開幕直前!5分で分かる東京ゲームショウ10年の歩み - (page 2)

小川陽平(編集部)2007年09月21日 14時08分

絶頂期から停滞期、そして……(1999年〜2001年)

 ファイナルファンタジーシリーズとドラゴンクエストシリーズがPSへ投入されたことにより、SSとPSの次世代機争いはPSの圧倒的な勝利となった。セガは次世代機としてドリームキャストを1998年に発売したが、PSが擁する豊富な大型タイトルと、初動段階の販売戦略の不手際により、シェアを拡大できないでいた。

 しかし、絶頂を迎えていたと思われていたゲーム業界は、すでに停滞期を過ぎて長い衰退期に入ろうとしていた。

 原因はいくつも考えられる。タイトルの粗製濫造。それに伴う流通在庫増大による小売店への圧迫。投げ売りされるソフトによる買い控えなど、1998年からゲーム市場は衰退の一途をたどる。

 多くのゲームメーカーは利益率の悪化により規模縮小を余儀なくされ、経営状態が深刻な会社は良くて他社へ吸収、悪ければ倒産という事態が相次いだ。

 1999年秋のTGS'99秋では、PS2が初めてプレイアブル出展されるなど大きな話題を呼んだが、これ以降TGSは冬の時代を迎える。体力のなくなったメーカーは、多額の費用がかかるTGSへの出展を見送るしかなく、出展数と出展タイトルの少なくなったTGSは、魅力を感じないイベントになってしまったのだ。また、会員メーカーからは年2回も開催されるTGSというイベントの訴求力が、費用対効果に見合わないのではないか? という声もあがりはじめた。

  そして2001年のTGSでは、とうとう総入場者数13万人を割ってしまう……。

再度発展期へ(2002年〜2005年)

 2000年に発売されたPS2は高い能力とDVD再生能力で、発売してすぐにスタンダードの地位を確立した。PSとの高い互換性も、PS2への移行を加速させた。その速度は同年9月に任天堂が発売した「ニンテンドーゲームキューブ」の追随を許さず、「ゲーム機=PS2」という体制は2002年には盤石なものとなっていた。また、メーカー再編の勢いも加速し、スクウェアとエニックス、セガとサミー、といった大手メーカーの再編が相次いだ。

 そんな2002年からTGSは年1回の開催となり、主催もCESAと日経BP社との共催となる。これにより、ビジネスデーの強化、出展社・出展分野の拡充といった対応策がとられることとなる。(出展者数を例にあげると、TGS'2001秋の出展社は53社だったのが、TGS'2002では85団体まで増加している)

 また、2001年と2002年で決定的に違う点が2つある。

 1つめは、Xboxの登場である。PCのOSでは最大手のマイクロソフトが発売するXboxは、その高い性能で大きな話題を呼んだ。残念ながら日本の市場で成功を収めることはできなかったが、1社寡占の状態が続くと、どうしても業界には閉塞感が生まれてしまう。その閉塞感に風穴を開けたXboxは、もっと評価されて良い製品だろう。(そして、マイクロソフトのチャレンジはXbox 360で2006年現在も続いている)

 2つめは、オンラインゲームを提供するパブリッシャーの出展である。2002年にガマニアデジタルエンターテインメントが大規模出展したのを皮切りに、現在では多数の大手パブリッシャーが出展するまでになった。また、急速に市場を拡大してきた携帯電話ゲームの出展も忘れてはならない。これまでもNTTドコモは出展をしていたが、表現力と回線速度の向上により携帯電話上でのゲームは、高い表現力をもつまでに成長した。これらが意味するものは、TGSがコンシューマー中心のゲームイベントから、ゲーム総合イベントへと転換したことである。

 このような話題と、主催者側の対応策が功を奏したのか、2002年以降入場者数は回復し、TGS'2005では過去最高17万人以上の入場者数を記録するまでになった。

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