【腎臓病の体験談】出産の夢をかなえた患者さん。膠原病から腎不全になり、透析から血液型不適合の腎移植を成功して26年目

NPO法人 腎臓サポート協会 2015年08月18日 16時30分
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腎臓病と闘う人にとって、同じ病気を持つ先輩患者さんから聞く体験談は何よりも心の支えになるもの。「腎臓病なんでもサイト」では、さまざまな患者さんに、病気の受けとめ方や乗り越えた経緯、ご家族のサポートなど、貴重なお話を伺っています。

今回の体験談は、二転三転する診断の結果、膠原病から腎不全になった患者さん。透析治療を経て、国内で2例目だという血液型不適合の腎臓移植を行い、3年後に出産という夢を実現した患者さんを紹介します。

(※職業・年齢や治療法は、取材当時のものです。)

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■伊藤律子さん(59才 女性)
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患者さんプロフィール:
1955年生まれ 59歳。25~6歳で高熱をだし、診断が二転三転した結果、膠原病からくる慢性腎臓病と診断された。30歳で血液透析導入、33歳で母をドナーに腎臓移植。ABO血液型不適合の腎移植2例目。38歳で男子出産。長年、輸血によるC型肝炎の治療を継続しながらも、移植26年の現在ではクレアチン0.7で元気に生活している。


<記事の一部をご紹介!>

【二転三転の診断結果 膠原病で腎不全に】

―――移植する前がとても大変だったと伺っていますが?
伊藤 そうなんです。25~6歳のころでしたか、40度の高熱がでて、最初の病院では敗血症だといわれたんです。入院できる病院に移って点滴をしていただいたら、熱は引いたのですが、今度は腎盂炎だといわれました。
―――まぁ、最初と違う診断だったんですか?
伊藤 ええ、全然違ったんです。
―――怖いですね。
伊藤 ええ、それも慢性になっているということで、ステロイド治療をすることになりました。
―――ムーンフェイスになりました?
伊藤 パンパンになりました。しばらく入院して検査をしていただいたら今度はネフローゼ症候群だといわれて、その後もいろいろな検査をして、最終的には全身性エリトマトーデス(膠原病)が原因で腎臓が悪くなったといわれました。

膠原病:全身の複数の臓器に炎症が起こり、臓器の機能障害をもたらす一連の疾患群の総称。

―――どのくらいの期間、入院していたんですか?
伊藤 1年ほどは入退院を繰り返していました。毎日、具合が悪くて、ほとんど寝ているよ うな状態でした。どんどん悪くなって、30歳くらいで「腎不全だからそろそろシャントを作りましょう」といわれました。私は何も分からなくて先生のおっしゃるまま透析を開始したんです。
―――それは、いつ頃で、おいくつ?
伊藤 1986年で、30才でした。
―――その頃では血液透析(HD)ですね。週何回でしたか?
伊藤 週2回、3時間半でした。
―――じゃ、少しは腎機能が残っていたんですね。どのくらい透析をしていたんですか?
伊藤 3年です。そのころ東邦医大から来てらした先生が、「今度、膠原病でも移植ができるようになりましたよ」とおっしゃって、「本当ですか?」「本当だよ、長谷川教授のところに行ってごらん」と、それが移植への第一歩でした。

【神様の一言で腎移植 血液型不適合2例目】

―――東邦医大の長谷川昭先生ですね。
伊藤 はい、長谷川教授に診ていただいて、「夢は移植をして子供を産むことです」と話し たら、「そんなことは夢じゃないよ」といってくださって、目の前がパッと開けた感じでした。その時のことは忘れられないですね。
―――移植はどなたから?
伊藤 母からです。
―――血液型は同じ?
伊藤 いえ、違います。私はB型で、母はAB型ですから。
―――その頃はまだABOの血液型不適合の腎臓移植は珍しかったはずですよ。
伊藤 はい、私が2例目でした。手術前の処置がうまくいかなくて、前日までダメだといわ れていたんですが、朝一番に長谷川教授が「やるから!」と、まるで神様の一言です。
―――すごい決断力。先生は自信がおありだったのでしょうが、あなたにとっては賭けみたいなことでしたね。

【長年の夢が叶って普通分娩で男子を出産】

―――今、何年目ですか?
伊藤 26年になります。
―――ご結婚は?
伊藤 27歳のときです。
―――では、ご主人は腎臓が悪いのをご存知で?
伊藤 ええ、知っていました。社内恋愛だったのですが、病院の送り迎えとかしてくれて、 やさしい人で。
―――良い方と巡り会えて良かったですね。それでお子さんは?
伊藤 移植してから3年目の検診のときに、いつも話を聞いてくださる婦長さんが、「子供産みたいんだよね、経過もいいし、ちょっと聞いてきてあげるよ」といってくださって、「大丈夫っていってたわよ」ということで妊娠OKになりました。それから1年もたたないうちに妊娠して。
―――それはすごい。
伊藤 ほんと、奇跡みたいです。でも、ステロイドを飲んでいたので、家族に猛反対されたんです。主人が「どんな子供が生まれようと天命だから、ふたりで力を合わせて育てよう」といってくれたおかげです。私一人ではとても決断できませんでした。
―――お産は帝王切開ですよね。
伊藤 移植した場合は帝王切開でといわれていたんですが、子宮口が開いてしまって、あっというまに普通分娩で生まれました。元気な男の子でした。
―――まぁ、なんてラッキーな。
伊藤 ええ、今考えると、よくあんなことできたと、少し怖くなります。若かったんですね。
―――息子さんはお母さんがそんな思いで産んでくださったってご存知?
伊藤 ええ、よ~く言い聞かせています。
―――お子さんはお一人ですか?
伊藤 はい、でも一人でも、透析をしているときは夢の夢で、夢で終わるんだろうと思っていました。みんなに「無理よ」といわれていたのが、子供を産んだという実感も持て、本当に信じられないくらいです。

〈後略〉

※聞き手  特定非営利活動法人 腎臓サポート協会 理事長 松村 満美子

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※『腎臓病なんでもサイト』患者さんの体験談からの抜粋です。

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