1960年代が表すものは人によってさまざまだが、当時隆盛を極めたセックス、ドラッグ、ロックンロールに代表されるヒッピー文化がパーソナルコンピュータ革命を生みだすきっかけになったというのは本当だろうか。
現代史のこういう見方はまだまだ型破りである。確かに、軍事研究への膨大な投資や市場に有利な税制が原動力となったという説であれば納得できるだろう。しかし、マリファナ常用者と徴兵忌避者の世代がパーソナルコンピュータ革命を生み出したと言われると、首をかしげる人が多い。
言うまでもなく、こうした議論には、酒場における酔った勢いのでまかせという雰囲気がある。しかし、そう簡単に片づけてしまってはならない。実は、Whole Earth CatalogをつくったStewart Brandが、10年前にこの説に対してなるほどと思わせる議論を展開している
Brand は、1995年にTime誌に寄稿したエッセイで、ヒッピー全盛時代に芽生えたコミューンや自由主義的な考え方が、後にサイバー革命という形で実を結ぶことになったと主張している。「当時は、社会全体に無政府主義が危険なまでにはびこっていた(現在でもそうであると考える人は多い)が、権威を軽蔑するカウンターカルチャーのこうした姿勢が、管理者を置かないインターネットコミュニティ、ひいてはパーソナルコンピュータ革命の哲学的基礎を与えることになった」。(Brand)
彼はVint Cerf がキセルでマリファナを吸っていたことは語っていない。カウンターカルチャーの、ときとして意固地なまでに体制に反抗する風刺画的な見方にとらわれると、重要な点を見失いがちだ。実際には、こうした古い体制的なものに真っ向から立ち向かう気概が彼らの創造力をわきたたせ、メインフレームによる集中処理に対するすさまじいまでの反発という形で現れたのである。
「人民に権力を」が「人民にコンピュータを」につながったということか。これは、実はそれほど無理な解釈でもないように思える。しかし、どこでどういう具合につながったのか。これを説明するのは難題だが、それを見事にやってのけた書物がある。John Markoffが書いた「What the Dormouse Said: How the '60s Counterculture Shaped the Personal Computer Industry(60年代のカウンターカルチャーはどのようにしてPC業界を作り上げたか)」がそれである。The New York Timesのシリコンバレー担当記者だったMarkoffは、カウンターカルチャーと、サンフランシスコの南隣のエリアで後に行われる先駆的なコンピュータ研究とのさまざまな結びつきを明らかにしていく、見事な読み物を仕立て上げている。
歴史がなぜそのような道をたどったのか、その理由を解明することはいつもおもしろい物語になる。結果が予想外の場合はなおさらだ。コンピュータ技術競争という点では、当然、東海岸が西海岸に勝利してしかるべきだった。コンピュータ技術の中心地であった東海岸には、IBMが本社を置くニューヨーク市の北部からケンブリッジのMITまで、才能ある人材、資金、名門の血筋などがそろっていた。しかし、Markoffが書いているように、ほとんどの革新的な研究はカリフォルニアで行われたのである。
「東海岸のコンピュータ文化は、そうした先駆的な研究の意味を理解していなかった。古いコンピュータ文化は階層的で保守的だった」
彼の言うとおりだろう。ある意味、東海岸の旧体制は自らの成功の犠牲者だったといえる(成功の上にあぐらをかいて柔軟な思考ができなくなっていた)。そして、残念なことに、現状維持に固執するあまり未来を見通す目も失っていた。DECの創始者であり、東海岸地域の旧体制コンピュータ業界の中心人物だったKen Olsonが、かつて「家庭用のPCなど必要ない」という軽口をたたいたことは有名だ。しかし、世界は大きく変化し、DECは先見の明のない経営方針の代価を支払うことになったのである。 一方、北カリフォルニアは、Doug Engelbart、Fred Moore、Alan Kay、Ted Nelsonといった優秀な才能をひきつけていた。その中には、後に伝説となるHomebrew Computer Clubに所属するさまざまなコンピュータマニアたちも含まれていた。
西海岸と保守的な東海岸はまったくもって好対照であった。両者の違いはパロディー化されることさえあった。IBMが、社員をビジネスの世界に送り込むのに、きちんと折り目のついたスーツと白いシャツを作業服として着用させたことは有名だ。IBMの社員たちは、将来自分たちの天敵となる若者たちがLSD を飲んでいることを知ったらどう思っただろうか。
LSDはほとんど禁じられていなかった。それどころか、ほとんど野放し状態だった。トム・ウルフの小説「クール・クールLSD交感テスト」に書かれているようにKen Keseyが炭酸飲料にLSDを混ぜて飲むずっと前に、Engelbart は小さなコンピュータ研究者集団に属して、LSDのような幻覚剤で創造力を高めることができるかどうかを試していた。これが、後にコンピュータ技術のブレークスルーにつながったかどうかは分からない(少なくとも、LSDでトリップしている最中に、おねしょを治すためのトレーニング用玩具を思いつくくらいのインスピレーションは得られたようだが)
米国を独立に導いた世代と同じように、彼らは考えそして実行する特別な集団だった。60年代のカウンターカルチャーが起爆剤になって彼らのエネルギーは一気に爆発したのだろうか。それとも、特別な才能の持ち主が偶然にも同じ時代に同じ場所に集まっただけだったのだろうか。この議論は今後も尽きることがないだろう。
筆者略歴
Charles Cooper
CNET News.com解説記事担当編集責任者
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」