世界最大のモノづくりの街であり、中国全土からチャイナドリームを夢見る若者が集う街である深セン市。以前、現地で挑戦する日本人である川ノ上和文氏(33歳)の半生に迫ったが、今回紹介するのは深センを訪れた際に出会ったもう1人の日本人である東野万美氏(27歳)だ。
同氏は米国留学後に、日本でスタートアップイベント「Slush Asia」の初期スタッフとして活躍。その後、ベンチャーキャピタルの500 Startupsの日本チームに参画した後、中国の深センに渡った。現在は深セン発の教育ロボットメーカー「Makeblock(メイクブロック)」の本社で唯一の日本人社員として、日本展開における重要な役割を担っている。
なぜ、東野氏は深センという街にたどり着いたのか。インタビューを通じて、同氏の「環境に甘えずに挑戦し続ける」という強い信念が垣間見えたーー。
群馬県高崎市の片田舎で4人兄弟の末っ子として生まれた東野氏。歳の近い2人の兄とよく遊んでいたこともあり、負けず嫌いなやんちゃな性格に育ったという。上の兄弟は3人とも県外の大学に進学したため、自分も当然のように同じ道に進むと思っていたが、東京の大学はまさかの不合格。その後、合格した地元の大学に入学した。
東京に行けなかった反動もあり、国内の都会よりも海外に行きたいという気持ちが次第に高まっていった東野氏は、大学1年生の夏休みに北京に2週間、2年生の夏休みに米国に3週間の短期留学へ。さらに4年生の時に大学を休学して、米国に1年間ほど留学したという。
「小学校から大学まで、サッカーや卓球、バレーなどずっと運動をしてきて、部活などの団体や組織に所属することが多かった。大学でも部活に入っていて、組織内での自分の役割みたいなものはあったが、それはこの小さなコミュニティの中だからできていること。そこから飛び出して、自分の力でどんなことに挑戦できるのかを知りたくなった」(東野氏)。
群馬県の大学では、周りに海外留学経験者などが少なかったため不安もあったそうだが、いざ留学先のシアトルに行ってみると、英語がそこまで話せなくても、持ち前のアクティブな性格のおかげですぐにコミュニティに溶け込むことができたと振り返る。留学中は、大学の団体やミートアップなどに1人で参加したり、バックパックで旅行をしたり、現地のNPOや学校、物流企業でボランティアやインターンをする日々を過ごした。
1年間の留学を終えて帰国した東野氏。しかし、地元の群馬県ではせっかく身につけた英語を使う機会がなかった。どうしようかと悩んでいたところ、東京で開催されるあるイベントがボランティアスタッフを募集していることを、留学先で知り合った友人のFacebookの投稿で知った。これが、2015年に日本で初開催された、英語メインのスタートアップイベント「Slush Asia」(現Slush Tokyo)だった。
英語を使うことができるというシンプルな理由で、Slush Asiaのスタッフとして参加した東野氏だが、それまで「スタートアップという言葉すら聞いたことがなかった」(同氏)。ただ、運良くイベント直前にピッチステージの学生リーダーを任されたこともあり、睡眠時間を削りながら、スタッフオペレーションやタイムテーブルを作ったり、当日は登壇スタートアップや審査員の対応をしながら、スタートアップへの理解を深めたという。
Slush Asiaにおいて最も衝撃だったのが、これまで出会ったことのない“起業家”という存在だったと東野氏は話す。「経営者や起業家は、生まれつき才能があったり、親から受け継いだりする人のことで、自分には無縁だと思っていた。でも、Slush Asiaの舞台裏で学生スタッフたちから励まされながら、必死に英語でプレゼンする姿をみて、この人たちも私と同じ人間なんだ。挑戦や失敗をするのは本当は怖いけれど、夢を叶えるため、社会の課題を解決するために起業しているんだということを知った」(東野氏)。
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