地上波デジタル化の一旦停止を

この記事は『RIETI (経済産業研究所)』サイト内の『IT@RIETI』に掲載された「地上波デジタル化の一旦停止を」を転載したものです。

 電通総研の発行する「情報メディア白書」というデータ集がある。その2001年版に「有料放送の許容支払額」というグラフが掲載されていた。関東地方でのアンケート調査によるもので、初期投資の許容額の平均は11620円、月々の支払いの許容額は1430円だったという。

 しかし、グラフをよく見ると、初期投資額を0円と回答したものが44.1%もおり、月間使用料についても0円が43.6%を占めている。初期投資額を4000円未満としたものを含めるとその割合は52.9%に達し、月間使用料でも1000円未満を加えると48.2%になる。それでも,平均値がそれなりに大きいのは、初期投資額で5万円以上を許容する6.1%と、月間使用料を5000円以上とした7.0%が数値を押し上げているからだ。

 つまり、調査回答者の約半数が有料放送をぜいたく品としてとらえ、一方、必需品として考えているものは一割もいなかったと、この調査結果は解釈できる。

 衛星放送では、BS・CS・BSデジタル・110度CSと矢継ぎ早に新しいサービスが開始された。一方,ケーブルテレビも多くの都市で提供されるようになっている。

 しかし、それらのサービスに対する契約者数の伸びは低い。鳴り物入りでスタートしたBSデジタル放送も「1000日で1000万世帯」の目標は達成の見通しがたっていない。2000年12月以来すでに800日以上が経過したが、NHKの公表値でも、本年2月末で契約は383万世帯に止まっている。

 その理由は,上のアンケート調査で説明できるだろう。これらの衛星放送の中には無料で提供されているものもあるが,初期投資を必要とする点では変わりはないからだ。

 今のままでは有料放送が4700万の全世帯に普及する可能性はない。44%にあたる、およそ2000万世帯には有料放送を購入しようという意思が、もともとない。ほんの小額しか投資したくないという世帯まで全部あわせたとしても、2700万という飽和点に向かって普及していくのが精一杯だから、普及速度が遅いのだ。

 大学で「情報メディア経済」という科目を一年生向きに講義しているが、そこで、なぜ視聴者には放送は無料という意識が強いのかをたずねてみた。「スポンサーが費用を負担する民間放送を見ていれば十分で、わざわざ有料放送を契約しようなどとは思わないのであろう」であるとか「そもそもテレビは『ながら視聴』するものであって、バック・グラウンド・ミュージックのようなものである。金を支払ってまで見ようとは思わないのであろう」といった回答が多かった。「下宿をはじめたところ,NHKの集金人が来て,『契約は義務だ』というので思わず契約したが,後悔している」というような回答さえあった。「NHKなど見たこともない」という回答も多かった。

 2002年2月1日の日刊工業新聞にNHKの海老沢勝二会長に対するインタビューが載っている。それによると「このままでは受信料を払わない人が増えそうな気配ですが」という質問に対して、会長は次のように答えている。「日本人はそんなに捨てたものではない。私はあくまで性善説でいきたい。罰則規定を設けるよりは、いい番組を提供したり、のど自慢のように地域貢献につながるような取り組みを通じて、NHKの必要性を理解してもらうことが先決。スクランブルの導入にも反対だ。」

 のど自慢が地域貢献につながっているという見解は、私にはそもそも驚きである。その上、そのような番組を放送すればNHKに対する理解が深まるというのも理解できない。この説明で、20代・30代の若い世代は納得するのだろうか。むしろ年とともに「NHKなど見ない」という層が人口の中で増えていき、それに伴って契約者数も減少していくのではないかという危機感を、海老沢会長は持つべきではなかろうか。テレビの普及率は間違いなく90%を越えている。しかし、2002年度末でNHKの契約数は3768万件と、全世帯のちょうど80%に過ぎないのだ。

 海老沢会長は「BSデジタル放送をまず普及させ、その土台の上で地上波デジタル放送を開始する」との考えを、同じインタビューの中で表明している。これも間違いかもしれない。有料放送を必需品としてとらえている少数の層も、無制限に次から次へと受信用設備に金を支払えるわけではない。BS・CS。BSデジタル・110度CSと「新メニュー」を出していくと、有料放送に積極的な層であっても、支払いの限界に達する危険がある。少ない需要をいろいろなメニューで分割していくのは愚かなことだ。

 実際、もっとも後発の110度CSは苦戦が続いているという。2002年7月に開始された100度CSの「スカパー!2」の個人契約者数は3月末で40972、この月の間に2914増えただけだという。契約者数は全世帯の0.1%にすら達していないのだ。私は地上波デジタル放送を実現するために今進められている「アナ−アナ変換」に国費を投入することに反対する声明に署名した。その考えには今も変わりがない。

 最初に紹介したアンケート調査結果から考えると、地上波デジタル放送の普及は目論見どおりに進みそうにはない。普及が進まなければ、2011年に今までのアナログ放送を停止させるという処置も取ることはできないだろう。

 こうして考えてくると、「アナ−アナ変換」に資金を投入することは、それが国費であろうが、放送局が負担するものであろうが、そもそも無駄のように思えてくる。テレビ放送のデジタル化戦略は、今こそ再考が必要である。

 と、ここまで原稿を書いたところで、びっくりする記事を目にすることになった。日本テレビの氏家斉一郎会長が4月28日の記者会見で、地上波デジタル放送への移行に伴う地方局の負担を軽減するため、国に対して数千億円規模の公的資金の投入を求める考えを明らかにしたというのだ。「国の政策とはいえ、うかつに公的資金を入れれば言論介入の恐れもある」と、キー局や準キー局には投入を求めない考えだという。

 地方局の言論なら介入されてもよいとは、一体どういうことだろうか。それは別にしても、これほど多額の補助がなければデジタルへの移行は実現できないという見込みが表明されたことの意味は大きい。アナ−アナ変換での助成と合わせると、放送局に対して、一兆円近い国費を投入するかもしれないということになったからだ。実は、他にも国費を要求するかもしれないグループがいる。それは初期投資をしたくないと考えている44%の世帯だ。この2000万世帯に一台10万円の受信装置を配るとなれば、二兆円が必要になる。

 デジタル化の推進を計画どおり進めようとすれば,こうして、次から次へと国費を垂れ流しにする事態を招きかねない。財政的には、すでに失敗である。

 デジタル化には、移動通信等に利用する周波数帯をあけるという目的があるといわれてきた。しかし、技術が進歩してきたので、今のままでも、テレビ放送の隙間で移動通信ができるようになっている。

 いまこそ、地上波のデジタル化計画を一旦停止しよう。そして、現実のマーケットをよく分析し、また最新の技術をウォッチングして、計画をゼロベースで見直すことにしよう。

著者略歴
山田 肇
東洋大学経済学部教授 / 国際大学GLOCOM副所長・特別研究員


RIETIサイト内の署名記事は執筆者個人の責任で発表するものであり、 経済産業研究所としての見解を示すものではありません

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