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モトローラが明かす新世代スマホPHOTON誕生秘話--あえて守った沈黙の理由

「MOTOROLA PHOTON ISW11M」は、モトローラが久々に日本市場に投入した携帯電話端末だ。国内モトローラファンファン代表として、携帯電話研究家であり移動体通信分野のジャーナリストでもある木暮祐一氏が、モトローラ・モビリティ・ジャパン株式会社のモバイルデバイス事業部 ジャパンオペレーションズ 事業統括部長である高橋博氏と対談した。

待ちわびた「Mマーク」のスマートフォン

木暮: 私は1989年頃からモトローラ端末を愛用しています。MicroTac、StarTacあたりから愛用してきたのですが、あの頃のモトローラが与えた携帯電話業界への影響はすごいですよね。当時日本では不格好な大型端末しかなかったのに、同年に折りたたみ式のコンパクト端末を出していたわけですから。90年代の小型化、薄型化を牽引しましたよね。

高橋: 私がモトローラに入った頃は、さらに前の時代です。ショルダー型の電話や自動車電話をNTTに納めていた時代でした。日本の携帯電話黎明期にも関わらせてもらいました。

木暮: Mova端末を作っていましたね。ただ、間でけっこうお休みの期間があります。日本ではM702シリーズの前後がなくて、今回のMOTORORA PHOTON ISW11M(以下PHOTON)は久々の登場という感じです。


モトローラ・モビリティ・ジャパン
モバイルデバイス事業部
ジャパンオペレーションズ
事業統括部長
高橋博氏

高橋: そうですね。実は海外端末を日本に持ち込みづらい環境がありました。日本ではNTTドコモが中心となって3Gネットワークを整備していたわけですが、海外の第三世代携帯電話(3G)システムに準拠した3GPP端末をそのまま持ち込むことはできず、それに関する調整で時間がかかってしまったという状態でした。※3GPP:移動通信システムの国際標準化団体(3rd Generation Partnership Project)

木暮: なるほど。世界的には3GPPを世界に広げる旗手的な立場だったモトローラが、日本ではあまり端末リリースを行わなかったのはそういう事情だったのですね。2000年代の前半はモトローラの独自端末がなく、寂しい時代でした。


MOTORAZR V3 Cellular Phone
世界的ヒットとなったMOTORAZRだ。発売は2004年。

高橋: モトローラとしてはなんとか海外端末を日本でも販売したい。こうした思いから苦労を重ねて販売できたのが日本でいうM702シリーズ、Motorola RAZRでした。実は見た目のデザインは海外版のままですが、ネットワークに対応するためのソフトウェアは作りましたし、品質を担保するために国産部品を使ったり、提携工場で製造したりと、純国産に近いものだったんですよ。

木暮: そうだったんですか。すごいことになっていたんですね。

高橋: 実は相当苦労して、産みの苦しみのあった端末でした。
そしてあの頃から、我々の中にはスマートフォン的な考え方があり、大型液晶を搭載したPDAのような端末も作っていました。特に漢字の手書き入力ができるということで中国市場では需要がありましたね。しかし端末が大きく、動きも機敏ではなかったので世界的には広がりませんでした。

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提供:モトローラ・モビリティ・ジャパン株式会社
[PR]企画・制作 朝日インタラクティブ株式会社 営業部  掲載内容有効期限:2011年12月31日