京都高島屋で「生誕135年 竹久夢二展 ―幻想の美 秘められた謎―」を開催。2020年3月4日(水)から。

株式会社高島屋 2020年01月24日 18時13分
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《西海岸の裸婦》(部分)1931-32(昭和6-7)年 夢二郷土美術館蔵
《花衣》(部分)1931-32(昭和6-7)年 全米日系人博物館蔵Courtesy of the Japanese American National Museum(Gift in Memory of Manji Ohashi by Shizue Ohashi Naramura, JANM2002.179.1)

『生誕135年 竹久夢二展 ―幻想の美 秘められた謎―』

■会  期:2020年3月4日(水)~3月15日(日)
■会  場:京都高島屋7階グランドホール(京都市下京区)
■入場時間:午前10時30分~午後7時(午後7時30分閉場)※最終日は午後4時30分(午後5時閉場)
■入 場 料 :一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料
■主  催:朝日新聞社、夢二郷土美術館
■協  力:竹久夢二学会
■監  修:高階秀爾(美術史家、竹久夢二学会 会長)


京都高島屋で、大正ロマンを象徴する詩人画家・竹久夢二(1884年~1934年)の生誕135年・没85年を記念し「生誕135年 竹久夢二展 ―幻想の美 秘められた謎―」を開催いたします。
竹久夢二は、画家としての活動にとどまらずデザイナー・詩人・文筆家など総合芸術家として様々なジャンルで数多くの作品を残し、恋と旅を重ねドラマチックな生涯を送りました。彼が表現した芸術とその生き方、独特の世界観は今もなお新鮮な魅力を放ち、多くの人々の心をとらえて離しません。
本展は、夢二研究の第一人者で美術史家・竹久夢二学会会長も務める高階秀爾(たかしな・しゅうじ)氏の監修のもと、夢二郷土美術館の所蔵作品を中心に、同氏の視点で選び抜かれた約150件の作品を4つの章で展観いたします。アメリカ西海岸滞在中に夢二が新たな画境を求めて描いた《西海岸の裸婦》と《花衣》を、夢二郷土美術館外で揃って公開するのは今回の高島屋巡回展(京都、大阪、横浜、日本橋)が初めてとなります。


■第1章 樹下美人から海辺の裸婦へ
妻たまきとの出会いが、目の大きな独特な女性像「夢二式美人」誕生のきっかけと言われています。S字ラインの身体に心情を表す目・手・足が大きく描かれた女性像は新しい美人画として人々を魅了し、世の女性たちが真似るなど、社会現象にもなりました。大正半ばには、職業モデルのお葉との出会いにより、実感と奥行きのある女性像が形成されるようになりました。昭和に入ると、時代の変遷の中で新たな画境を求めた夢二は、1931(昭和6)年に外遊に出かけ、アメリカ西海岸で美人画の傑作となる油彩画《西海岸の裸婦》を描きました。この章では、「夢二式美人」と言われる女性像の作品を中心に、夢二の画業をたどります。


■第2章 遥かな国 夢の世界
日本文化と西洋文化が交じり合う「大正ロマン」と称される時代になると、西洋と東洋の融合が夢二作品の大きな特徴となります。幼いときから異国やまだ見ぬ世界に憧れていた夢二は、西洋画、中国文人画、江戸時代の浮世絵などに幅広く興味を持ち、そのすべてをイメージソースにして異国情緒あふれる作品に表現しています。中でも、神戸中学時代に外国人教師から学んだ聖書はその後もずっと手元に置くほど身近であり、キリスト教がモチーフになっている作品も多くあります。この章では、夢二が憧れた幻想の世界や異国情緒あふれる作品を中心に展観いたします。


■第3章 人生劇場の情念のドラマ
夢二のふるさとは芝居事の盛んな地域で、父親が芸事好きだったこともあり、子どもの頃から芝居に親しんでいました。成長後も人形浄瑠璃や歌舞伎を好み、それらの人情話をしばしば作品の題材にしています。絵の形式で詩を書くことを信条に、独学で画家としての道を切り開こうとした夢二は、画家にとどまらず詩人・デザイナー・人形作家・文筆家など様々な形式で、孤独や哀しみの「心の詩」を表現し続けました。この章では、夢二が親しんだ芝居や、妻や恋人たちと歩んだ自身の人生にも重なる「情念のドラマ」を題材にした作品などを紹介いたします。


■第4章 新感覚と奇想のデザイン
夢二は、約60冊の自身の著作本を始め、ほかにも多くの本や雑誌の装丁・挿絵を手がけています。また、楽譜の表紙もデザインし、クラシックから当時の流行歌まで様々なジャンルの曲を絵・デザイン・タイポグラフィーで表現しました。ほかにも「エハガキ」や日用品に至るまで様々なジャンルのデザインを数多く手がけ、「生活の中の美」を具現化してきました。画家としても理想の女性像を追求し続け、晩年に描いた夢二式美人画の大作《立田姫》は、夢二独特の黄金比を保った美しさで表現されています。この章では、画家の枠を超え総合芸術家として活躍した夢二の画業を様々なジャンルの作品でたどります。


【竹久夢二 略歴】
1884(明治17)年  岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名は茂次郎
1899(明治32)年  神戸中学校に入学。12 月に中退し、一家で福岡県へ転居
1902(明治35)年  早稲田実業学校に入学
1905(明治38)年  平民社の「直言」にコマ絵が掲載される。「中学世界」に「筒井筒」が第一賞入選、初めて夢二の筆名を用いる。※早稲田実業学校専攻科を中退。投書家時代を終える
1907(明冶40)年  1月、岸たまきと結婚。後にたまきをモデルに「夢二式美人」が生まれる
1909(明冶42)年  たまきと戸籍上離婚(後に次男不二彦、三男草ーをもうける)。最初の著作『夢二画集 春の巻』発行、ベストセラーとなる
1912(大正1) 年  京都府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」を開催
1914(大正3) 年  10月、日本橋区呉服町に夢二がデザインした商品を扱う「港屋絵草紙店」開店。のちに恋人となる画学生の笠井彦乃と出会う
1916(大正5) 年  11月、京都へ移る
1917(大正6) 年  彦乃が京都にくる。彦乃、次男の不二彦とともに温泉を歴遊
1918(大正7) 年  京都府立図書館で「竹久夢二抒情画展覧会」を開催。東京に帰る
1919(大正8) 年  お葉をモデルとする
1920(大正9) 年  彦乃永眠
1921(大正10)年  お葉と世帯を持つ
1923(大正12)年 「どんたく図案社」結成を発表するが、関東大震災で潰滅
1924(大正13)年  世田谷区松原に自ら設計したアトリエ兼住居「少年山荘」完成
1930(昭和5) 年 「榛名山美術研究所建設につき」宣言文を発表
1931(昭和6) 年  アメリカ・ヨーロッパヘ旅立つ( 1933 = 昭和8 年帰国)
1934(昭和9) 年  9月1日、信州富士見高原療養所で50 年の生涯を閉じる


【お問合せ】
京都高島屋 075-221-8811(代表)

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