どんな人であれApple IIに熟知している人と話をすると、よく話題になることがある。Wozniak氏が1977年のクリスマス休暇に設計したApple II向けのディスクコントローラが、形勢を一変させたことで有名だという話だ。
根本的な技術革新は、コントローラを小型化するためにソフトウェアを使ったことだった。ライバル製品はハードウェアに頼っていた。当時Appleの電子技術者だったBill Fernandez氏は次のように記憶している。「(Wozniak氏の)設計の大きな利点は、通常は60個から70個のチップを使うところを、わずか6個のチップしか使っていなかったことだ。これは、サイズの面でもコストの面でも大きな節約だった」
Bricklin氏はWozniak氏のコントローラを「素晴らしい」と言い、Felsenstein氏はその「優美さ」に感嘆した。Damer氏はそれを「名人芸」と呼んだ。そしてAppleの経理担当者たちが喜んだのは間違いない。そのシンプルな設計は、ライバル製品のドライブよりも利幅がはるかに大きくなることを意味していたからだ。
しかしディスクコントローラがどれだけ素晴らしくても、AppleにはDOSがなかった。そして独自に開発する手段もなかった。「彼らはApple社内を見回したが、DOSを書ける人はいなかった」(Damer氏)
Wozniak氏には選択肢がほとんどなかった。その一方でWozniak氏が米CNETに語ったところによると、6502チップ向けのDOSは存在していなかったという。またApple IIにはROMに小型のDOSが組み込まれていて、手動あるいはプログラムコマンドによって入出力ストリームを任意のスロットへリダイレクトできたが、Wozniak氏はそれ以上のものを求めていた。
選択肢の1つは当時よく使われていたOS「CP/M」だった。しかしそれは扱いにくいことで知られており、Wozniak氏によれば、CP/Mの開発者であるGary Kildall氏とOSについて話し合ったこともあったものの、「何かもっと使いやすいものがほしかった」のだという。
Wozniak氏はOSについての知識はあまりなかったが、自分には良いOSが作れたはずだと固く信じている。しかし共同創設者は待ってくれなかった。「1つのプロジェクトに1週間以上かかるのを我慢できなかったSteve Jobs氏は、Shepardson Microsystemsを見つけた。この会社は熱心で、知識豊富のようだったので、彼らを雇った」(Wozniak氏)
当時Shepardsonの従業員だったPaul Laughton氏の記憶によれば、ある日Wozniak氏がやって来て、AppleにはディスクドライブはあるのだがDOSはなく、どうしようかと考えていると言ったという。「『OSのことは分かる』と言ったら、Wozniak氏に『素晴らしい、ぜひやってくれないか』と言われた」(Laughton氏)
1978年4月10日に契約が締結された。Shepardson Microsystemsは1万3000ドル(前金として5200ドル、納入時に7800ドルが支払われ、追加の使用料はなし)でAppleの最初のDOSを開発し、それを35日後に引き渡すという契約だった。Damer氏はこの期限について「驚きだ」と語った。「今、ツールや、部分的に機能するハードウェアもなしに、OSを35日間で開発して納入することなど考えられるだろうか。まさに最高のプログラマーの時代だった」(Damer氏)
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