、すでに当社が独自に開発していたものです」とか「この部分は米国の某社が、すでに知的財産権を持っていてオープンにできません。」とかいう話が続々と出てくるのであろう。結局、虫食いで、何がなにやら分からないソースコードだけが公表されて「ジ・エンド」という結果になるような気がしてならない。

 これに類似した例はいくらでもある。ある自治体が、情報システムの全面的再構築を行うための基本設計の入札を行った。入札公告文書に「オープンソース開発への配慮を記すること」と書いてあったが、その趣旨が不明であるため、「これは、例えば、OSにLinuxを使うとか、既存のオープンソース・ソフトウェアを使用しろと言うことですか。それとも、出来上がったアプリケーションのソースをオープンにしろということですか。」と質問文書を提出したら「入札公告文書に書いてあるとおりです。」との回答が帰ってきた!!! これでは、開発者側としては、リスクが大きすぎて、とても踏み込めるものではなく、結局、応札は断念した。

一ソフトウェア・ベンダーの願い

 小生の会社は、弱小なアプリケーション・ソフトウェア・ベンダーである。ただ、市場でビジネスを行い、生き延びていかなければならない企業として、必要があればLinuxであろうと、他のオープンソース・ソフトであろうと選択肢に入れて考える。更に言えば、自社のアプリケーションのソースだって、場合によっては公開を考えることも選択肢に入っている(サービス、或いは、そのソフトを利用したコンサルティングで収益を得た方が有利であると考えれば、そういった選択もあり得る)

 ただ、こうした選択は、ビジネス上の大きな決断であり、それこそ考えられる全ての選択肢を比較考慮した上で、断を下すべきものであると考えている。こうした経営者の目から見ると、現在の政府の政策では「オープンソース」という言葉が、あまりに安易に使われているように思われ、言葉の定義すら、省庁によって、人によって違うのではないかとすら思われる。しかし、その思惑であっちだこっちだと振り回される企業側の身になって欲しいというのが小生の本音である。オープンソース・ソフトウェアにも価値はある。Proprietary なソフトウェアにも価値はある。しかし、その価値を決めるのは市場であり、ユーザー(アプリケーション開発者もOSやミドルウェアを選択する際は、ユーザーである)である。担当者が変われば、方針が変わるような政策で企業の運命をもてあそばれては堪らないというのが率直な思いなのだが、いかがなものであろうか。

著者略歴
安延 申
ウッドランド株式会社代表取締役社長、スタンフォード日本センターリサーチフェロー

RIETIサイト内の署名記事は執筆者個人の責任で発表するものであり、 経済産業研究所としての見解を示すものではありません

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