1964年東京オリンピックで、皆の心に残る開会式を舞台裏でささえた 熊谷 康氏(大会組織委員会 式典担当)松下 治英氏(ブルーインパルス 編隊長)スペシャルインタビュー 公開

公益財団法人 笹川スポーツ財団 2018年03月28日 11時00分
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 「スポーツ・フォー・エブリワン」を推進する、公益財団法人 笹川スポーツ財団(所在地:東京都港区、理事長:渡邉 一利、以下 SSF)は、1964年東京オリンピックで、皆の心に残る開会式を舞台裏でささえた 熊谷 康氏(大会組織委員会 式典担当)、松下 治英氏(ブルーインパルス 編隊長)のスペシャルインタビューを公開いたしました。 

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▲東京オリンピックの開会式で青く澄み渡った空にブルーインパルスが描いた五輪(1964年)

 今回ご登場いただくのは、1964年東京オリンピック大会組織委員会の式典部に所属し、開閉会式を担当した熊谷康さんと、「ブルーインパルス」の編隊長として記憶に残る五輪の雲を描いた松下治英さんです。
 熊谷さん、松下さんともに、“絶対に失敗出来ない”という思いで開会式の業務に臨みました。聖火が付くタイミングとジェット機出発の秒単位の割り出しなど舞台裏についてお話しいただきました。

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▲東京オリンピックの開会式で選手団の最後に入場する地元日本選手団(1964年)

 SSFでは、スポーツの価値や意義を検証し、あるべきスポーツの未来について考える機会として、鈴木大地氏、吉田沙保里氏、室伏広治氏など日本のスポーツの歴史を築かれてきた方々へのインタビュー記事『スポーツ歴史の検証』 を連載しています。
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▲ブルーインパルスの飛行訓練風景

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▲航空機の前で。左から2番目が松下治英氏

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▲東京オリンピックの閉会式では各国選手が入り交じって入場(1964年)

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笹川スポーツ財団 スペシャルサイト『スポーツ歴史の検証』

第72回 「成功させたい」気持ちで一致団結していた 1964年東京大会

熊谷 康氏、松下 治英氏
(スポーツ歴史の検証 で検索ください!)
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【主な内容】
都からの出向(初回)の一人として組織委員会へ
自らの提案で採用された「五輪のマーク」
練習では成功なしで迎えた「10月10日」
「二度とできない」ほど完璧に描いた5つの輪
「ショー」ではなく「セレモニー」だった1964年
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熊谷 康(くまがい やすし)氏

1952年に東京学芸大学短期部を卒業後、東京都教育庁に入庁。63年に東京オリンピック大会組織委員会に出向。式典部にて開閉会式を担当した。大会後、都教育庁に戻ってからは、教員に転じ、東村山中学校長などを歴任。

松下 治英(まつした はるひで)氏

1955年に日本大学理工学部を卒業後、航空自衛隊に入隊。62年に浜松基地の曲芸飛行隊「ブルーインパルス」の編隊長に就任。64年東京オリンピック開会式では、隊長として白い飛行機雲で見事に五輪を描いた。

インタビュアー 佐塚 元章(さづか もとあき)氏

NHKの元チーフアナウンサーで、現在はラジオアナウンサーなどを務める。1992年バルセロナオリンピックの開会式、岩崎恭子の最年少金メダル獲得(水泳)などの実況をはじめ、スポーツ実況を25年間担当した。


<スポーツ歴史の検証>概要
【企画制作】公益財団法人笹川スポーツ財団
【後 援】スポーツ庁、東京都、公益財団法人日本体育協会、
     公益財団法人日本オリンピック委員会ほか
【特別協力】株式会社アシックス 
※本事業は『平成29年度スポーツ振興くじ助成』を受けて行われます。

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