批評家とエンジニアが予測する2045年の世界--プロジェクト「ギートステイト」 - (page 2)

インタビュー:西田隆一(編集部) 文:岩本有平(編集部)2006年08月10日 08時00分

--倫理研と設計研、2つの研究で欠けていたことはありますか。

東:それが、「30年後や40年後に社会はどうなるのだ」という長期的な視野だと思います。isedは「今後mixiは社会現象になるだろう」「今後ネットの自殺には警察が介入してくるだろう」という話をしていて、一歩先の情報社会を予測するという意味では成功したと言えないことはない。けれど、その話も5年後、10年後ぐらいまでしか及んでいない。「みながブログをやるようになるだろう」という予測はいいとして、それでそのときにどんな新しい表現や思想が出てくるのか、人の生活がどう変わるのかは、あまり話題にならなかった。

 そこで立ち上げたのが、この「プロジェクト・ギートステイト」です。最初は、GLOCOMでisedを継続する「研究計画」として始めるつもりだったのですが、僕がGLOCOMを離れることになったので、僕と鈴木さん、それに小説家の桜坂洋さんの3人で独立した組織を作って続けることになりました。

--ギートステイトは今までのisedとは異なるプロジェクトなのでしょうか。

東:もともと、isedには官僚から弁護士、経営者まで揃っていましたが、クリエーターが足りないと思っていました。そこで今回は、ライトノベル作家としていま大きな注目を浴びている桜坂さんをお呼びし、研究という枠を超えることをやろうと思っています。未来について考えるときに、これまでとは異なったアプローチとして、「虚構」というクッションをかませるととても思考が自由になると思うからです。

 たとえば、isedのメンバーで40年後の日本社会を「予測」するとして、海水面が何メートル上がるとか、北朝鮮が崩壊しているのか、みたいな話は出てくるでしょう。しかし、それだけでは面白くない。それ以上考えるというのは、これはもう学問ではなく思弁になるわけです。

 梅田望夫さんは『ウェブ進化論』で「総表現社会」という言葉を使っていますね。僕がある出版社の編集者から聞いた感想に、「梅田氏のあの指摘は、そういう社会が生まれた結果としてどんな新しい表現が生まれてくるのか、そのヴィジョンがないので物足りない」というものがありました。梅田さんがそこで踏みとどまるのは、彼が、そのさきを語ると単なる妄想や希望になってしまうことを知っているからだと思います。しかし、このプロジェクトでは、そこで踏みとどまりたくないと考えています。それが、アウトプットとして小説がある理由です。ギートステイトが描く未来社会は、エンターテインメントであると同時に、思考実験の場なのです。

--鈴木さんが東さんとギートステイトプロジェクトをはじめるきっかけとなったのはどういったことでしょうか。

鈴木:isedではアウトプットとして議事録を公開していますが、果たしてそれだけでいいのだろうかという問題意識から始まっています。たとえば50年後の人の、ある1日を、「どこでどういう動きをするか」とか、「何をしゃべるか」とか、「どういう移動をするか」ということを含めて、映像など何らかの形で表現すべきではないかという気がしていました。それがギートステイトをはじめる1つのきっかけです。僕としてはやっぱり表現するメディアを今までと違うものにすることが、重要と思っています。

--ギートステイトの場面設定やストーリーはどういう風に作られているんでしょうか。

東:3人で週1回顔をつきあわせて、議論して進めています。僕と鈴木さんがモチーフを出していくと、そのモチーフとモチーフを結びつけるためのキャラクターを桜坂さんが配置していくといった感じです。物語の構築については、桜坂さんの方法がたいへん理論的なので、助かっています。

鈴木健氏 鈴木健氏

 とはいえ、桜坂さんも設定内容についてかなり意見を述べていて、実際は3人共同で世界を作っていると言ったほうがいいと思います。桜坂さんはプログラマーとしての経験が豊富で、それがこのプロジェクトで声をおかけしたひとつの理由なのですが、その判断は大正解でした。彼は僕や鈴木さんと似た世界観をもっています。

--お二人は40年後の情報社会はどうなっているとお考えですか。

東:僕自身の考えというより、「ギートステイト」のなかでこうなっている、という設定の説明になります。そこではこう考えています。まずはユビキタス化が進み、社会環境は情報技術で覆われる。また、ニート、あるいはその後継者的なライフスタイルも勢力を拡大している。その結果、労働につての考え方は大きく変わっている。なんとなく家でゴロゴロしたり、遊んだりしていても、小銭が入るような技術が開発されている。それが基本ですね。

 情報社会のイメージとして、大きく2つのものがあります。1つは、情報技術に「エンパワー」された運動家とか起業家がどんどん活躍するような、たいへんアクティブな社会です。GLOCOMの組織的な関心はおもにこちらにありました。もう1つは--日本のネットワーカーの多くはこちらではないかと思いますが--むしろ情報技術のおかげで、自宅にひきこもってだらだらしていても、友だちもできるしコミュニケーションにも事欠かないのでそこそこ充実しているといった、「まったり」した社会のイメージです。ニートはコンビニとネットがなければ成立しないわけですが、その延長線上にある社会です。従来の情報社会系の議論や未来予測は前者ばかりを注目しがちで、それは最近のナショナリズムの台頭などとも微妙に絡んでいるのですが、僕はむしろ後者の行方を考えてみたいと思っています。つまりは、2ちゃんねらーやニートの未来を軸に、2045年の日本を考えたいわけです。このプロジェクトのオリジナリティは、そこにこそあるのかもしれません。

 あともう1つ重要なのは、やはり高齢化ですね。ここで重要なのは、急速な高齢化によって、おそらく高齢者のイメージそのものも大きく変わることです。

 たとえば、僕たちはいまニートを若い世代の問題だと思っているけれども、2045年になれば、当然ニート的なメンタリティをもつ老人もいっぱいいるはずです。あと、高齢者の比率が高いので、必然的に高齢者の犯罪が社会問題化しているはずです。実際、受刑者の中の高齢者の比率が、1990年から2000年までの10年間で数倍に急増している。そうなってくると、「高齢者+情報化=福祉」という常識は成立しなくなるでしょう。たとえば、いまは監視技術が高齢者の「見守り」のために使われることになっているけど、40年後には、むしろ高齢者は潜在的な犯罪者として管理対象になるかもしれない。ちなみに、40年後に高齢者としてもっとも人口が多いのは、僕もそのひとりである団塊ジュニアですね。

 いずれにせよ、「情報社会」と言ったときに、情報技術の可能性だけを考えても意味がない。その技術を誰が欲望するのか、そしてその人たちはどういう人なのか、という社会のダイナミズムをイメージしたいと思っています。

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