マイクロプロセッサ市場で長年シェア争いを続けてきたIntelとAdvanced Micro Devices(AMD)が、これまでに法廷で決着をつけようとしたことが何度かあった。AMDは今週、Intelをデラウェア州の連邦地方裁判所で提訴したが、これはその最新の例となる。
以下に、両社の重要な出来事をまとめてみた。
1968年--Bob NoyceとGordon MooreがIntelを設立。
1969年--Jerry Sandersと元Fairchild Semiconductor従業員のメンバーらがAMDを設立。
1980年代前半--IBMがIntelのx86アーキテクチャとMicrosoftのDOSを採用。だがIBMは、プロセッサ供給でIntelへの過剰な依存を避けるため、同社に対し別のプロセッサ供給業者を見つけることを要求。
1982年--Intel、AMDを第2のプロセッサ供給業者とする技術交換契約を締結。これにより、AMDはIntelの286プロセッサ技術の利用が可能となる。
1984年--Intelが第3世代の386プロセッサで独自路線を模索。この時、IntelはPCプロセッサ市場で独占状態を作り出すための「秘密の計画」の一部となる戦術を用いたと、AMDは主張している。
1987年--AMDが386プロセッサをめぐる論争に決着をつけるため、Intelを提訴。
1991年--Intelが独占状態を確保・維持するために違法な行動をとっていたとして、AMDがIntelを独占禁止法違反で提訴。
1992年--Intelに対し、AMDへ1000万ドルの賠償金支払いを命じる判決下る。あわせて、AMD独自の386プロセッサでIntelのいかなる特許でもロイヤルティなしで利用できるライセンスの供与も命じられる。
1995年--AMD、x86プロセッサの設計に関する資産の共有を可能にする契約で、Intelとの残りの訴訟をすべて解決。
1999年--1995年の合意で、x86プロセッサデザインを独自の方法で実装するよう求められていたAMDは、独自バージョンであるAthlonを開発。
2000年--Intelが「不適切な」マーケティングプログラムにより、欧州の独占禁止法に違反したとして、AMDが欧州委員会(EU)に苦情を申し立てる。また、IntergraphがIntelを相手取って起こした独禁法訴訟の文書を、AMDは法的手段を使って手に入れようと試みる。
2003年--AMD、64ビットのx86プロセッサ「Opteron」をリリースし、はじめて技術面でIntelに先行。
2004年--日本の公正取引委員会がIntelを拠点を強制捜査。同社はこの捜査に協力したものの、その結果は認めていない。公正取引委員会によると、Intelは日本のPCメーカー5社--具体的には、富士通、日立、NEC、ソニー、東芝の各社に対し、AMDならびにTransmeta製品の購入を見合わせる、あるいは数量を制限する見返りにリベートを支払うことで競争を阻害したという。
2005年--AMDは、デラウェア州の連邦地裁で、Intelに対する独禁法訴訟を提訴。
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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