この数年、大企業の間でオープンイノベーションにより新たな価値創造や課題解決を目指す動きが活発化しているが、その中の1つである共創型コンソーシアム「point 0」を起点に、非IT企業のビジネス人材にテクノロジー教育を行い、デジタル時代の事業開発人材を養成する「Tech0」という取り組みがある。
Tech0は単なるエンジニア養成スクールではなく、大企業に所属する個人同士がチームを組んで進めていく、他に類を見ないオープンイノベーション型のデジタル人材育成プログラムだ。
これを主催するのは、Microsoft Corporation(以下マイクロソフト)の濱田隼斗氏。マイクロソフトの教育事業というと、Azureの技術教育やOfficeの資格取得を目的としたものを連想するかもしれないが、Tech0はあくまで濱田氏個人の想いに端を発した日本企業向けのプログラムである。
運営にあたって、「日本企業のモノ中心の価値観を変えて、デジタルを駆使して新しい価値を生み出し実行できる人材を育てたい」と語る濱田氏に、Tech0誕生のいきさつからプログラムの本質、そして今後の展開などを聞いた。
現在、日本の企業ではDXという命題の下で変革が進みつつある。特に長きに渡り市場をけん引してきた大企業では、自社のビジネスや製品をDXで高度化させるため、IT人材やデジタルスキルを内製化する必要があると認識されている。しかし実際は、社内でそれをハンドリングできる人材やデジタルをビジネスに結び付ける枠組みが存在せず、多くの企業では新規事業開発やDX人材の育成が思うように進んでいないのが実情だ。
その背景には、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称された時代から続く、高品質な製品を作って売るという“モノ売りへのこだわり”と、日本企業の独自文化に起因する“社内のIT人材不足”という2つの問題が存在していると濱田氏は指摘する。
「国内の多くの製造業は、自前のハードウェア領域で勝負をしようとし、デジタルファースト時代の市場やユーザーニーズに合った製品開発ができずにいる。また多くの日本企業が、これまでシステムやアプリケーションの開発や運用を外部のシステムインテグレーター(SIer)に任せてきたため、社内にITやデジタルを理解できる技術的な人材が少なく、ナレッジも蓄積されていない。そのような状態で社内ではデジタルビジネスを開発する人材を育てられず、プロダクトマネージャー(PdM)や事業担当者がITを活用して新製品や新規事業を開発しようとしても、うまく外部のリソースを使いこなせずにいる」(濱田氏)
その結果として、日本の大企業からは最新のテクノロジーを活用したサービス中心型のプロダクトがなかなか生まれず、海外を中心とした新しい勢力にどんどん顧客も市場も奪われる状況が続いている。Tech0が誕生した背景には、そのよう日本の大企業が抱える構造的な課題が存在しているという
そのためTech0では、ビジネスサイドで活躍している非テック人材に事業推進のためのITスキル教育を施し、テクノロジーを活用して事業を創り出せる人材育成を進めている。目的はプログラマーやSE、プロジェクトマネージャーといった職業ITエンジニアの育成ではなく、製造業などで製品を開発するプロダクトマネージャー(PdM)や事業会社の新規事業担当者、DX推進人材の育成である。
自分で1から10まで作るのではなく、テクノロジーやDXを理解し、製品やサービスのプロトタイプを社内で開発できるようになり、最終的に事業を開発する際に発注先のITベンダーと対等に話ができるレベルのエンジニアスキルを習得することがゴールになる。
プログラムをこなしていく過程では、大企業に所属する個人同士が組織同士の打算が無いつながりの中で、仮想プロジェクトを経験しながら成し遂げていく。それらを軍隊が新兵を訓練するように、ハードな「ブートキャンプ」型のプログラムとして提供し、結果として「3カ月で自分の手でモックを作れるようになり、最終的に1年弱でテクノロジーを活用した事業や製品を作れるようなスキルを身に着けられる」(濱田氏)ようになる。
Tech0を主催する濱田氏自身も、つい数年前まではビジネスサイドの人間であった。大学卒業後に国内外資メーカーの営業を経て、渡米してアリゾナ州立大学でMBAを取得し、シリコンバレーのAIスタートアップに財務担当者として参画。そこから独学でプログラミングを学び、ビジネス側からエンジニアへの転身を経て、現在はマイクロソフト・コーポレーションで、日本・中国市場におけるAzure AIリードを任されるに至るという異色の経歴を持つ。
その自らの努力と成功経験に裏打ちされた「為せば成る」というストイックな発想が、これまで日本で別物とみなされてきたビジネスとテクノロジーをつなぐTech0の取り組みを形作る大きな要素となっているが、Tech0の立ち上げには、それ以外にも濱田氏の「体験」というエモーショナルな要素も含まれている。濱田氏はシリコンバレーで自らの道を切り開いていく中で、日本を支えてきた大企業がテクノロジー領域で完全に後れを取っていることを感じていたと話す。
「現在日本は先進国のポジションにいるが、ITに関してはもう中堅でもなく遅れているという評価で、1人の日本人として悔しい思いをしていた。また個人的にも、自分がシリコンバレーで働けるようになった過程で、折々で理解ある先輩との出会いや日本の先人たちが培ってきた信用に助けてもらった。これまで日本を支えてきてくれた大企業のために何かできることはないかとの思いが、常に心の片隅にあった」(濱田氏)
そのような思いを抱きつつ、濱田氏は2019年にマイクロソフトに転職して帰国。たまたま別件で来社していた大手企業にpoint 0を紹介され、日本マイクロソフトとしてコミュニティに参加することになったという。
point 0は、2018年に発足した大企業による協創/共創のためのコンソーシアムで、現在は中核メンバーとして業種横断の17社が参加。東京・丸の内に最新の設備を整えたコワーキングスペースを構え、ワークスペースを共有しつつ実証実験や新規事業開発に取り組んでいる。組織の名称には「再定義」「起点」という意味が込められており、参加者の多くは濱田氏と同じく日本を牽引してきた大企業の現状を何とかしたいという思いを抱いていた。
「point0では、大企業の有志達が志の高い活動をしていた。皆でアイデアを出し合い、体育会系的にスピード感を持って取り組みを進めていたが、いざ共創の成果物となったときに、大手メーカー同士がモノとモノを組み合わせてソリューションを作るという話をしていた。完全にモノ思考で、これはまさにシリコンバレーで『日本って遅れているよね』と評されていた課題そのものであり、この状況を何とかしなければと感じた」(濱田氏)
そこで濱田氏は、メンバーが参加するコミッティ会議において、日本企業がデジタルファースト時代に追従できずにいる構造的な問題とともに、海外の事業会社が採用するPdMが主導して自社内でモックを開発し、顧客に使ってもらいながら新規事業やサービス開発を行っていくという最新の製品開発手法を紹介し、意識変革を促した。それが、Tech0のスタート地点となっている。
「『現状の企画や開発を外部の代理店やSIerに発注するというプロセスをやめ、自分たちでハンドリングして、自分たちが作りたい製品開発を実現できるような形にしませんか?本気で取り組むのなら僕が面倒を見ますよ』と問いかけたら、650人ものメンバーがやりたいと手を挙げてくれた。あまりに人が多かったので班分けし、班長が何を作るかを決め、僕が全体や困りごとの問題解決を受け持つという形で、2022年2月に第1期の活動を開始した」(濱田氏)
その結果、3〜4ヶ月の取り組みで、横スクロールゲームを模したARアプリやLINEプラットフォーム上へのMaaSアプリの構築、トイレの予約アプリ開発、業務効率化を目的としたウェブスクレイピングの仕組みを構築するなど多くの成果が見られたため、本格的にTech0の取り組みを開始した。
さらにその過程で、会社の上司から理解を得られないケースや、point 0に参加できない個人の参画が難しいという問題が生じたため、現在はpoint 0からスピンオフする形で株式会社Tech0を設立し、正式に事業化。テクノロジーの基礎から実践まで一気通貫で学べるサービスとして、「Tech0 BootCamp」を展開している。
現在、Tech0が提供するTech0 BootCampのカリキュラムは、Step1の「基礎学習・ハンズオン」、Step2の「開発基礎」、Step3の「プロダクト製作」という3ステップで構成されている。
Step1でテクノロジーやプログラミングの基礎を身に着け、Step2でチームに属して自ら手を動かした開発とグループワークを体験する。Step3ではチームでモックを作りながら、プロジェクトを進めていくための実践的なノウハウを学ぶ。それらを約1年かけて経験し、さらにStep3と並行して卒業後に習得した技術をどう社内で生かしていけるかを専門家に相談する「ビジネスメンタリング」も、オプションメニューとして用意されている。
「Step1は個人ワークで、ITリテラシー習得に加えて実際にランディングページ(LP)を開発し、Pythonなどを用いてデータ分析にも挑戦するする。Step2からは自分が抱える課題や興味のある分野をもとにチームを組み、Zoomで進捗管理をしながら各々で開発を進めていく。そしてStep3で実際にプロジェクトの形でサービス開発をチームごとに繰り返し行い、世に出せるレベルに昇華させていく。ハードメニューではあるが、卒業生にはすでに社内でPdMとしてデビューを果たしたり、習得した技術を自社のビジネスに生かしたり、スキルを活かせる好条件の企業に転職した人もいる。他にも、企業にDXを提案するコンサルタントが実践を経験したいと言って参加し、今まで感じていた負い目がなくなったと仰っていたケースもあった」(濱田氏)
現在は3期目までプログラムが進行中で、1月19日から4期目がスタートした。4期も50名ほどを定員としていたが、需要が高く、質の担保のため多くの応募を断ったほどだ。現在の参加者は150名程度で、point 0や紹介ベースで参加者は増加しているが、質を保つために参加人員は最大でも200名程度までとし、その後は卒業した分だけ補充するという形を想定している。そして参加費は通常は月額3万3000円だが、現在は特別価格の月額1万8150円(2023年3月時点)という料金設定となっている。
「Tech0では、自分が勉強したい・やりたいと思っているにも関わらず、場所やチャンスがない人たちに機会を提供したいと思っている。その際に金額面で諦めて欲しくないので、価格は敢えて低く設定した。参加条件としては、今はpoint 0のメンバー以外も広く受け入れているが、基本的に大企業の現状を改革したいという思いがあるので、大企業の社員を優先している状況」(濱田氏)
プログラム修了後には、DX推進のポジションやPdMになるスキルが習得でき、今後卒業生が続々と企業に送り出されていくことになるが、その際に現時点でもう1つ解決すべき問題が見えているという。
それは、DXの本質やTech0で目指す次世代型PdM人材の必要性について腹落ちできていない人が企業内に多いという問題である。特に上層部の理解が薄く、適切なポジションもないためにせっかく獲得したスキルを社内で生かせない。Tech0のビジネスメンタリングも、その課題を踏まえて実施している側面もあるが、それ以外にこれから社内の受け入れる側を啓蒙していく作業も必要になると濱田氏は説く。
「変革していく中には、技術的側面と人的側面がある。さらに企業が変革していく過程には、『個人』『チーム/』『プロジェクト』『部署』『組織』という4つの段階がある。技術的な側面と個人からプロジェクトまでの人的側面は既存のプログラムでフォローできる体制を用意したが、これからは部署と組織、つまり受け入れる側、新たに事業を開発する企業側が変わりたいと思う機運を醸成し、それをどうやって仕組み化することが大事になってくる。そこで現在、企業を対象に事業部長クラスの方にプログラムを体験してもらうことを考えている」(濱田氏)
そこでロールモデルを作るべく、現在point 0の立ち上げから参画するライオン 研究開発本部 戦略統括部 イノベーションラボ 所長の宇野大介氏が3期生として参加している。さらに、そこから先の展開も見据えている。
「たとえば、宇野さんが率いるチーム全体でTech0に入ってもらう。そこで事業部長クラスとPdMに分かれ、手を動かすのがPdMを目指すメンバーで、宇野さんのような上の立場の方にはPdMをマネージメントしてもらえるようにする。それを社内で広げていくことで、部署や組織全体のマインドチェンジが進むという構想を描いている」(濱田氏)
当の宇野氏は、これまでにLPの開発やPythonを使ったウェブアプリケーション開発を体験し、現在はITベンダーに発注する際にどう進めていけばいいかというレベル感にまで到達しているという。「実際にやってみて、一歩踏み出すとあっという間に変わっていけると体感できた。私たちは、たまたま身近に濱田さんがいたのでそれに乗っかることができたが、事業サイドの人間として、Tech0がどんどん広まっていくといいと感じている。私自身もうすぐ部署を変わる予定だが、社内でのTech0の取り組みは後任に引き継いでいく」と話す。そしてTech0のプログラム学習を経験した宇野氏は、ライオンへのフィードバックのほかに、メンターとしてTech0の活動にも携わっていく予定だという。
今回紹介したTech0の取り組みは、point 0で活動する大企業のメンバーには理解できても、大企業に属する人たち全体で見るとまだ自分ごととして理解できていない人の方が多いのが現状である。
また実際に、これまでの傾向として、Tech0に会社からの要請で参加した人は、自分の意思で応募してきた人に比べたら熱量が足りないという。その状況を、これから徐々に増えていく卒業生の活躍や、他社との連携も含めたTech0プログラム自体のさらなる拡充をもって変えていく。それを実現することにより日本の大企業のプレゼンスを高めていくのが、Tech0のミッションであると濱田氏は捉えている。
「日本が今の立ち位置にいられるは、上の世代が企業、製品として国としての価値を高めていってくれたおかげ。残念なことに今の日本は成長の中心から離れつつあるが、Tech0の取り組みを通じて今一度、テクノロジーの力によって日本の企業が競争力を持って最前線で戦っていけるように、我々の世代の力で変えていきたい。そして次の世代へと“恩送り”をして、バトンをつないでいきたい」(濱田氏)
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