長年の間、わたしは「われわれが技術に適応するのではなく、技術がわれわれに適応するべきだ」と言ってきました。しかし、今ではこれは間違いだと思っています。専断的な技術に適応する必然性はありません。他方において、われわれの現代生活の大部分が、暖房システムや照明、電話、テレビなどわれわれを囲む技術への適応そのものでした。
もし以前のわたしが携帯メールについて予想を聞かれていれば、「これは難しすぎてだめでしょう。大体『C』を入力するのに3回もボタンを押すなんて馬鹿げている」と答えたことでしょう。しかし、人はそれを学んだばかりでなく、非常によく慣れました。このように、適応は起こります。
それから余談ですが、わたしはこの適応には年齢は関係ないと考えています。むしろ、どういう生活を送っているかということと関連性があります。わたしの場合、技術開発を支援してきており、技術が開発されるにつれてそれを学んできたので、適応するのは簡単です。多くの人にとっては、技術は突然現れるものであり、ついてゆくのはたしかに難しいことです。
どのくらい技術をよく知っているか、またどれだけ素早く習得できるかは問題ではありません。問題は習熟するのに時間がかかることでしょう。あなたは技術に慣れるのに20時間も費やしたくないでしょう。しかし、多くの子供たちはそれに充てられるだけの時間を持っています。
わたしはそう思います。
よく技術を使い、ソーシャルネットワーキングをよく使って友人とのつながりを維持する人です。
人々は、今では常に連絡を取りあっています。どこにいるかはもはや問題ではありません。
さらに、個人の生活と仕事の区別は消えつつあります。多くの人は、いつでもどこでも週7日間働くことを期待されているとこぼしています。これは事実ですが、週に7日間、いつでもどこにいても個人的なことも同じようにできるのであれば構わないのではないかとわたしは思っています。多くの企業はまだこれを理解していませんが、人々はそうしています。これが、人が仕事中にインスタントメッセージングやインターネットショッピングをする理由です。
これは別に新しいことではなく、以前はこうだったのです。
産業革命以前は、家族全員で裁縫をし、大工仕事をし、農作業をし、必要なことは何でもやっていました。全員が同じ時間にオフィスにいなくてはならなくなったのは、工場の発展、産業革命、ホワイトカラー革命の後に過ぎません。
しかし考えてみてください。今ではわれわれはグローバルな社会にいます。全員が同じ時間にオフィスにいるというのは、全員が同じ時間帯にいることを仮定しています。・・・われわれは今、誰もがより柔軟な時間、柔軟性と向き合わなくてはならない、興味深い活動のスケジュールの混在に直面しているとわたしは考えています。
それが問題になると思うのはどうしてですか?使う側としてのわれわれは、技術に気を取られるべきではありません。それがもたらす利点について考えるべきです。・・・われわれはいつも携帯電話を持ち歩いていますが、もし「クラウド」があればどこにいても同じ情報にアクセスできます。わたしはある程度混合した姿になるだろうと思います。
カウチポテト族がオフィスにも現れるでしょう。われわれは座ってばかりの社会になる危険にさらされています。
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