HTMLとURLを組み合わせ、WWWを考え出したTim Berners-Leeに、ナイトの称号が与えられた。
2003年12月30日にバッキンガム宮殿で発表された英国の新年の叙勲者リストで爵位が授与されることが明らかになったBerners-Leeは、この叙勲について、インターネットが世界的に力を持つものとなり、一過性のトレンドではないことを認めるものだと述べている。
「Webがこのような意義深い方法で認知されたことで、同時にその創造者およびユーザーが共有している責任が明らかになった」とBerners-Leeは語った。同氏は現在、インターネット標準化団体のW3C(World Wide Web Consortium)でディレクターを務めている。
Berners-Leeが、「世界的なハイパーテキスト空間」と呼ぶアイデアを思いついたのは1989年、CERN(欧州合同素粒子原子核研究機構)のEuropean Particle Physics研究所に勤務していた時だ。それまで、ハイパーテキストは文書をマークアップするのに使われていたが、他のコンピュータにある文書にリンクを張るという考えは含まれていなかった。Berners-Leeの考案で革新的だったのは、UDI(Universal Document Identifier)を開発しようという点だったが、このUDIが後にURL(Universal Resource Locator)となる。URLは現在よく「ウェブアドレス」と呼ばれ、ブラウザのアドレス欄に表示されているものである。
Berners-LeeがWWWを考案した当時、HTTP(Hypertext Transfer Protocol)やHTML(Hypertext Markup Language)に最も近かったのは、米Apple ComputerのHypercardプログラムだった。Appleの元CEO、John Sculleyは先ごろ、Hypercardをうまく活かせなかったことはAppleが逃したチャンスのうちでも最大のものだと述べている。
Appleがぐずぐずしていた間に、CERNではBerners-LeeがWorlDwidEwebというプログラムを作成したが、これはポイント&クリック操作が可能なハイパーテキストエディタで、NeXTマシン上で動いた。このNeXTを開発したのが、Appleの共同創業者であるSteve Jobsだったことは何とも皮肉なことだ。
「最初のウェブサーバとともに、このWorlDwidEwebをまずHigh Energy Physicsに関係する人たちに見せ、1991年夏にはハイパーテキストおよびNeXTに関連する各々のコミュニティに発表した」と、Berners-LeeはW3Cのサイトで公開中の自らの手になるウェブの歴史の中で記している。Berners-Leeは、世界初となったこのCERNのウェブサーバ上で、UDI、HTML、およびHTTPの仕様を発表した。
「ウェブの背景にある夢とは、我々が情報を共有しながらコミュニケーションができる共通の情報空間というものだ。ウェブの普遍性は本質的なもので、実際にハイパーテキストリンクはどんなものにも張れる。リンクの対象は、個人的なものであれ、ローカルあるいはグローバルなものであれ、あるいは草稿であれよく磨かれた文章であれ、どんなものでも構わない」とBerners-Leeは書いている。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをCNET Japanが日本向けに編集したものです。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」