◎中国より愛をこめて 広州交易会が培った中国とスウェーデンの心の絆

広州交易会(Canton Fair) 2013年07月18日 14時40分
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◎中国より愛をこめて 広州交易会が培った中国とスウェーデンの心の絆

AsiaNet 53737
共同JBN 0848(2013.7.18)

【広州(広東省)2013年7月18日PRN-=共同JBN】一人の人間、一つの見本市、そして比類ない47年の歴史が培われた。ジュセッペの通称で知られるペピーノ・G・ココッツア(Peppino G. Cocozza)さんが初めて中国の土を踏んだのは1966年であった。当時、彼の髪は黒々としていて、広州の街の通りには紅衛兵があふれていた。始まってから日の浅いその年の広州交易会(Canton Fair)に参加した後、ココッツアさんはこの催しと中国という国の二つながらに夢中になってしまった。ビジネスにからむ出来事がこのような、心がこもり長続きする愛着に変わることはめったにない。

ココッツアさんを中国オタクと呼ぶだけでは不十分だろう。本人は「私以上に中国を愛している人はいないね。私は外国人じゃない。私は中国人のハートを持っているのさ」と言うのだ。

ココッツアさんの中国に対する関心はマルコポーロの紀行記によって火をつけられたのだが、彼はその本を初めての訪中の前に夢中になって読んでいた。神秘的な東方文明はこのイタリア生まれのスウェーデン人にとって強力な魅惑となったが、彼は1961年にInter Agenturer ABを立ち上げていた。その5年後、彼は友人から広州交易会のことを聞き、夢に見ていた国を訪問するチャンスに飛び付いたのだった。

74歳になったココッツアさんの髪は白くなったにせよ、当時そのままに元気いっぱいである。1966年以来、広州交易会には計100回近く参加しており、2006年の第100回フェアでは特別賞を授与されて、朱鎔基前首相と温家宝副首相(肩書はいずれも当時)に拝謁した。これを一家の誇りとして、彼は息子や孫を広東フェアに同行させ、中国各地を頻繁に旅行している。

1966年当時、ココッツアさんは交易会での買い物は数千ドル程度だったが、今では中国産品がリンシェーピング市にある本社の壁を埋め尽くしている。

ココッツアさんは「初めて広東フェアに行ったころ、中国産品は私の取引の5%だったが、今ではその割合は95%になっている。今日、これほど多くの物品が中国でデザインされ、作られているなんて信じられない。中国人の才能と固い信念を信用すればこそ、私は何度も繰り返してフェアに足を運ぶのだ」と話す。

ココッツアさんは広州交易会でたくさんの知己に囲まれ、このイベントで最も知られた顔の一つになっている。第114回広州交易会は2013年10月15日に開幕するが、そこで出会う参加者の中に必ず中国人の心を持つスウェーデン人がいるはずである。

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ソース:The Canton Fair

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