祝「iモード」10周年--次の“IT革命”は2010年に

それは「売らないで」から始まった

 2月22日にiモードがサービス開始10周年を迎えました。僕は、学生時代にアナログの「R? HYPER」と言う端末をブローカーとして売っていたのが始まりで、携帯電話業界に関わって15年目になります。

 一時期、大手商社の子会社立ち上げと同時に非音声系担当(当時はまだモバイルと言う言葉がありませんでした)として池袋にあるNTTドコモの研修センターでDoPaの説明会に参加した際、「これは売らないでください!」とまじめに言われたのが鮮烈に記憶に残っています。当時はパケット代が高く、PCサイトを閲覧すると、1ページ約6000円(!)もかかってしまうと言うのが理由です。

 PHSの32Kbps通信に対抗するべく、3回線を束ねて28.8Kbpsを実現するために作ったそうですが、「一般の人に説明しても、なぜそんなにお金がかかるのか理解してもらえず、クレームになるから、積極的には売らないでほしい」と。それが後にiモードに利用され、今のようなコンテンツ業界が生まれるなどとは当時は全く想像していませんでした。

 1997年になり、仲間と有限会社を立ち上げ、僕がIT部門を担当していたのですが、1999年初めに元同僚の友人からiモードと言うのが始まると言うのを聞き、ビジネスモデルを聞いてシビレたのを覚えています。

 即座にイベント運営部門の担当と取引先である自動車レースの運営会社にコンテンツの企画をプレゼンし、パートナーをまとめ、ドコモに企画を持っていきました。ただ当時のレギュレーションでは有限会社は共同コンテンツプロバイダーとして登録できないと言われ、悔しい思いをしました。

 何度もやり取りをして、10月にやっとサービスインにこぎ着け、初日に4300人もの登録があったときには、嬉しくて泣きました。ちなみに、1999年は電話番号が11桁になりドコモのアナログサービスが終了した年です。

「インターネット」とは呼ばないで

 当時はiモードを説明するのに、「インターネット」という言葉は使わないようにとドコモから言われていました。

 まだ、インターネットという言葉を聞いただけで難しいと思ってしまう人が多かった時代。その手法は正しかったと思います。ネットバンキングができたり、ニュースや天気予報が見れたりと、携帯電話で何ができるのかというのを前面に押し出して、「カンタン」「お手軽」を訴求していました。

「F501i」の待ち受け画面 一番最初のiモード対応端末「F501i」の待ち受け画面。白黒でイラストなどを表現していた

 当初は白黒端末で、写真は新聞のようにドットの濃淡で表現し、非常に大変でしたが、カラー端末がでてきたことで、待ち受け画像配信の「キャラっぱ!」や着メロサイトが流行を牽引していきました。

 着メロも当初はメロディを英数字の符号にし、それを打ち込んでいくものだったので、流行の曲は雑誌に符号化されたデータが掲載され、みんなで見ながら必死に打ち込んでいました。その後、曲がダウンロードできる形になり、3和音、16和音、32和音……と段々音質が良くなっていきました。

 ドワンゴが16和音以上の端末向けに高音質を売りに、後発ながら着メロ市場に参入し、プロモーションをうまく仕掛け、一気にシェアを拡大していきました。後にauが着うたサービスを始め、各キャリアも追随し、その後着うたフルがリリースされ、若い人の音楽視聴の文化を変えるまでになったのはご存知の通りです。

 一方で、一般サイトは公式サイトのようにメニューから選んでたどり着けるものではなく、長くて分かりづらいURLを打ち込まなければならなかったため、アクセス数が伸びず苦戦していました。その中で、URLの代わりに数字を打ち込んでアクセスする仕組みが現れ、特に「ギガコード」(後のmsnコード)は無料で利用できたために雑誌などにも積極的に取り上げられ、一気に浸透していきました。

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