人工知能の第一人者J・マッカーシー氏に聞く--AI研究、半世紀の歴史を振り返る - (page 2)

文:Jonathan Skillings(CNET News.com) 翻訳校正:尾本香里(編集部)2006年07月13日 08時00分

--実現できるかどうかはともかく、もう1つの言わば高次元の目標として、コンピュータ知能に独創性をプログラミングするという試みがあるようですね。

 ええ。それはやってみる価値のある研究テーマです。実は、私は、1963年に、そのテーマに途中まで取り組んだことがあります。当時は、問題の創造的な解決という言い方をしていました。問題、つまりステートメント自体には含まれていない要素を含む解決策を導き出す試みです。しかし、結局はほんの入り口を覗いた程度だったのですが。

--独創性というのは、単純にプログラムに何らかのランダム性(偶発的な要素)を取り入れることと考えてよいのですか。それとも、まったく別次元の話なのでしょうか。

 原理上は、論理システムでは、規則的にもランダムにもセンテンスを生成することは可能です。そして、最終的には何らかのアイデアが出てくることになるのですが、この「最終的に」というのが、はるか未来のことになってしまう恐れがあります。ですから、独創性をプログラミングするという方法は、偶発性を取り込むかどうかに関係なく、あまり成果をあげていません。必要なのは、既存のアイデアから新しいアイデアを構築する良い方法を考え出すことです。

--少し話が戻りますが、先ほど、マシンの能力に対するプログラミング能力とアイデアというお話がありました。今日、われわれは50年前をはるかにしのぐ処理能力を手にしています。最新のコンピュータチップとメモリなど、最先端のハードウェアによってAIの研究に何か違いがもたらされましたか。

 50年前、ハードウェアの処理能力が貧弱過ぎたことは事実ですが、30年前には、ハードウェアの処理能力が研究の障害になることはなくなっていました。

--つまり、本当の問題は依然として基本的なアイデアの不足ということですか。

 そうです。

--ロボットは、人工知能という研究分野においてどのようにとらえられているのでしょうか。映画に出てくる人間型ロボットなど、よく描かれる未来像では、人間レベルの知能を持った存在といえばロボットになると思いますが、人工知能の研究ではロボットは本当に研究対象になっているのでしょうか。つまり、マシンがどのような形態を成すのかという点は重要な要素なのですか。

 もちろん、ロボットはいろいろな問題を提起してくれます。つまり、ロボットは実環境で動作しなければなりませんが、そうした世界では非常に基本的なことなのにまだ解決されていない問題があります。たとえば、人間の歩行能力(単に足を交互に引きずるのではなく前傾するという動きを含む)と3次元の情景を把握する能力をどのように組み合わせればよいのか、といったことです。これらのアイデアは別々に研究されているのですが、木登りなどは言うまでもなく、ちらかった部屋の中や階段を安定した動きで歩き回る程度のこともまだできないのです。

 ロボットが登場する映画では、明らかに、人間と同じような何らかの動機(目的意識)をロボットに持たせることで、ロボットを映画の中の登場人物に仕立て上げています。映画「AI」に出てきたように、ロボットがごく普通の人間のようになると想像するのは簡単ですが、そうすると、孤独なピノキオのようなロボットができてしまうのです。

 映画「AI」では10歳の息子そっくりのイミテーションロボットが登場するわけですが、このロボットを購入した母親が70歳、80歳になっても、イミテーションは10歳のままですよね。そうしたらどうなるでしょうか。映画のストーリーでは、そんなことは考える必要はないのですが、これなど架空の話によって人々がミスリードされてしまう例の1つです。

--Ray Kurzweil氏の「特異点(singularity)」(2045年までには人とコンピュータが融合するという考え)という概念についてはどうお考えですか。

 あれはナンセンスだと思います。Kurzweil氏は、そうしたことを実現するためのアイデアを何も持っていないと思います。仮に2045年にそういうことが実現したとしても、それはKurzweil氏の研究成果としてではないでしょう。これは多分間違いないと思うのですが、次の大きな進歩は(Kurzweil氏も含めた)われわれ老人ではなく、若者たちによって成し遂げられることになると私は思っています。

 6月にイスラエルに滞在していたとき、「人間の精神の特性に相当するものはコンピュータにも備わっている」とする私の論文が気に入ったというある若者に会いました。数分しか話せませんでしたが、私は、この分野に長く携わっている人間よりも、彼のような若者のほうにより大きな希望があると感じています。

--脳の研究に関してはどうですか。最近の脳研究のおかげで、人工知能の分野に新しい概念が生まれたことはありますか。

 もちろん、脳の機能についてはたくさんのことが明らかになりました。しかし、それらの研究成果はまだ人工知能の分野に結びつくまでには至っていないと思います。例を挙げましょう。陽電子放射断層撮影法(PET)によって、人が頭の中で計算をしているときに多くのエネルギーを使用する小さな領域が脳の中に見つかっています。それは良いのですが、その領域で具体的に何が行われているかは、現在の神経生理学でもまだ分かっていないのです。

--あなたの書かれた進歩と持続可能性に関する本を何冊か読みましたが、未来についてかなり楽観的に考えておられますね。実質的な進歩は持続可能であると。しかし、現在は非常に悲観的な時代だと思いますが。

 世の中の気分やマスコミの論調は本当に簡単に変わるものです。たとえば、自動車を今のまま使い続けるために、短期間で対応可能な現実的な方法として、燃料に液体水素を使い、その液体水素を原子炉で生成するしかないという事態になったとします。これは、大いにあり得る話です。このような事態に直面したら、Samuel Johnsonが言っているように、世論も議会もマスコミも突如としてその新しい技術を使う方向で意見の一致をみるでしょう。

--つまり、人というものは、本当に何とかしなければならない事態にまで追い込まれたら、何とかするものだと。

 私はそう思います。方法が残されているのに、それをせずに本当に悲惨な状態を受け入れるようなことにはならないと思います。米国や他の国の戦時の対応が良い例です。必要に迫られたら考え方など簡単に変わるものです。

--地球温暖化に関しても、本当に重大な事態になったら、回避可能、あるいは抑えることも可能であると数年前に書いておられますね。現在の研究結果を見ても、その考えは変わりませんか。

 温暖化が進んでいるという証拠は十分にあると思います。原因についてはさまざまな議論がありますが、必要なら、抑えることができると思います。しかし、今は、実際に有害なのかどうかもまだ明確になっていません。

 科学者たちの間でさえ、破滅に向かっているという考え方が支配的です。すべてとは言いませんが、そういう考え方が大半を占めています。彼らは、二酸化炭素の排出量を減らすこと以外に、真剣な対策を考えていないのです。つまり、科学者たちも一般の人たちと同じように悲観的な雰囲気に影響されているだけで、本気になって取り組みを考えてはいないのです。

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